遺書

 関ヶ原町子様。


 貴女がこの手紙を受け取っている頃、私は既にこの世にはいないでしょう。この手紙は私の過去にまつわる告白を記したものであり、ここに書かれていることは全て実際にあったことだとお思いになって結構です。


 初めに私は関ヶ原様にお礼を言わなければなりません。貴女は全ての真実を見抜きながらも、こうして私にこの手紙をたしなめる猶予をお与え下さいました。また、警察に報告しても良いものを、見逃し、私に自らの命を選択することをお許しになって下さいました。私はこのことに関して心から感謝しております。ありがとう。


 さて、K島での出来事を記すにあたって、関ヶ原様の推測はほとんど真実そのものでしたので、私がこれからするのは答え合わせ――いいえ、一種の“不幸自慢”だとお思い下さって結構です。


 関ヶ原様の推理通り、私、俵山良子こそが、何を隠そう、話に登場したCなのです。私はK島で生まれ育ちました。島での私は人には恵まれていましたが、しかし裏を返せばそれ以外のものはまるでなかったのです。店も学校も図書館も、現代日本では当たり前のそれらが一切、K島にはありませんでした。知識欲の強い私にとって、これはなんと不幸なことだったのでしょう。


 私はかねてより島の外に出ることが夢でした。島の日本企業の方々が度々口に出していた彼らの故郷――日本に行ってみることが私の強すぎる知識欲を満たす唯一の希望でございました。そのために私は日本語を覚えました。他の国の言語も覚えました。これは関ヶ原様は、例の大学教授(私も彼の名前をよくは知らないのです)に教わったものだとお考えのようでしたが、正確には島を訪れたあらゆる人間に教わりました。幸いなことに私には言語を覚える才能があったようで、私の語学力はみるみるうちに伸びていきました。これが島を出た後になった通訳という職種へと繋がっていくのです。


 言語を覚えることができても、自らの運命を変えるというのはそれほど簡単なことではありませんでした。どうやって島の外へ出るのか。外へ出たとして、どのように働き、生活していくのか。また、私の唯一の肉親である母は私を宿の後継ぎにするつもりでございました。それが一種のしきたりとして私を縛り、そして度々不幸を嘆く大きな元凶ともなりました。


 そんなある日、あの大学教授が島を訪れたのです。


 彼は私に言いました。日本国籍を与えよう、島から連れ出してあげよう、と。その代わり、毒を井戸に入れるように、と。彼の目的は島の日本企業に打撃を与えることで、その企業のせいで亡くなった娘さんの復讐をすることでした。あの井戸は全ての村人が使用する大切な水源です。あそこに毒を入れればどうなるか、当時の私がいくら子供であったとしても、それを推し量るのは容易いことでした。


 しかし結果を鑑みれば分かる通り、私はそれをしました。最後まで迷っていましたが、あの日、あの日本人学生と出会ったことで、私の日本への憧れは限界に達したのです。


 松島さんがK島を訪れた理由を知ったのは、それからずっと後のことです。


 島を出た私は手筈通り日本へ行き、大学教授と再会しました。それまで私はなぜ彼が松島さんを島へ寄こしたのか、不思議に思っていました。私がいつかあの島で事件を起こすことは、彼でも予想していたはずです。それなのになぜ大切な教え子を……?


 その答えは、大学教授から直接聞かされることになりました。


 彼は言いました。


「娘が死んでしまったのに、なぜ娘と同い年くらいの若者がのうのうと生きているのか。私は周りの若者連中が憎くて仕方がない」


 松島さんは、大学教授のまったくもって身勝手な私怨によって殺害されたのです。


 いえ、身勝手ということならば私の方がより罪深いでしょう。何はともあれその大学教授は自らの手を汚していませんから。


 その事件から一年後、教授は自ら首を吊りました。


 正直、私もその時に死のうと思いました。あの殺人がどれほど恐ろしいものだったのか、それを考える度に震えが止まりませんでした。その罪の大きさにいつ圧し潰されてもおかしくはありませんでした。


 しかし私は死ぬことができませんでした。知識への欲求が、私をこの世へと引き留めてくれました。しかもこの頃になると、自分の語学の才能がある種特別なものだと実感することができたのです。それは島にいた時には考えられないような快感でした。


 それから私は生きました。実に50年近く。結婚し、子供もできました。その一面だけ見ると確かに幸福だったかもしれませんが、どこまでいっても島でのことが罪の意識として私に纏わりつきます。あるいはそれは島での暮らし以上に私を苦しめ、不幸のどん底へと落としました。


 それからこれは決して言い訳をするつもりではないのですが、私は島を出てから一度たりとも他人様へ迷惑をかけたことはございません。島での一件を除けば誰に訊かれても胸を張って善人だったと言うことができます。ええ、これは心から本当のことです。


 夫に先立たれ、子供も昨年事故で亡くしました。もう私には残されているものはありません。この世でできること、やるべきことはすべてやりつくしたつもりです。あの事件に対する贖罪以外は。


 この手紙を書き終えたら、私は自ら命を絶とうと思います。それが贖罪になるかは分かりません。もしかしたら、他人から見ればただの私の自己満足かもしれません。しかし、私はもう考えを変えるつもりはないのです。


 公的機関の介入において、関ヶ原様には決して迷惑をかけないことを配慮いたします。おそらく私の死体と共に発見されるであろう遺書も、当たり障りのない偽物です。私の本当の気持ちはこの手紙にだけ記そうと思います。


 さて、私の話すべきことはこれで全てです。関ヶ原様、そして記録係の犬山様、どうかお元気で。そろそろ逝きます。では――

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