安楽椅子探偵/不幸自慢

呼び出し

 誰にでも悪癖というのはあるように、僕、犬山城太郎にも不幸体質を自虐するという悪い癖がある。ところがその事件に巻き込まれた、少なくとも直後は、この悪癖を絶対に改めようと思わざるを得なかった。つまりそれだけこの一件が抱えている不幸の大きさが大きかったのである。


 それは一本の電話から始まった。僕の携帯電話に関ヶ原町子の名前が表示されるのはかなり珍しい。というより初めてのことだった。僕の方から彼女にコンタクトをとることは何度かあったけれど、しかし向こうから電話がかかってくるのはこれまでになかったことだ。何はともあれ、僕はその電話に出ることにした。


「もしもし、犬山です」

『ああ、ワンコ君、これから暇はあるかい?』

「暇ですか?」


 聞き返しながら、僕は左手の腕時計に視線を落とす。時刻は午後四時二十分。放課後を迎え文芸部室に顔を出したのは良いものの、今日に限ってはツバキのシンジも来られないということで、正直暇を持て余していたところだ。家に帰るにしてもまだ少し早いような気もする。


「大丈夫ですよ。どうかしたんですか?」

『君は確か文芸部だったよね。つまり文章執筆に関してはそこらの一般人よりも高い能力を有しているわけだ』

「まあ……少し大げさな物言いですけれど」


 とはいえ、僕も文芸部に入ってからもう一年以上も経過している。上手下手は別として、基本的な文章のルールくらいは把握しているつもりだ。


『ちょっと頼みたいことがあるんだよね。これまでの貸しを返してもらうってことでさ』

「そういうことなら是非力にならせてもらいたいですけど、それで僕は一体何をすれば?」

『なに、ちょっと私ととある婦人の会話を記録してもらえれば良い』

「会議の議事録……みたいなものですか?」

『それでも良いけれど、どっちかって言うとミステリーにおける助手役やワトソン役ってところかな。好きでしょ? ミステリー』

「まあ」


 生返事を返したは良いけれど、僕が町子さんの助手役というのは些か役者不足じゃあないか? それに第一、彼女とはまだ何度か会った程度にすぎないし、その大半で僕は容疑者という立場で彼女に助けを求めていただけにすぎない。要するに、彼女の推理の役に立ったことなど一度もないのだ。


『そう卑屈になることないと思うよ? 君は君が思っているよりも聞き上手な面がある』

「そうですか?」


 そんなこと、今まで言われたことがなかった。


『それに君にとっても良い経験になると思うよ。君は不幸なのが自慢みたいだけれど』

「そんなことないですよ、自慢だなんて」

『君は不幸なのが自慢みたいだけれど』


 町子さんはより語気を強めて繰り返す。僕はそんなに自分の不幸体質を自慢していたのだろうか。確かに友人の前で嘆いたことは何度かあるけれど……自慢のように聞こえていたのなら態度を改めようと思う。


『まあ、そこまで気にする必要もないんじゃないかな。君の不幸には謎が付きまとう。少なくとも私は嫌いじゃあないよ』

「はあ、どうも……それで、僕の体質が何か?」

『ああ、そうそう。君の不幸体質なんて、まったくもって問題にならないほどの、とびきりの不幸自慢が聞けると思うよ』


 その言葉には僅かに笑い声が混じっていた。不幸に謎が付きまとうのなら、とびきりの不幸にはとびきりの謎が付随しているということだろう。もしも町子さんが今目の前にいたら、きっと黒縁眼鏡の向こうあるその大きな両目をキラキラと輝かせていたに違いない。


 とはいえ、話を聞いてまとめるだけでこれまでの借りがチャラになるというのなら僕にとっては願ってもみない機会だ。町子さんのことだから無理難題を押し付けてくるなんてことはないと思うけれど……それでも返せる恩は返していきたい。


「分かりました、すぐに行きます。それでどこに向かえば?」

『ああ、今から住所を言うからメモしてくれる?』


 僕は町子さんから告げられた住所を手帳にメモして電話を切った。

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