第23話 折れぬ刃

「……余計な手出しは必要ない。引っ込んでな」


 「イタリアの双子」の片割れであるルーカ・リナルディは、ベルクートとの意思疎通が可能になるや否や、そう言い放った。


「……たいした挨拶だな」


 ルーカの自信と驕慢きょうまんにみちた言動と振る舞いに、さしものベルクートも苦々しい表情を浮かべざるをえなかった。紙宮祐三の話から想像していたよりも、実物はさらに酷い。

 そんな二人を、祐三はあわててたしなめた。


「おいおい、つまらん言い合いをさせるために、『心話』の式を打ったんじゃないぞ。きちんと連携が取れて、はじめて勝ちの目が出る相手だ。……油断だけはしないようにな」


「ああ」と、ベルクート。


「油断もクソもないさ。灼き尽くすだけだ」と、ルーカは言い放つ。かれの妹であるキアラは、兄の背後で沈黙を保っている。


 ――小雨の降り止まない、薄暗い日曜の午前だった。昨日の夕刻にリナルディ兄妹は紙宮家に到着した。その晩のうちに、祐三は『心話』の式をベルクートとルーカ・キアラに打ち、のちに現状の説明を済ませた。

 これまでの戦いについては、ルーカもそれなりに耳を傾けていたが、今後の行動についての摺り合わせを行おうとすると、途端に聞く耳を持たなくなった。いまもなお同様だ。


「ベルクート。ロシアの犬鷲と呼ばれるにしては、みじめなものじゃないか。お得意の……なんだっけ、『狩猟場』とやらは封じられたままなんだろう。今のお前に何ができる? せいぜい、チンケなナイフ投げだけだろう。いらないよ、お前」


「…………」


 嘲弄するかのようなその言葉を、ベルクートはあえてやり過ごす。事実、施された封印の解呪は、まだ果たされていない。


「すまんなあ。だが、あと一息で解呪できる。だから、ルーカ君。今日に兄妹ふたりだけで出るのは、こらえてくれんかね」


 祐三はそう言って詫びた。偽りを口にするような人物ではないから、今夜にも封印は解けるのだろう……と、ベルクートは思う。


(自分たちだけで戦いたい……か)


 他者の協力は不要、という。それは口にしてはならない言葉だった。ルーカのような自信家にとってはもちろんだろうが、ベルクートにとっても魅力的な言葉だ。全力をもって相対し、勝敗を決する。それは魔術師の誉れでもあった。しかし、「賢人会議」はそのような情緒的な行いを赦しはしない。求めるものは浪漫の充足ではなく、アリツィヤら完成者が秘匿する「知識」なのだ。そして、アリツィヤはおそらく有益な情報をその身に秘めている。それを奪うことこそが、第一の目的にほかならなかった。


 だが、かれはそんな屈託に囚われることはないようだった。


「僕はここに何をしに来たか分かるかい? アリツィヤとかいう女を灼き滅ぼしに来たんだ。……ただひたすらに灰燼に帰す。そして鳴かなくなるまで黙らせたら、キアラが回収して終了。それだけのことだ。……ベルクート」


「何だ?」


「そんなわけで、お前はカミヤと一緒に、封印のほうを何とかしてろよ。そいつを解いてしまわなければ、いつまでたってもただの木偶の坊なんだろ? そのあいだに僕らは面倒ごとを片づける」


 と、ルーカは祐三を指さした。


「……それは」


 何度言われてもだめだ、とベルクートは言おうとした。力と蛮勇はあれど、それだけを信頼すれば勝てる相手ではない、とも思う。


(アリツィヤは、力と小細工を、ともに使いこなせる敵だ)


 だが、そう言いかけた言葉を封じたのは、ルーカではなく、妹のキアラだった。


「……ベルクートさん」


「…………」


「大丈夫、心配しないで。なにか危険があれば、すぐに戻るから」


 と、小さな、だが決然とした声で彼女は言った。


 ルーカは、「キアラ、そんな心配はいらないよ。いつも通りの戦いだ」と言ったが、キアラは小さく首を横に振った。最も信頼している彼女に背かれたと思ったのか、ルーカはぷいと膨れる。


「兄さん……ここに着いてから、ずっと感じているものがある。昏く、大きく、明滅するように不安定な、でも怖ろしい気配。それが敵か味方か分からないうちは……無理をしないで」


 彼女の言う「気配」に、祐三は思うところがあったのか、顎に手をやった。

ベルクートは、「どうした? 心当たりでもあるのか?」と訊く。


「いや。以前に『狂王』の話はしただろう。つい先日まで、中東で騎士団・魔術師団と交戦していたようだが、最近の連絡によれば、突如として消失したとのことだ。あるいは、そいつの次の行く先が、ここではあるまいなと思ってな」


「杞憂であってほしいものだ」と、ベルクート。

「味方になることはあるまい。ならば、現れるときは敵としてだ。……ルーカ」


「なんだ」


「慎重を期せ」


「分かっている」


 ルーカはかるく笑って答えた。が、キアラの面持ちは硬かった。


+ + + + +


 その後、日が落ちるまで、ルーカとキアラは支度をととのえていた。


 やがて夜闇が空を覆い始めるころに、「――魔女狩りに行く」と言い残し、ルーカは紙宮家を後にした。

 かれの背後には、キアラの姿が影のように連なっていた。

 ……かれらの方針は、徹底して兄妹で役割を分担することにあった。

 妹であるキアラが警戒と探知を担当し、兄であるルーカが直接戦闘を請け負う。

 兄の操る炎の秘蹟ばかりが喧伝されているが、それを支えるのは、妹の卓越した感知能力だった。

 そうであるから、ベルクートとしては、妹の能力を信頼するしかなかった。よけいな戦いを求めずに、危険を察知したらいさぎよく退く決断。それを兄に促すことができるのは、やはり妹だけなのだ。


 そんなことをぼんやりと考えながら、

「……封印の解呪は、どうなっている」

 と、ベルクートは祐三に尋ねる。


「順調にいけば、今夜中には解けるな」


「そうか」


 全力を尽くしてくれている祐三の言葉に、頷く。


(封印が解け次第、ルーカ達の加勢に回らなければな)


 祐三の部屋の床に横たわりながら、そう考えた。いかにキアラが戦闘の回避に努めようが、状況がそれを許さないことも十分に有り得た。


「…………」


 無言のまま、祐三は施術を進めている。

 正午ごろから始まって以来、既に六時間以上が経過していた。その間、かれの家人はいっさい入ってこない。

 ベルクートの身体に細密な紋様を描き、そこに家伝の符を刻み込み、複雑な式を打つ。この国に固有の不可思議な魔術もあれば、ベルクートにもおぼろげに理解できるような、馴染みのある術もある。


 あらゆる手を尽くして、かれはアリツィヤの施した封印に立ち向かっていた。派手な立ち回りこそないが、それは祐三とアリツィヤとの対決だった。

 ベルクートはしずかに深く呼吸して、かれの闘いの行く末を待った。


(生命ある限り、何度でも戦う……か)


 己がいわゆる「天才」ではないことを、ベルクートは知悉しているつもりだった。だからこそ、一度、二度の敗北によって折れてはならないこともまた、納得していた。


(……決して折れぬ剣でいられるなら、それに越したことはない)


 そう呟いたときに、ベルクートの脳裏に、ルーカの姿が浮かんだ。


 かれは、天才だ。

 だが、折れぬ刃は、時として砕けることもある。

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