語り手と聞き手

「それで、その晩に起こった事件というのは……?」


 僕は語り手・俵山婦人に尋ねた。


 関ヶ原探偵事務所――既に陽は完全に落ち、室内は照明の柔らかな光で包まれている。俵山さんの話にはまるで当時、その場所にいたのではないかと思う臨場感があり、思わず僕も記録を忘れそうになるほどだった。


 当の名探偵はどんな様子なのかと言えば、話の序盤こそ相槌を打ったり度々質問をしたりしていたのだが、現在は安楽椅子の上に両膝を立て、物憂げな表情で身体を前後ざせているだけだ。だから話の後半は僕が聞き手に回ることになってしまった。しかし町子さんのことだから、話はきちんと聞いているに違いない。聞いた上で、何か推理をしている最中なのだろう。


 俵山さんは紅茶の最後の一口を飲み干すと、僕の質問に答えてくれた。


「人が……」

「人が?」

「死にました」

「死んだ……?」

「ええ……たくさん……」


 ――村が一つ消えてしまうほど。


「どうして……?」


 僕は思わず呟いた。いくら小さな村とはいえ、数百人は住人がいたはずだ。それが一晩で全滅……? あり得ない。


「その謎を、関ヶ原さんには考えていただきたくて参りました」


 俵山さんはそう言うと、町子さんへ視線を向けた。僕も振り返り、町子さんを見る。彼女は閉じていた眼を静かに開け、俵山さんに尋ねた。


「いくつか質問があります」

「私に分かることなら何でもお答えしましょう」

「それだけの惨事があったのなら、当然、現地の警察や政府から何らかの発表があるように思われますが……」

「はい、それは勿論ありました」

「何と?」

「日本企業による工業廃水が原因ということでした」

「つまり、住民の死亡理由は何らかの化学物質による中毒死――ということになりますね」


 ふむ、と彼女は頷く。


 つまり話によると、工業廃水が井戸が通じる地下水脈に染み出し、それを飲んだ住民が死亡したということだった。


 町子さんに引き続き、僕も質問してみることにする。


「あの、それでお話に登場した松島さんという青年は……?」


 僕の問いかけに、その老婦人は静かに頭を振った。予想はしていたけれど、やはり少し悲しい。遥か遠くの国の人間が死んでもどうにも現実味が感じられないけれど、同じ日本人がそうなれば嫌でもリアルを実感させられてしまう。


 そしてそれは、どうやら俵山さんも同じようだ。彼女は松島青年に関する話をする度に悲しそうな顔をする。もしかしたら彼女にとっての松島さんは大切な人だったのではないだろうか。1970年代の話となると、彼女の年齢にも合致するだろうし。


「お話はよく分かりました」


 町子さんが徐に立ち上がり、僕たちの方を見る。


「つまりミセス俵山は、その事件が発表にあった中毒死ではないと言うのですね?」


 老婦人が首肯する。


「そう思われる根拠はありますか?」

「いいえ……」

「では、勘でそう思われたのですか?」

「そうなりますね」


 勘って……。


 そんな不確かな、と反論しようとしたところを、町子さんに先回りされた。


「勘というのはそう侮れるものじゃあないよ、ワンコ君」

「はあ、そういうものでしょうか」

「そういうものさ。さておき、今回のお話はただの勘というわけでもなさそうですが」


 そう言って、町子さんはまた俵山さんの方を見た。彼女はその言葉にも首肯をもって答えた。


「実はこの話は、当時その島にいた私の友人に聞いたものなのです。政府の発表に違和感を覚えたのもその友人です。もっとも、その違和感も勘のようでしたけれど……だから関ヶ原さんには友人がなぜ違和感を覚えたのか――そちらの方も考えていただきたい、と」

「なるほど、なるほど。大方の話は理解しました」


 答えた町子さんの表情には、すっかりいつもの笑顔が戻っていた。何かに気が付いたのだろうか。彼女はそのエメラルドグリーンの後ろ髪をくしゃくしゃと掻くと、こう告げた。


「調査に三日ほど時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、大丈夫です。それで、報酬の方は……」

「いえ、報酬はいただきません」

「そういうわけにもいきません。仕事に対価は付きものです」

「私にとっては興味深い謎こそが何よりの報酬なのです。しかし、それではミセスの気が収まらないでしょう。そこで、もしも私が謎を解くことができたら、私のお願いを一つきいてもらいたいのです」

「ご安心下さい。とても簡単なことですから」


 町子さんはそう言うと、ニコリと笑みを浮かべてみせた。きっと彼女の言う通り簡単なお願いなのだろう。僕に対してさえそうなのだから、違いない。


 それから町子さんは俵山さんに対していくつか確認をすると、立ち上がった老婦人を送るべく部屋を出た。やがて戻ってきた彼女に、僕は尋ねる。


「あの、町子さん、さっきの話に関して何か気付いたことでもあるんですか?」

「まあね、もう大体の部分で謎は解けてるよん」

「ほ、本当ですか⁉」

「うん、大マジ」


 何てことだ……まさかさっきの話だけで何かに気付いただけでなく、謎が解けたっていうのか。


「だったら、答えを教えてもらえませんか?」


 一体どうして、村人全員が死んでしまったのか。松島さんに対する同情もあるけれど、純粋に真相が気になる。


「ダメ。教えてあげない」

「何でですか⁉」

「何でも」

「いや、でもですよ、僕は今回記録係をお願いされています。真相なくして記録をすることはできませんよ」

「そうか、うーん……」


 町子さんは少し首を傾げたかと思うと、すぐに答えた。


「それじゃあ三日たったら聞かせてあげる。やー、私もまだ不確かなことあるしさ、それをはっきりさせたら教えてあげるよん」

「そう、ですか……」

「まあ、そう心配なさんな」


 町子さんはそう言ってぽんと僕の頭に右手を置くと、優しく撫でた。それはまるでいつもしているような愛犬に対するような撫で方というより、弟や子供に言い聞かせるような手つきだった。


 ――その翌日、俵山さんが亡くなった。

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