第18話 困惑
「かなり深い火傷だ。手ひどくやられたな」
「……まだ戦えた。今度は、外からの邪魔が入った。それさえ無ければ、あの戦いで勝敗を決することができた……筈だ」
――紙宮家の、祐三の書斎。
アリツィヤとの戦いののち、ベルクートは傷の痛みと疲れをおして、祐三のもとへと帰還していた。
戦いの
いまベルクートは、敷物の上に傷ついた身体を横たえ、祐三の施術を受けていた。
祐三は、市販の治療薬と自らの魔術によって、ベルクートの肉体を癒そうとしている。
魔力を激しく費消したベルクートには、己を癒すだけの余力がない。アリツィヤや自分のものとはまた異なる、聖句によらぬ癒しの魔力の感覚を、ベルクートは確かめていた。
「傷のほうは、そう時間もかからずに治せるだろうな。しかし、問題は……君に施された『封印』だな。……ここに来たときに即座に見つけられなくて、すまなかったな」
祐三がそう詫びると、ベルクートは手を振って否定した。
「いや。あなたが打ってくれた『符』のおかげで、『
「ふむ……やってみるしかないな。全く、私のような凡人には荷が重いよ。まるで難問を課された学生になったような気分だ」
祐三はため息をついて、そう言った。
「頼む。『狩猟場』の封印が解ければ、より有利に戦える。そして……勝たなければならない」
そう言って拳を握ったベルクートを見て、祐三は頷いた。
「うん。まあ、そのしぶとさがあれば、なんとかなるだろう。……ところで、アザト君」
と、祐三は面持ちをすこし引き締めた。
これが何かを問うときの合図であること、アザト・ユリコフ……ベルクートはここ数日の暮らしで学んでいた。
「なにか?」
「質問だが、アザト君は、いったいどんな理由があって、魔術師を志したのかね? ……いや、答えたくないのなら、別に構わないが」
「単純なことだ。俺は自分の故郷に金を入れられる仕事を探していた。そして、この仕事が一番実入りがよく、一番性に合っていた。他にも興味のある仕事はあるが、それらを試す時間があるかどうかは分からないな」
「ふむ。故郷とは?」
「ロシア南部の国境にほど近いところだ。旧く、物の乏しい戦災孤児寄宿舎で、そこの出身者たちが金を入れることで、ようやく運営が成り立っている。俺も出身者の一人だから、動けるうちに働かなければならない。そうすべき恩義がある」
「なるほどな。……それから、聖句術はどこで学んだのかね?」
「その寄宿舎にいるうちに、聖句術の才を見込まれて高名な術師の家に養子として引き取られ、そこで教育を受けた。養子とはいっても、姓名はもとのまま名乗ることを許された。そして、その家に受け継がれた秘蹟を学び、……今に至る、というわけさ。だから、俺には戦う理由がある。故郷のため、そして俺を聖句術師として鍛えてくれた一門のために。悪くない理由だ。……それに」
「それに?」
「アリツィヤだ。あの『完成者』。さまざまな魔術・聖句術を使いこなし、現代の魔術師たちをことごとく退けた偉大な敵だ。勝つにせよ負けるにせよ、全力で挑むことにしくはない。そうだ。……俺は、あの魔術師と戦いたい」
ベルクートの言葉に、祐三は強く頷いた。
「分かった。それでは、第三ラウンドに挑む支度を進めようじゃないか。……しかし、『封印』を解くのには、すこし時間がかかりそうだ。もしかしたら、封印が解ける前に、例の『イタリアの双子』が到着するかもしれないな」
その言葉を聞いて、ベルクートは双子のことを思い出した。
魔術師の兄。比類なき業火を操る者。ルーカ・リナルディ。
聖句術師の妹。治癒と
伝え聞くところによれば、ひとつの任務を滞りなく終えたのちに、すでに本国を離れてこちらに向かっているという。
そのことを、ベルクートは祐三に訊いてみた。
「その『双子』は、出がけにひと仕事を終えてきたらしいな」
「ああ。シチリアで『完成者』をひとり捕縛したようだ。……これは噂だが、相手が抵抗する気力を無くすまで、延々と戦い続けたらしい。炎で灼き、昏倒したところを妹に癒させる。そしてまた灼いたという。まあ、そんな事をする必然性などどこにもないから、事実かどうかは分からない。そんな噂はどうでもいいことだ。近いうちに、実際に会うことになるのだからな」
そう言って、祐三は話を終えた。再びベルクートの治療に移ろうと、薬品の瓶を手に取ったとき。
「……ん?」
不意に、机に置かれた祐三の携帯電話が鳴った。
ベルクートが黙っていると、祐三は電話は「ちょっと失礼する」と電話機を手にとって、通話に応じた。
「……………………」
聴き慣れない言葉で、祐三は何者かと話していた。
それにしても……とベルクートは思った。祐三の語学の才は、あるいは魔術をしのぐ価値があるな、と。現に、祐三はこれまでも、この国における「賢人会議」の支部長としての活動を行ってきたのだ。
各国から訪れる魔術師のサポートを行ったことも、数多くあるのだろう。また、謙遜してはいるが、紋章魔術師としての才も確かなものだ。凡百の魔術師に、アリツィヤの施した封印が解けるとは、とうてい思えなかった。
祐三の電話は、まだ続いている。
たぶん「賢人会議」本部への報告だろう。それらしい単語を、そこかしこに聞き取ることができた。
と、その時、祐三はふいに電話機から離れ、ベルクートに言った。
「……噂をすれば何とやら、ということだ。本部からの転送で、『イタリアの双子』からの連絡だそうだ。アザト君に話があるそうだ。出るかね?」
そう言って、祐三はベルクートに電話機を差し出した。とくに断る理由もなく、とりあえず受け取り、耳に押し当てた。
「……代わった。俺が『ベルクート』だ」
「――――――! ――――――!」
かしましい子供の声が、電話機の受話部で炸裂する。何かをわめき散らしているのは、異国の言葉で喋る少年のようだ。ひどく早口で、その棘の多いイントネーションからは、漠然とした悪意すらも感じられる。
耐え難くなって、ベルクートは祐三に電話機を返した。
「すまない、何を言っているのか、さっぱり聞き取れない。俺の代わりに、話を聞いてやってくれないか?」
「そうか」
再度、祐三は電話機を手にして、会話を始めた。
(何とやかましい子供だ)
このときばかりは、自分に祐三ほどの語学力がないことを感謝した……。
+ + +
祐三はベルクートから電話機を受け取ると、「もしもし、紙宮だが。……ルーカ君?」と、『彼』の母国語で問うた。
その問いに答えた声は、少年のものだ。
「……カミヤ? 現地の連絡者だね。ああ、僕がルーカ・リナルディだ。そこにいる筈の『ベルクート』はどうしたんだい? さっき少しだけ出た男がそうなのだろう?」
まくしたてるような声に、祐三は眉をしかめた。
「……そうだ。かれは君の言葉を解しない。だから、必要があれば通訳するが、どうする?」
そう持ちかけると、電話口にいるはずの少年は、はっ、と鼻で笑うような声を出した。
「いや、そんな面倒をしてもらわなくてもいい。べつにたいした用事じゃないんだ。そこにいるロシア人、それからあんたに、ひとつだけ言っておきたいことがあったんだ。これから僕らはそっちに向かうが、仕事をするに当たって、要求することがひとつだけある。『――僕らの邪魔をするな』。それだけを言っておくつもりだった」
随分と大きく出たものだ……と、祐三は声に出さずに思った。若さと、それに似合わぬ能力。力量は疑うべくもないが、それにしても困ったものだ。
「……邪魔かね? 我々は同じ組織に属する魔術師だ。ともに協力して任務に臨む事こそが、最善の道だと思うが、どうかな?」
祐三がそうたしなめると、ルーカは嘲弄するかのような哄笑をあげた。
「あっはははっ、『協力』だって? 協力ってものは、対等のパートナーと行うものだ。そして、僕には既にキアラという最高で最良のパートナーがいるんだ。だから、他の奴の手など必要ない。だいいち、お前らは何なんだ? 『完成者』ひとりを狩るのにも手こずる、ぐずの能なしどもじゃないか。……得意技を封じられた間抜けに、それを解除することもできないロートルだろう。恥ずかしくはないのかい? 全くいらいらする……鬱陶しいんだよ!」
「……困ったなあ」
さすがに祐三といえども、この少年の激発には困惑を隠せなかった。ただ、このような直情家がはたしてアリツィヤに敵しうるのか。その点が気になるところではある、と思った。
(かれの実績は、疑うべくもない。……だが、相手は数十人もの魔術師を退けた相手だ。かれは、そのことを知っているのだろうか)
そう思ったとき、祐三はアリツィヤの名を口に出してみることにした。
いつしかルーカの言葉も途切れていた。妙な沈黙に支配された場をくぐり抜けるようにして、その質問はルーカのもとに至った。
「……ルーカ君、君は、つぎに戦う敵……アリツィヤについて、どれほどの事を知っているのかね」
興奮が果てたのちのルーカに、その問いはしずかに染みいったようだ。
かれは、すこし落ち着いた様子で答えた。
「……ああ、知っておくべきことは、知っているさ。東欧にて発見され、賢人会議より発せられた追討令の対象となり、そのまま東へ逃亡。途中、あまたの魔術師からの攻撃を受けるも、その全てを退けた。最も新しい記録では、ロシアからの有力な刺客である『ベルクート』を二度にわたり返り討ちにした。……ここまでで充分だろう」
その口ぶりは、賢人会議がかれに渡したであろう資料を、そのままなぞったような空虚さに満ちていた。
「彼女の人となりや、戦いぶりについては?」
「興味ないな。そのアリツィヤとやらがどう振る舞おうが、僕のすべきことはひとつだけだ。――地獄の業火で灼き尽くす。相手が戦いの意思を喪うまで、幾度でも。僕は……」
「……これまでも、そうやって戦ってきたのかね」
「……そうだ。だから、お前たちの手助けなど、いらない」改めてそう宣言するルーカ。
「まあ、今から方針を決めてかかることもないだろう。もし君が求めるならば、我々は君たちのサポートを行うし、不必要なら、それはそれで構わない。こんなところで良いかな」
「まあ、いいだろう。さっさと終わらせて、僕たちは本国に帰るんだ。遠く離れた国になんか、大切なキアラを置いておけないからな」
ルーカは何度目かの妹の名を呼んだ。
その口ぶりに、どこか支配的なものを祐三は感じたが、それを今ここで指摘するほどの気力はなかった。
「それでは、この国に入り次第、私のところに来てくれ。他にも話しておくべきことがあるのでね」
「ああ。……ところで、あんたは良いとして、そこのロシア人には、もうひとつ言っておく事があったんだ」
「何かね?」
祐三が尋ねると、一呼吸の間ののちに、ルーカは言った。
「任務中に、僕の妹に少しでも手出しをして見ろ。――生まれてきたことを後悔させたのちに、灰燼も残らないほどに灼き尽くしてやるからな。……そこにいる間抜けに、そう伝えてくれ」
「君の兄妹愛は、すこし大げさだな」
「あんたの感想は聞きたくないし、必要を感じない。用件は重要だから、ちゃんと伝えておけよ。じゃあな」 そんな捨て台詞じみた言葉とともに、ルーカは電話を切ったようだ。
有意の音声を発しなくなった電話機の回線を切り、祐三はひとつため息をついた。……若い者と口を聞くのはくたびれるものだが、今回のは、特に堪えた。
(先が思いやられるな)
そう思いながら、祐三は電話機を机の上に置いた。しばらくは、どんな用件だろうと、この忌々しい機械に手を触れたくはなかった。
そんな祐三の様子を、ベルクートは脇から見続けていた。
かれもまた、電話口から漏れ出るヒステリックで甲高い声に、不穏な気分を掻き立てられていたようだ。
ベルクートは、彼にしてはためらいがちに、祐三に訊いてきた。
「……ずいぶん、騒がしい相手だったな。今のが『イタリアの双子』の、兄のほうだな」
「ああ。非常に元気に溢れた少年だ」
「……それで、どんな人間なんだ? その少年は」
「…………」
そう問われて、祐三は先ほどのルーカとの会話を反芻する。
沈黙してしまった祐三を見て、ベルクートは複雑な表情を浮かべ、言った。
「……かれの人となりは、いくらかでも分かったか?」
それは、十分すぎるほど分かっていた。ただ、先ほどの暴言を、
「……ああ。かれは若くして才知に長け、ことに炎の魔術を得意とするんだったかな。戦いを怖れぬ勇敢さを持ち、独立心も強い。また、家族……妹に、深い愛情を注いでいるようだったなあ」
「……大変に好感の持てる人物だな」
「事実であることは保証しよう」
そこまで伝えたところで、祐三は一息ついた。
ルーカとキアラの兄妹が来るにしても、彼らの力は未知数だ。
また、現状では、ベルクート……アザトの体調も、回復しきってはいない。
何より、かれに施されたアリツィヤの封印を解くには、相応の時間が必要になる。
――にわかに忙しくなってきた。
そう、祐三は思った。
自分のセコンドとしての能力が試されるのは、まさに今からなのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます