第22話 問いかけた、その先
誠は軽く呼吸をととのえると、アリツィヤに問うた。
「ロートラウトは言っていた。『俺もまた、アリツィヤの生贄となりうる』と。これは本当なのか? ……そして、アリツィヤ。貴方が『ここに来た』目的は、何なのか? ……このふたつだけは、訊いておかなければいけないんだ」
最後の、ふたつの質問。誠の言葉が喫茶店の木壁に吸い込まれて、そして数秒。
アリツィヤは答えた。
「――ええ、誠さん。あなたは私の『生贄』となりえる者です。……そして、私がここを訪れた目的は、あわよくばあなたを『生贄』とするため、でした。最初の犠牲者である、ロートラウトに続く、二人目の『生贄』……として」
そう答えたアリツィヤの表情は、ひどく硬かった。
「……そうか」
ロートラウトに聞いた時から、アリツィヤがこう答えることは予想していた。
生贄。自分は生贄であり、アリツィヤは……己を捕らえる加害者であるということを。
しかし、今の今になってさえも、誠はそれを信じることができずにいた。
(なにを今更……って感じだよな)
アリツィヤは俯いている。彼女にとっても、その返答は意に添わぬものだったのかもしれない。
彼女の返答にたいして、誠がなすべきことは幾通りかあった。
(逃げるか。アリツィヤの生贄となるか。それとも説得するか。アリツィヤを倒すか……)
そのどれもがひどく非現実的なことのように感じられて、誠は沈黙したまま、コーヒーカップを手に取り、ぬるくなった残りのコーヒーを飲み干した。
正直なところ、もう己の考えの及ぶところではないな、とさえ思えてしまう。人知を越えた力で戦う魔術師達を前にして、なんの力も持たない高校生はどう振る舞えばいい?
誠が気の利いた返答をできずにいると、アリツィヤは俯いたまま、言った。
「……でも、あなたを生贄には……できませんでした。もう、一度は犯した罪だというのに」
「…………」
「ロートラウトがあなたに伝えたとおり、敵国の人間であるとはいえ、私は彼女を生贄としました。それこそが、王の期待に応えるための唯一の道だと思っていたから。そして今、私が王を救うためには、更なる力が要ります。そして、力を得るための最善の道は……誠さん、あなたを生贄とすることなのです」
「……なぜ、そうしないんだい?」
誠はぽつりと訊いた。その問いに、アリツィヤはしずかに面を上げて、言った。
「……私にも、それをしない理由は分かりません。ここであなたを生贄とするのを諦めたとしても、それで過去の罪が消えるわけではないのに。……ただ」
「ただ?」
そう訊き返すと、アリツィヤはすこしだけ微笑んで、言った。
「初めて会ったあの時です。誠さんは、私のことを普通の人間として扱ってくれて、気遣ってくれました。あの時のことを思い出すと……心が……とても、安らぐのです。胸の中に、感じた事のない温もりが溢れて……」
言い終えて、アリツィヤは微笑みを浮かべた。
その素朴な笑みは、誠がはじめて彼女を訪ねたときと同じ、安らかで、慎ましやかな――。
「……そう言ってくれると、俺も……嬉しいよ」
そう答えるより他なかった。
(そんなに特別なことは……してない……よな)
行きずりの人間にできる、ささやかな親切。それだけだった。初めて会った時には、アリツィヤとの間にこんな因縁があるとは露も知らなかったのだから。
「……それで、アリツィヤはこれからどうするんだい?」
そう訊くと、アリツィヤは決然と頷いた。
「可能なかぎり、魔力を回復させて……戦いに備えます。『王』は、近くこの地を戦場に選ぶでしょう。……いえ」
「?」
「……『王』は、戦いの予兆を知ることができます。そして、その予兆にしたがって、戦いを――『狩る』のです」
「……狩る? それって、どういう事?」
「『王』は、戦いを憎んでいます。そして、その戦いを滅ぼすだけの力を備えています。ゆえに、戦いに臨んで勝敗を決するのではなく……ただ、一方的に『狩る』」
「アリツィヤや、あの男をも凌ぐ力が『王』にはあるのい? 想像もできないよ」
「ええ。そして、私は……有る限りの魔力を振り絞って、『王』を、『王』の戦いを……止めようと思います」
「それだけの力を得るために……俺を『生贄』にしようとしたんだろう? 真っ向からぶつかって、勝てる相手なのかい」
そう問うと、アリツィヤは不意に笑みを浮かべた。
「……ふふっ。私は予言者ではありませんから、やってみなければ、わかりません」
「それじゃ……博打じゃないか」
理解できないな、と誠は思った。が、アリツィヤは意志を示すかのように、テーブルの上で両手の指を組んだ。その貌に宿すのは、靱さを秘めた微笑み。
「そうですね。……博打です。これまでも、そうして戦ってきましたから」
「アリツィヤ……結構、怖い性格だったんだな」
「戦うにあたっては、全力を尽くします。そこから先は、運命のみぞ知るところとなります」
誠が見たことのない表情だった。それは……未知なる未来に力を尽くす者の眼差し。
これからの戦いに臨むために必要なもの。それはきっと、未だ自分の知らないアリツィヤの側面に隠されているんだろうな、と誠は思った。
(だけど、俺が見たいのは――)
戦いとは無縁のアリツィヤをこそ、見たい。誠はそう思った。
そのとき、壁掛け時計の鐘が鳴った。窓の外は、そろそろ夕刻の茜色に染まりつつあった。いつしか店内には新たな客がぽつぽつと入り始めており、マスターとウェイトレスも、にわかに慌ただしく立ち働いている。
誠はアリツィヤがプラムティーを飲み干すのを待って、店を出ることにした。
+ + +
その頃。
国際空港のターミナルゲートを背にして、その少年は気だるそうに、正面ロータリーを行き交う車を眺めていた。真白い長袖の導師服は、初春の気候には適切に見えた。
背後には、大人しそうな少女を連れている。彼女もまた、少年のものとよく似た意匠の服を身に纏っている。色は、同じく白色。
ひとつ大きな呼吸とともに、少年は呟く。
「……これが、この国の匂いか。僕らには馴染みがたいな。そうだろう?」
少女は否定も肯定もしない。
「……とりあえず、ここでの拠点……カミヤの家を目指そう。他には寄るべき所もない。さっさと仕事を済ませて、早く故郷に帰ろうじゃないか。ねえ、キアラ」
「……兄さん」
「何だい?」
「油断はしないで。何か……ぼんやりとしてるけど、大きな気配を感じる」
キアラと呼ばれた少女の言葉に、少年は、ふむ、と頷いた。
「その気配は……アリツィヤとかいう女のものかい?」
「まだ、分からない。……ただ」
「ただ?」
「すごく……昏い気配。だから、気をつけて」
少年は、その忠告をいなすように、掌を振りながら答えた。
「だったら、なおのこと素早く済ませないとな。……キアラを不安にさせる奴は、その存在自体が、すでに死に見合うだけの大罪だ。あらんかぎりの苦痛とともに破滅させなければならない。僕の力は、そのためにある」
「…………」
少年は天を仰ぎ、少女は俯いた。
少年の名は、ルーカ・リナルディ。
少女の名は、キアラ・リナルディ。
賢人会議がアリツィヤに差し向けた、新たな刺客だった。
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