第14話 二つの雷


 アリツィヤとの距離を保ちつつ、ベルクートは右手に握った三本の短剣を投擲した。放たれた短剣は、聖なる加護に包まれることで、白く輝く刀槍のかたちをとる。


「……そのような小技で、わたしが狩れると思わないことね!」


 そういってアリツィヤは大剣で空中を薙いだ。聖なる刃は襲い来る武器を正確に捉え、その軌跡に激しい魔力干渉が生じる。強い爆発反応とともに、ベルクートの短剣をすべて撃砕した。爆煙は速やかに流れ去り、無傷のアリツィヤが現れる。かの魔術師は健在だ。


 その攻撃で得た間隙を縫うようにして、ベルクートは左手の三本を放ち、右手で次なる聖句の詠唱を助ける。


(『狩猟場ハンティング・グラウンド』を創れずとも、手の打ちようはいくらでもある!)


 両手を空にしたことで、より複雑な呪文を用いることができる。距離を保ちつつ、アリツィヤに効果的な打撃を与えられる手段を――。ベルクートは詠唱を急いだ。


 一方、アリツィヤは振り抜いた剣を返して、あらたに襲い来る三本の短剣を叩き落とした。その技は流れるような鮮やかさで、魔術師の余技とは思えぬほどの剣さばきだった。

 が、そのわずかな時間のなかで、ベルクートは詠唱を完成させた。



「       」



 聖句によって顕された祈りは、疾く上天へと通じ、ベルクートが掲げる右腕の先に光をはらんだ真白き雷雲が現れた。

 溢れんばかりに煌めく光が上空の大気を切り裂き、秘められた力を示す


「――『聖雷ライトニング』よ、かの者を撃ち果たせ!」


 その言葉とともに、ベルクートは右手を振り下ろした。

 その動作に反応するかのように、アリツィヤは飛びすさって素早く「力ある言葉」を紡ぐ。


「くっ! ――『フォースシールド』よ! 理の力もて霊威を防ぐがいい!」


 左手を頭上に突き出し、アリツィヤは呪文の詠唱を助けるための紋章を描いた。

 幾何学的な平面図形がほんのひとときだけ指先に煌めき、己を護る『楯』が生成される。


 直後に、アリツィヤめがけて『聖雷』が炸裂した!

 天空より下される裁きの雷が、地上のアリツィヤを撃つ。轟音とともに一閃した稲妻は、空中にのたうつような残像を残して地上の目標へと至った。『楯』は、その破壊力を減じはしたものの、その圧倒的な力を打ち消すには至らなかった。魔力の楯は引き裂かれ、有り余る余力は直接アリツィヤの肉体を撃ち抜いた。


「……ぐううっ、あぁっ……!」


 苦悶の声とともによろめくアリツィヤ。

その焼け焦げた身体からは異臭と煙が立ち上り、右手に握る大剣が揺らぐ。


 その隙を見逃さず、ベルクートはみたび三本の短剣を放った。


「――諦めろ、アリツィヤ!」

 聖句による加護を受けて、放たれた短剣は閃光のせんと化す。


「…………!」


 余力を振り絞るようにして、アリツィヤはふたたび迎撃の剣を振るった。

 しかし、三本のうちの二本は叩き落としたものの、受け損ねた一本は、アリツィヤの左上腕に命中した。


「あぁっ……!」


 アリツィヤの左腕に深々と刺さった短剣は、いっそう強い輝きを放ち、創傷をじりじりと灼いた。肉の焦げる煙が強く立ちこめ、同時に、まるで内部の組織を犯すかのような光の塊が傷口の周囲でふくれあがる。――常人であれば、その一撃だけで昏倒に至るほどの苦痛だろう。だが、アリツィヤはそれにさえも耐えきり、膝を屈することはなかった。


 そしてベルクートを見据え、睨み、……獰猛な笑みを浮かべた。


「……どうしたのかしら、若き未熟な魔術師よ。偉大なる神の加護を受けてもなお、この程度だなんて」


「戯れ言を言うな。もはや貴様には以前ほどの力はない。これで終わりだ」


 ベルクートの目前に立っているのは、神の怒りに灼かれ、聖剣によって傷つけられた、弱々しいひとりの魔女だ。その姿は、『完成者』というふたつ名で呼ぶことすら惨めに思えるほどに打ちひしがれている。

 だが、アリツィヤはなおも傲然と立とうとする。それが虚勢かはベルクートには分からなかった。ただ、分かることはふたつ。彼女はいまもって力を喪ってはいないことと――。


(そして、次なる一撃で力を喪うであろう、ということだ)


 ベルクートは再び両の手指をもって紋章を空中に刻む。

 止めの一撃を、強き加護を、この世界に導くために。


 しかし。アリツィヤは右手の大剣を水平に伸ばし、まっすぐにベルクートに向けた。左手は今にも千切れそうに、体側に揺らめいている。


「……神の雷を導くものよ。汚れなきその身に、『人の雷』を刻みたくはない……?」


「なに?」


 ベルクートの反応を待たず、アリツィヤは「力ある言葉」を鋭く叫んだ。



「       」



 その呪文とともに、アリツィヤの剣に宿る魔力が溢れ出す。

 極彩色の輝きは、溶けた硝子の飛沫のように剣から放たれ、驟雨しゅううのようにベルクートを襲った。


「……アリツィヤ!」


 ベルクートは焦った。周囲には、アリツィヤの魔力によって導かれた七色の稲妻が大地より噴き上がる。


「――『爆雷サンダーストーム』よ、導かれし雷精の力もて、かの者を薙ぐがいい!」


 回避する暇さえ得られぬほどの勢いで、迫り来る雷の柱に取り囲まれた。

 反射的に、『防御の加護』を得るために聖句を叫ぶ。


「――『聖衣ブレッシング』よ!」


 ベルクートが薄い霊光の薄膜に包まれるのと、ほぼ同時だった。

 四方八方より近づく稲妻は、ついにベルクートのもとに凝集され、それは爆発的な力を秘めた閃光となって弾け飛んだ。


「ぐぁっ!」


 ベルクートは『爆雷』の直撃を受けた。

 アリツィヤの呼んだその名にし負う極大の打撃は、ベルクートの『聖雷』に全く劣るものではなかった。防御の加護『聖衣』をたやすく薙ぎ払い、身体に耐え難いほどの打撃をベルクートは被った。たまらず体勢を崩される。


(……存外、余力を余しているものだ! ――っ!)


 だが、それ以上の感慨を思い抱く時間は、寸毫すんごうすらも与えられなかった。

 ベルクートは、かき乱された意識を整えた時に、まず、視認した。

 それは、アリツィヤの大剣の、迫り来る切先だった。


「――くそっ!」


 跳ね飛ぶようにして後ずさり、からくもアリツィヤの剣を交わした。

 だが、切先はわずかにベルクートの胸元をかすめ、刃を形成する聖光が皮膚を灼いた。

 傷口に走る鋭い痛みに耐えながら、ベルクートは初めてアリツィヤの攻撃の全容を知った。

 彼女は『爆雷』の詠唱を完成させつつ、右手一本による袈裟懸けの斬撃を繰り出したのだ。


(……もし左手が効いていて、両手による斬撃であったならば……あの剣は俺の肉に埋まっていた)


 剣に込められた魔力は解き放たれ、アリツィヤの剣は、ベルクートの短剣と同じように、聖なる加護によって強化されただけのものとなっていた。だが、それだけでも、人体を破壊するには十分すぎるほどの破壊力が残されているのだ。現に、ベルクートの放った短剣が傷つけたその左腕は、いまも力無く垂れ下がっている。


(アリツィヤ……やはり、貴様の魔力も限界か)


 左腕の損傷を放置しているということは、以前に見せた『急速賦活』を行うだけの余力が残っていないということだ。

 また、剣にふたたび魔力を充填させるそぶりもない。


 翻って、ベルクートは我が身を確かめた。

 魔力は消耗したものの、余力がないわけではない。元来、聖句術は魔術に比して、術者の負担は少ない。魔術の効力は、自らの肉体にやどる魔力に由来する。が、聖句術はあくまで加護・恩寵を祈念するものだからだ。その代償として、効力が不安定となりがちだが、今回用いた『聖雷』の効力は申し分なかった。

 アリツィヤの『爆雷』によって受けた打撃は……痛打と言わざるをえない。防御の加護を貫くほどの雷撃を受けて、いまも肉体の苦痛と痙攣を押さえきれなかった。


(……だが、これは「痛み分け」ではない)


 もとよりアリツィヤの肉体は疲労し、魔力は損なわれていた。

 その状態で、魔力を浪費しがちな直接打撃魔術を用いたのだから、むべなるかな、というものだ。

 アリツィヤは、二の太刀を継がせることができぬほどに疲労しているようだった。


 ベルクートは、その間合いの外で、ゆっくりと体勢を整え、言った。


「……アリツィヤ。もう、終わりだ」


 アリツィヤは、無言のまま剣を構えなおした。右手一本で構える大剣は、時間を経たことで加護が薄れつつあり、霊光の刃は茫洋として薄れかけ、本来の短剣の姿に戻ろうとしていた。

 その様子を認めて、ベルクートは両の手に三本ずつ短剣を手挟み、構えた。


「――霊力を喪った貴様の剣では、防ぐことはできん」

 その言葉とともに、再び短剣に加護を宿らせる。六本の短剣は、まさに光り輝く爪と化す。


「…………」


 アリツィヤは無言だ。彼女の構えは、右手で大剣の柄を掲げ、刀身を左体側後部に向けたものだ。頭上からの一撃で屠るための構え。……しかし。


(アリツィヤよ、この後に及んで、なおも俺を『殺さない』つもりなのか)


 そうではないはずだ、とベルクートは思った。そんな余裕は決してない筈だった。生か、死か。互いにただ一枚ずつのチップをやりとりするテーブルに、ついに辿り着いたのだ。待ち望んだところに、ついに。


 慎重にアリツィヤとの距離を計り、ベルクートは両手を構える。

 ――両者の力は、ともに敵手を倒すために放たれる時を待っていた。



 だが、その両者の間隙に滑り込む一声があった。

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