第15話 無我夢中


「――アリツィヤ!」


 遠方より届いた叫びは、ベルクートには聞き覚えのないものだった。

 声の出所を見ると、そこにはこの国の若者の姿があった。

 こちらに向けて、息もたえだえに走っている。

 その姿に特筆すべきものは何もなく、ただの一つの武装もない。

 しかし、眼差しだけは鋭くベルクートを射抜いている。その意志の強さに反して、何ほどの力も感じることができなかった。――無力な、少年だ。


「誰だ!」ベルクートは叫んだものの、その少年は耳を貸そうとしない。


(結界……『狩猟場ハンティング・グラウンド』さえ創れたならば、このような事にはならなかったのだが)


 結界によって戦場を封じることができれば、外界とのつながりを一時的に絶つことができた。だが、今は外部からの干渉を防ぐ手立てがない。それゆえに、あの侵入者はここへと辿り着くことができたのだ。


 ベルクートは再度警告する。


「手出しをするな!」


 だが、その言葉も通じはしなかった。

彼はベルクートの言葉を無視し、手負いのアリツィヤをかばうように間に立った。


 その少年が、叫ぶ。


「……お前がアリツィヤを傷つけたのか!?」


 この国の言葉だ。若く、力ある声。だが、わずかに怯えも感じられる。その質問に対し、ベルクートもまた質問で返す。


「貴様はこの女を『完成者』と知って、庇い立てするのか」


「……完成者……?」


 彼の言葉には戸惑いが見てとれた。その理由はベルクートには分からなかったが、今なすべきことは、その少年をこの戦場から排除することだった。


「少年よ、貴様はアリツィヤの知己か。貴様の背後の女は、我々が捕らえるべき者だ。禁忌を犯した魔術師を、野放しにはできない」


 ベルクートは、ゆっくりとそう言った。

 だが、その主張を耳にした少年は、表情をより険しくする。


「禁忌だの、魔術師だの。そんなもの知らない! 訳の分からないことを言っても、今のお前は他人を傷つける暴漢にしか見えない!」


 その言葉は、強がりであるにしても無視するわけにはいかなかった。


(一般人を傷つけるのは……不愉快だ。狩るべきは、魔術師のみ)


 ベルクートの目的を達するためには、あの少年を無傷に保つのは難しかった。

 加えて、魔術師同士の闘いを目撃されるのも本意ではない。

 不愉快な結末だった。だが、それを容れざるをえなかった。


 ベルクートは、アリツィヤに語りかけた。


「アリツィヤ、水を差されたな。この戦いは、預けておくぞ。次こそは心おきなく戦おう。……どちらかがこの世界より消え去るまで」


 ベルクートの凶暴な言葉に、アリツィヤは少年をかばうように前に出た。


「…………」


 アリツィヤは無言だ。ただ、少年を守るように右手の大剣を横一文字に寝かせて構え、ベルクートを睨みつけている。


 アリツィヤにとって、あの少年がどのような存在かは分からない。だが、それでも闘いに巻き込むことは、彼女にとっても本意ではないのだろう。その点については通じるものがあった。


(闘いを汚しはしない、か)


 闘いは詭道だ。だが卑劣に堕すことは許し難い。……そのような態度を、果たして最後まで保ち続けられるかは定かではない。だが、いまは「綺麗事」に合意することにしくはない、とベルクートは思った。


「――次だ。次は、貴様を狩る。貴様に貰い受けた俺の生命は、そのためにある」と、アリツィヤに言った。


 アリツィヤは、「――来るがいい」と、短く答えた。その簡潔な返答は、まるで約束のような確かさを備えていた。


 ベルクートは短剣を納め、アリツィヤ達に背を向け、立ち去った。


+ + +


 ――無我夢中だった。


 誰かを守る力など、自分にはない……そんなことは、よく分かっていた。

 だけど、そうせずにはいられなかった。


 誠の目の前には、アリツィヤが大きな剣を構えたまま立っている。

 多分、去っていくあの男を見つめているのだろう。

 アリツィヤは、初めて会ったときと同じように、酷く傷ついていた。

 身にまとう粗末な病院衣はひどく焼け焦げ、左腕は千切れそうなほどの重傷だ。


(俺に何が出来る?)


 幸いにも、あの男は戦いを止めて去っていった。去り際に言った言葉通り、彼がもし「自分ごと」アリツィヤを倒そうとするのであれば、それを止める手立ては全くといっていいほどなかったのだから。


 全ての脅威が去ったいま、あるのは白々とした脱力感だけだ。


「…………」


 目の前に立ちつくすアリツィヤの背中に、誠はかける言葉を見つけられなかった。

 そもそも、この戦いに割って入ったことが、本当に良いことだったのか。

分からない。ただ、無我夢中だった。

 そのまま、数秒ほども無言のままだったが、やがてアリツィヤがゆっくりと振り向いた。


「アリツィヤ……」


 傷つき、汚れた彼女の貌に、目を向ける。夜闇にあってもなお白い頬は、月明かりにほの青く染まっている。そこに走る、鮮血の痕。おそらくは、左腕の傷から噴き出した血によるものだ。


 そして、誠はおずおずとアリツィヤの瞳を見つめた。

 複雑な感情をたたえた、紅玉の瞳。そこに宿るものを汲みきれるとは思わなかったが、誠は目をそらすことなく見つめて、言った。


「――アリツィヤ、また、怪我をしてるね」


 その言葉に、アリツィヤはふわりと微笑み、答えた。

「――ごめんなさい、マコトさん。……ありがとう」


 すこし、耳慣れない発音だった。

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