来訪理由

「それではまず、そうですね、二人の刑事さんがなぜこの現場にやって来たのか。そのあたりからお話を伺いましょうか」


 エキセントリックな髪色をした探偵・関ヶ原町子はニコニコとした人懐っこい笑みを浮かべて話を切り出した。


 場所は町子さんが用事があるという菅原すがわらさくらという女子大生の自宅だった。近くの短大に通う彼女は、幸いなことにその借家に一人暮らしをしているということで、僕や二人の刑事さんの話を聞くには好都合な場所だったのだ。


 好都合ということでは、この菅原桜という人物に関しても一つ付け足さなければならない情報がある。その情報というのは、そもそもこの二人の刑事を呼んだのは菅原さん本人だったということである。


「朝起きて外を見たら、誰かが倒れていたので……」


 菅原桜さんは肩を僅かに震わせて、呟くようにそう証言した。突然家の前に死体が転がっていたのだから、恐怖するのも無理はない。ある意味では彼女も僕同様、被害者の一人である。


「それで警察に通報し、駆け付けたのが」


 町子さんは視線の行く末を菅原さんから対面に座る二人の刑事へと移す。それに伴い、彼女の隣に座る僕も刑事さんたちの方を見た。


 町子さんの問いかけに答えるように二人組の刑事のうちの年配でずんぐりとした方が如何にもと大きく頷いてみせた。それに若い方の細身の刑事が付け加える。


「元々、菅原さんはストーカーの被害にあっており、近隣のパトロールが強化されていました。そんな中で死体が出たというので、急でしたが我々捜査一課の刑事が出動することになったんです」


 二人の刑事はそれぞれ名前を岩本と柳田といった。


 年配で身体のずんぐりとした方が岩本で階級は警部。彼に付き添う若い部下が柳田警部補だ。岩本警部の方は如何にも現場たたき上げの刑事といった雰囲気なのに対し、柳田警部補は今時の若者から少し大人びて落ち着いたといった印象を受けた。


 町子さんは納得したのか、相変わらずの笑みを浮かべて何度も頷いて話を聞いている。人が一人死んでいるというのに、まったく彼女に動揺は見られない。僕なんかはさっきから口の中が渇いて仕方ないというのに。


 そんな僕の内心を知ってか知らずか、話の矛先は今度はこちらに向いた。


「さて、少年、君はどうしてこんな時間、こんな場所にいたんだい?」

「僕は日課のランニングをしていたんです。この家の前を通りかかったのは本当に偶然で……ほら、ここの近くの道路が工事で通行止めになっているじゃないですか。それで、普段は通らないこの道を選んだんですけど……」


 そこでまさか人の死体を見つけることになるなんて、夢にも思っていなかった。


「なるほど、なるほど。ツイてないねぇ、こんな事件に巻き込まれるなんて」

「いえ……」


 面倒に巻き込まれるのは慣れている。とはいえ、実際に死体と対面するなんてことは初めてだから、流石の僕も少し――いや、かなり動揺しているのは事実だ。もうじき季節は春だというのに、僕の人生においては不幸という名の雪が解けるのはまだまだ先らしい。


 するとそこで岩本警部が低い声で会話に割り込んできた。彼はジロリとこちらを鋭い眼差しで見ると、町子さんに尋ねた。


「おいあんた、話を進める前に、そこの小僧が犯人でないというのはどういうことか説明してもらおう。何せ第一発見者を疑えというのは現場の鉄則なもんでな」

「ああ、そうでした、そうでした。私としては話を急ぎすぎていましたね。とはいえ、それは簡単なことなんですよ。を見れば一目瞭然です」

だぁ?」

「ええ。詳しいことは司法解剖でもしてみなくては分かりませんが、うつ伏せに倒れていたあの死体、死因は嘔吐物で気管が塞がれてことによる窒息のようでした。これはつまり、彼が毒を飲んだということですね。こんな街中で人を殺そうという人間が、毒殺なんて選ぶわけがありませんよ」

「殺してから運んできたって線はあるだろう」

「それも現実的ではありませんね。現場の周辺は警察のパトロールが強化されていました。私もここに来る途中に見かけましたよ。そんな中で大の男を一人担いで移動するというのは、とてもではありませんが簡単なことではありません。それに死体をどこかから運んできたというのなら、なぜこんな人目につく場所を選んだのでしょう。山でも海でも、他人に見つからないところに遺棄するのが普通ではありませんか。少なくとも犯人と被害者は共にこの事件現場にやって来て、そして被害者の方が毒を飲んだ――ということになります」

「ちょっと待って下さい、関ヶ原さん」


 そこで口を挟んできたのは柳田警部補である。彼は町子さんの話しを書き留めていたメモ帳に視線を落としながら、こう投げかける。


「あなたの言う通りだとしたら、現場にあの遺体を運ぶのは不可能、かといってあの場で殺害するのも現実的ではない、つまり、ということになりますが」

「その通り! その通りなんですよ、ヤナギー警部補!」


 町子さんは高揚した調子で柳田警部補を指さし、何度も頷いた。


「ヤ、ヤナギー?」

「あ、失礼。どうも人の名前を覚えるのが苦手なもので、知り合った人には覚えやすいようにあだ名をつけているんです。柳田警部補なのでヤナギ―、岩本警部の方は“いわちゃん”でどうでしょう」


 変わらず笑顔でそんなことを言う町子さんを見て、二人の刑事さんは思わず顔を見合わせた。きょとんとするのも無理はない。それは僕だって同じだ。しかしながらこの関ヶ原町子という人物に関しては、どうにも正面から怒れない雰囲気を感じてならない。人を惹き付け脱力させる、そんなある種特別な才能があるように思えた。言うなれば人たらしの才能だ。


 町子さんはこちらの動揺なんて気にも留めない様子で(もしかしたらそういう反応には慣れているのかもしれない)話を戻す。


「ヤナギ―の言う通り、あれはまさしくあり得ない殺害現場です。ですが、それはあくまで死因が他殺ならばという話です。もしもあれが他殺ではなく自殺であったとするなら?」

「確かに大きな矛盾点はないかもしれないが……しかし、死体のあの異様な状態はどう説明する。欠けた指や歯、毛髪、何もかもが異常だ。あれは何者かによって拷問された後だと考えるのが普通だと思うが?」


 岩本警部のもっともな疑問に、僕も頷く。あの死体は素人の僕から見ても異常な状態だ。ましてや死体を見慣れているはずの捜査一課の刑事さんも同じように言うのだから、あの死体の状態に何か特別な意味が隠されているのだと考えるべきだろう。


 しかし肝心の町子さんはというと、意味ありげな笑みを浮かべているだけであった。そして岩本警部の至極真っ当な意見を一通り聞くと、大きく頷いて再び口を開くのだった。


「その謎を解き明かす鍵は、ずばり私が握っています。考えてみれば私がこうして偶然にもこの事件に巡り合うというのは、不自然ではありませんか?」

「それじゃあ、町子さんは、何か重要な手がかりをもうすでに掴んでいると言うんですか」


 僕が尋ねると、彼女は得意げに何度も頷いてみせた。どうやら彼女の知っている情報というのは、この事件において核心をつくに等しいものだというのは確かなようだ。


 岩本警部はごくりと生唾を飲むと、町子さんを急かすように投げかけた。


「その手がかりというのは」

「私がここに来る時、キャリーケースを持っていたのを覚えていますか」

「ああ、それがどうかしたかのか」

「実を言いますと、私は旅行から帰ってきたばかりなのです」

「旅行?」

「ええ、大学生活の合間を縫って東北地方をぶらり一人旅」

「それが何だ。この事件と、何か関係でもあるのか?」

「私が今回の事件に関わりを持ったのは、ここに来るよりもずっと前なのです。実は道中、とある事件に巻き込まれ、その解決にも手をお貸ししたのですが、その時に知り合った女性に一つの依頼を受けたんですよ」

「依頼」


 岩本警部は神妙な面持ちで町子さんの言葉を反芻する。探偵を名乗る彼女に依頼となれば、それもやはり今回のような不可解な謎のことなのだろうか。


「いいえ、依頼内容はとても一般的なものでした。私という探偵はある種特殊な例としても、一般的な“探偵”が請け負う仕事で、要はです」


 確かに普通の探偵ならば一般的な依頼内容なのかもしれない。例えば家出した子供を探してくれだとかそんなところだろう。浮気の証拠集めと並んでイメージがしやすい。


「そこで頼まれた探し人というのが――」


 ええと、どこにやったかな……などとぼやきながら、町子さんは自身の服装のポケットというポケットを探る。すると目的のものはすぐに出てきた。それは一枚の写真と手帳であり、その内の写真の方を僕たちが見やすいようにテーブルの上へと置かれる。


屋敷やしき信彦のぶひこさん。四十六歳の男性で、ある上場企業の社長さんです」


 写真を覗き込むと、そこには町子さんの言う通り、恰幅の良い中年男性が写っていた。そして四十六歳で社長さんということは、きっと優秀な人なのだろう、と僕は思った。その先入観もあってからか、写真にある男性からはどこか知的かつ人望のある印象を受ける。


 岩本警部は写真から顔を上げ、町子さんに「この写真がどうかしたのか」とでも良いたげな視線を向ける。町子さんは再度手帳に目を落とし続けた。


「依頼人は――ああ、これは守秘すべきことなので他言無用でお願いしますね――依頼人は屋敷さんの奥さんで、屋敷さんは一年ほど前に仕事に出かけたまま帰ってこなくなってしまったようです。なので正確には現在の彼は社長という立場ではありませんね」

「誘拐でもされたのでしょうか」


 柳警部補がもっともな予感を口に出す。確かに一企業の社長ともなればありえる話だ。


「いいえ、奥さんや会社に身代金を要求する連絡がありませんでしたし、何より、後から屋敷さんの部屋を調べると、失踪宣言書が見つかったので、警察は事件性はないと判断しました」

「失踪宣言書?」


 僕は聞きなれない言葉にオウム返しをする。


「書いて読んだ通り、失踪を宣言する書類のことだよ、少年。これがあると基本的に警察は捜査しないんだ」

「どうしてそんなものが必要なんです?」

「誰だって、全てを投げ出して逃避したくなることくらいはある。そんな時に一々警察沙汰になっても困るでしょう?」


 なるほど、社長という立場にもなれば、確かにそういうものが必要になるかもしれない。


「それで、この男がどうだって言うんだ」

「この事件の重要な鍵を握る人物なんですよ、彼は」


 そして町子さんは一同の顔を見渡すと、やがて一人の顔に視線を固定した。菅原桜さんだ。どうやらこれまで遺体の発見者、そして通報者ということでしかこの事件に関わりを持っていなかったはずの彼女が、何か僕たちの知らない関係があるらしい、と僕は直感した。


「元を辿れば、いわちゃんとヤナギ―がこんなにも早く現場に駆け付けたのは、あらかじめさっちゃんがストーカーの被害にあっていたからでした。警戒体制の中で死体が出たものだから、

急な通報であったにも関わらず、人殺し専門の部署の刑事さんが迅速に派遣された。そうですね?」


 岩本警部が首肯する。


「ではさっちゃんにお尋ねしますが、ストーカーの被害はいつからありましたか? もしかして、一年ほど前じゃありませんか?」


 その言葉に、僕や岩本警部たちはぎょっとした。町子さんの問いかけは、“問いかけ”というよりも“確認”というニュアンスが感じられた。つまり彼女はすでにある程度、この事件の概要を掴んでいるのだ。もしもストーカーが始まったのと屋敷社長が行方をくらませたのが同時期だとしたら……。僕たちは疑惑と困惑の混じった視線で、菅原さんの顔を凝視した。


「え、ええ、確かに、あなたの言う通り、私が誰かに付きまとわられているのに気が付いたのは、丁度一年くらい前です」

「そのストーカーについて、何か知っていることは?」


 菅原さんは静かに首を横に振る。


「夜道で後をつけられただけなので、相手が誰かとか、そういうのは……」

「逆を言えば後を尾行された以外の被害はなかったわけですね」

「ええ、不思議なことに」

「確かに被害がそれだけならば、警察もストーカー犯の素性を探るにも限界があるでしょう」

「では、関ヶ原町子さんは、あれが誰だか知っているのですか?」


 それこそまさに、僕たちがこの場合最も気にかけている事案であった。この話の流れで、ストーカーと屋敷社長失踪が無関係というわけにもいかないだろう。


 町子さんはゆったりと頷いてみせた。


「そのストーカーというのが、屋敷信彦その人なのですよ」


 そして町子さんは、この毒殺死体とストーカーと失踪した社長とが複雑に絡み合った事件の解明を開始したのだった。

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