消失の秘密

 図書室から百冊の文庫本が消えた。


 犯人、犯行方法、犯行時刻、犯行動機――その全てが不明。いや、厳密に言えばある程度絞り込める条件もある。


 例えば犯行時刻。ツバキや他の図書委員の証言を元にすると、件の文庫本は昨日の放課後までは間違いなく書棚に並んでいたということだった。加えて図書室の鍵の管理状況から鑑みるに、犯行は昼休みを除いて今朝の午前九時前後から放課後、ツバキが気付くまでの間に行われたということになる。これが休み時間に行われたものなのか、それとも授業中に行われたのかは分からない。犯人が生徒なら授業中の犯行は不可能だろうけれど、教師の場合は可能だろう。


「どうかな。犯行の規模から考えて、大人の犯行には思えないけどね。第一理由がないし」


 となれば生徒がやったということだろうか。だがしかし、ここでも問題が一つ浮上した。生徒が犯人だと仮定して、事実を整理すると犯行は各授業の間の十分間の休み時間に行われたということになるけれど、そんな短い時間では百冊の本を盗み出し、そして隠すのは不可能だ。


 ならば共犯者がいたのだろうか。しかし町子さんはこの案も否定した。


「生徒にせよ教師にせよ、そもそも動機がない。転売して労力やリスクに見合う利益が得られたと思えない。怨恨が動機だとしても、図書室や図書委員にそこまでするほどの恨みがある人間がそうそういたとも思えないよ」

「愉快犯とか」

「もっとない。図書室の本がいくら盗まれようと、そこまで騒ぎにはならない。前の事件でも言ったけれど、学校という環境には隠蔽体質がある。たかだか図書室の本が盗まれたくらいじゃあ、警察を介入させることはないだろう。せいぜい二、三日学校の噂になってオシマイさ」

「それじゃあ、町子さんは一体何が動機だっていうんです?」


 町子さんは得意げにニヤリと笑って答えた。


「ここまで動機を潰したのだから、考えられることは一つだよん。犯人はのさ」

「はあ?」


 


 一体どういうことだろうと僕とツバキは顔を見合わせた。僕はおろかツバキにすらその言葉の意味が分からないとは……これは流石に町子さんの説明が悪いと言わざるを得ない。


 町子さんは「いや」と首を横に振って、


「そもそもという言い方が良くない。と言うべきだ」

「その二つはどう違うんです?」

「前者には犯罪の自覚があり、後者にはその自覚がない――ということでしょうか」


 ツバキの言葉にその通りと町子さんは指さしてみせる。


 いや、しかし、正当な理由で持ち出しそうな人間にはツバキが一通り話を聞いている。当人に巡り合えなかったとしても、その過程で何らかの事情を知っている人間に行き当っているはずだ。だが、それはない。生徒も教師も、皆一様に知らないと答えたのだから、犯罪の自覚のない――正当な理由で持ち出した人などいないのでは?


「いやいや、これがね、無理筋のように見えて、正当な理由があると仮定すると全てが矛盾なく繋がるのさ。正当な理由があるのなら放課後に自由に鍵を開錠することも可能だろう。休み時間だなんて限定された期間に縛られることもなく、百冊の本をゆっくり持ち出すこともできる」

「それは分かりますけど……その言い方だとまるで犯人は先生の中にいるみたいじゃないですか」

「その通り!」


 町子さんが大きく頷いてみせる。


 いやいや、犯人=教師説は、さっき町子さん自身が否定した案じゃないか。


「私が否定したのは今朝から放課後にかけて教師が犯行に及んだという説だよ。そして今私が言っているのは、教師が昨日の夜に百冊の本を持ち出したということさ」

「先生が本を? でも、一体何のために」

「それさ! ワンコ君が言っていた“動機”という点こそ、この謎を解明する最大の鍵だったんだよ!」

「それはもう聞きました! 問題はどんな動機があってそんなことをしたかってことです。ツバキが調べても何も出てこなかったんですよ?」


 ツバキの有能性に関しては、町子さんも認知するところだろう。そのツバキが関係のありそうな人物に話を聞いて回って何も出なかった。これは、彼らが事件に無関係だという証拠なのでは?


 僕がそう反論すると、町子さんはちっちっちと人差し指を振ってみせた。


「ただし見逃している条件があるでしょ? Jちゃんが聞き込みをした時に覚えた違和感――何かを隠しているような感覚。Jちゃんの有能性を信頼するのなら、無視できない手がかりだと思わない?」


 確かに。でも、それが事件に関係しているとして、一体どういう繋がりがあるのだろうか。


「つまりだね、教師陣は知っていたんだ。図書室から百冊の本が消えた理由をね!」


 町子さんの話をまとめるとこういうことだそうだ。


 昨晩――生徒の完全下校時間が過ぎた後、教師の間に百冊の本を図書室から運び出す正当な理由ができた。理由が正当なのだから鍵を使って図書室に侵入したのだろう。下校時間も過ぎているし、教師が何人がかりで運び出したのかは分からないが、時間は十分にあったはずだ。


 この事実は司書の先生は勿論のこと、その他の教師も承知の上だったはずだ。しかしそれを生徒に――事情を聞きに来たツバキに話すわけにはいかなかった。


「どうして。正当な理由なのに」

「持ち出す行為自体は犯罪ではないが、その先に犯罪、ないしはそれに近いスキャンダルがあったとしたら?」


 学校には隠蔽体質があるという町子さんの言葉を思い出した。しかし、生徒に話すことができない正当な理由って何だ?


「その前にだね、一度原点に立ち返ってみると良いよん」

「原点?」

「文庫本、犯罪――ときたら、君なら何を連想する?」


 文庫本と犯罪の関連性? 何だろう。すぐに思い付くのはミステリー小説くらいだけれど。


「それは君の趣味が偏っているだけだよ。Jちゃんはどう? 何か思い至ることはない?」

「そうですね、万引き――とか?」

「お見事!」


 町子さんが実に愉快そうに手をパンッと鳴らした。さっきから気付いていたけれど、どうやらこの二人は波長が合うらしい。やはり頭の良い人間同士なら何か通ずるところがあるのだろうか。


 町子さんは得意げに解説を続ける。


「この近くの書店でも問題になっているけれどね、学生による万引きが多いらしい。さてここで話を元に戻すけれど、どうかな? 正当だが生徒に知られるわけにはいかない理由。それが万引きに関するものとして、何か思い付く筋書きはないかい?」

「そう言われましても……」


 僕は頬を掻きながら、チラリとツバキの方を見た。すると彼女は何かに気付いたようにはっと顔を上げたのだ。


「まさかあの本が万引きされたものだと言うのですか?」


 町子さんは肯定する代わりに指をパチンと鳴らした。


「木を隠すなら森の中というやつだよ。図書室の時代小説のコーナーは動きが少ない。だから本来ならばないはずの本が紛れ込んでいたとして、何ら不自然じゃあない」

「いや、でも、百冊もの本だなんて……」

「本当に見事な犯行だよね。一人でそれだけの本を盗んだというのなら、もはや万引き犯というより怪盗と呼ぶのが相応しいよ。まあ、盗まれた書店の方からすれば堪らないだろうけれど」


 万引きのせいで個人経営の書店が店を畳むことになってしまったと言う話は聞いたことがある。もしも町子さんの言うことが本当なら、読書を趣味としている僕にしてみればまったく許せない話だ。


 さらに町子さんは自身の推論にこう加えた。


 万引き犯には利益云々よりも盗むことに快感を覚える盗癖があったのだろう。しかし数多く万引きするにあたってモノを隠しきれなくなった。だから木を隠すなら森の中――学校の図書室に隠したのだ。元々書架にあった本も少しずつ他の棚に移したのだろう。ツバキは記憶力が良いけれど、しかし図書委員は彼女一人ではない。例え本がいくつか動いていたとしても、借りられたか、他の委員が整理のつもりで移動したのだろうと考える。それが積もりに積もって百冊分――というのが事件の前提条件としてあるそうだ。


「だがしかし、さしもの大怪盗もついに馬脚を露した。具体的な失敗は分からないけれど、警察に捕まることになったんだね。そして調べてみるとこれまで盗んだものを学校の図書室に隠しているという。すぐに警察から学校に連絡が行き、教師陣は慌てて図書室の鍵を開けて指定された百冊分の文庫本を持ち出し、警察に証拠として提出した――というわけさ」


 だからツバキの質問にしらばっくれるような返答をしたのか。学校側としてはそもそも万引きがあったなんてことも隠したいだろうし、それが百冊分ともなれば尚更だ。


「それが真実なら、多分、押収された本は戻ってきませんね……」


 ツバキが呟いた。


「残念だけれど仕方ない。元々なかったものと思うしかないね」

「そうですね……でも、万引き犯が捕まったというなら良かったです。私も本を愛する人間として、許せませんから」


 そう答えた彼女の表情は、残念といよりもむしろ満足げだった。きっと彼女の言葉は心からのものだったのだろう。


「さて、と――」


 町子さんが背中を真っ直ぐに、ぐっと背伸びをする。


「謎も解けたし、私はそろそろ帰ろっかな。ワンコ君たちも帰った方が良い。もうすぐ完全下校時刻だよ」


 言われてみて改めてスマホを見ると、時刻は午後六時五十分。町子さんの言う通り、あと十分ほどで完全下校時刻だ。


「あの町子さん、最後に一つだけ」

「何だい?」

「ここまでした万引き犯――一体どんな人なんでしょう」

「そうだなぁ」


 町子さんは少し考えるように視線を宙に投げかけたが、すぐにまた口を開いた。


「私の想像でしかないけれど、頭の良い人だったと思うよ。警察から連絡があって教師陣が本を回収したのは十九時過ぎということは、犯人が捕まったのもそのすぐ前だろうね。その時間に外に出回っているのは、おそらく予備校か学習塾に通っている人物だろう。極めつけは自分が盗んだ百冊の本のタイトルを覚えているということさ。第一、百冊以上の本を万引きするなんて、常人にできることじゃあない。だから犯人は多分、成績が良く、表向きは真面目で通っている――そんな優等生だろうね」


 まあ、私の想像でしかないけれど、と町子さんは改めて付け加えることで話を綴じた。

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