文芸部室
「ねぇ、どうすれば良いと思う? シロタロウ」
放課後の文芸部室。窓から差し込む夕日を背景に、少女はテーブルの上に肘を付き頬を乗せている。視線は部室隅の本棚――正確には本棚の前の空虚に向けられていた。その格好すらも初めて相談を受けた時から変わっていない。彼女が不貞腐れた時によくとるポーズだ。
「どうするも何も、残念ながら僕にはどうすることもできないよ。応援はしたいけれど……」
と、僕も最初の恋愛相談の時と同じように答える他なかった。
彼女に初めに相談を受けたのは今年の冬――二月の頭のことだった。バレンタインを数日後に控えたその日、ツバキはシンジに対する気持ちを僕に相談してくれた。曰く「世界で一番好きで、彼以外のことは考えられない」らしい。正直なところ完璧超人だと思っていたあのツバキが僕を頼ってくれたことは嬉しかったけれど、しかし事態はそう簡単じゃあなかった。
ツバキが恋する相手――牧村進士には恋人がいる。同じ中学出身の女子で、おそらくこの高校で一番可愛い人物だ。可愛いだけでなく、誰とでもすぐに仲良くなれてしまうような、ある意味ツバキとは真逆の方向で完璧な人物だ。ツバキは確かに尊敬に値する人物だけれど、それでも一般的な女子の魅力度で言えば、到底太刀打ちできない人物が、現在のシンジの恋人であり、ツバキのライバルというわけだった。
ツバキの恋を応援したい気持ちは確かにあるけれど、それはつまりシンジの恋を邪魔することに繋がる。それはできない相談というやつだ。僕はツバキのことが好きだけれど、同じくらいにシンジのことも好きなのだ。それに誰かの恋愛を応援するために誰かの恋愛を邪魔するというのは、明らかに道理に適っていないことだ。
いや、誰もが幸せになる方法は、あることはある。
シンジがツバキとも付き合えば良い。一種のハーレムというやつだ。これならシンジもツバキも不幸にならずに済む。
とはいえ、これはあまりに安直すぎる回答だ。第一、シンジはともかくとして、彼の恋人がそれを許してくれるとは限らない。いや、それどころかかなり高い確率で拒否されるだろう。人として当然だ。それにもしもその問題がクリアされたとして、二人の女子と同時に付き合う人間をどう思う?
「そんなマキムラは嫌だ。見たくない」
「ね? そうでしょ」
「分かっているならどうしたら良いか考えてよ、シロタロウ」
「そう言われても……」
むしろ“考える”という行動に適しているのは僕よりもツバキの方なんだけどな。頭良いし。さりとてこれは彼女自身の、しかも人間の最も感情的な部分に則した問題だ。通常の考え方や“頭が良い”は通用しないのだろう。
僕が頭を悩ませていると、ついにツバキはその頭を机に打ち付けた。ゴンッという鈍い音が部室に響き、その直後、彼女の深い――とても深いため息が聞こえてきた。
「何かもう、人としてどんどんダメになっている気がする、私……」
「いや、そんなことないよ。そりゃあ、確かに今は上手くいってないけどさ、それでもツバキは頑張ってるって! テストだって前と同じようにずっと学年トップだし、シンジの前でもちゃんと話せているしさ!」
「お世辞はいらない」
「別にお世辞ってわけじゃ……」
「あ、いや」
ツバキが慌てて顔を上げる。そしてバツが悪そうに僅かに視線を泳がせながら、
「ごめん……シロタロウはいつも相談に乗ってくれているのにさ」
「いや、いいよ。ツバキの気持ちも分かっているつもりだし」
分かってはいてもどうしようもないというのが、歯痒い限りだけれど。
しかしこうなると、僕やツバキがとれる具体的な選択肢はないと言わざるを得ない。シンジを傷つけずにツバキの望みが叶う方法と言えば、あとはもうシンジとその恋人が自然に破局するのを待ち、その後にツバキと付き合ってもらうしかないだろう。
「それって何年後かな」
ツバキが再度、テーブルに肘を付きながら聞き返した。
「さあ……でも、学生時代に付き合っていたカップルがそのまま結婚するのはレアケースって言うし」
「それって、仮に私がマキムラと付き合っても結婚はできないってこと?」
「……」
そうは言っていないけれど。
というより、僕はそれでも良いとさえ思っている。一時的に付き合っている男女が将来的に結ばれることがなかったとしても、その恋が偽物というわけではないだろう。むしろ学生の時分でそこまで将来のことを考えている人間の方が少ないはずだ。大学生くらいになればいざ知らず、高校生の身分なら尚の事そうだ。
「私なら永遠にマキムラを愛することができるのに」
ツバキは平然とそう言ってのけたが、きっと彼女なら本当に、一人の人間を愛し続けるという甚だ人間離れしたことでも難なく実行できるのだろう。椿木葵を一般の人間の尺度で計ってはならない。全人類が彼女と同じように考え、行動できるようになれば、きっとこの世界から戦争や貧困は消えてなくなるはずだ。いわば人類進化の最先端――それが僕が思うツバキという人間である。
とはいえ、意思の強さと高い能力――その二つを合わせ持つツバキでさえ思うようにできないのが恋であり、人類が人生という科学を追究するにはまだ幾ばくかの歴史が必要だと確信せざるを得ない、最も代表的な例だとも言えよう。
「シロタロウって、見かけによらず詩人なんだね。それとも哲学者気取り?」
「初めて言われたよ。悪い気はしないれど、僕が詩人や哲学者を名乗るのは分不相応だよ。その二つの称号はツバキに譲る」
「恋愛一つ上手くやれていない人間が名乗るものじゃないでしょ」
「そうかな。恋愛について真剣に考えている時点で、僕よりもよっぽど相応しいと思うけれど」
少なくとも、僕は“恋愛”と聞いて“結婚”まで考えたりしない。本当は考えるべきなのかもしれないけれど、高校生なら想像できないのが普通だと思う。
ところで、とツバキが口を開く。
「この前の交流会では大変だったみたいね」
「まったくだよ。下着泥棒には間違われるし、親友は助けにきてくれないし」
「そんなの私が知るわけないじゃない。それに大変だったのはこっちも同じ」
「何かあったの?」
「何も。ただ憧れの男子と二人にされたってだけ」
「二人って言っても、白羽の文芸部員もいたじゃないか」
それにあれは僕なりに気を遣った結果でもある。どちらかと言えば慎重派の僕が初めて入る女子高で単独行動をとるなど、友人のためを思っての行動以外の何物でもない。ツバキの恋愛に関する問題を解決するにあたってシンジの邪魔をするわけにはいかないけれど、二人が話すきっかけを作るくらいは許してもらいたいところだ。
「そんな気の遣い方はいらない。というか、むしろ余計に苦労することになったし」
「どういうこと?」
「ヒシヒシと感じるのよね、白羽文芸部の『アンタ牧村君の何なのよ』ってオーラが」
「あー、それはそれは……」
まあ、向こうの文芸部員の目当てがシンジだというのは薄々気付いていたけれど……でなければ、企画が持ち上がってから一カ月足らずで交流会などという形にもっていけるわけがないのだ。たとえシンジほどのコミュニケーション能力があったとしても。
「ごめん、それは僕が無神経だった」
「まあ、良いけど」
「それで、そんな白羽女学園文芸部の面々に、ツバキは何て?」
「別に大したことはしてない。ただ会話の節々にマキムラには彼女がいるってアピールしただけ」
……。
「ちなみに、相手の反応は?」
「元々興味本位って感じだったし、露骨に媚びてくる輩は消えたわ。ざまあみろって感じね」
怖えー。恋する女子怖えーよー。
僕は互いに牽制し合う女子と、その間に挟まれるシンジを想像した。下着泥棒の汚名を着せられた僕こそが唯一被害者たりえると思っていたけれど、どうやらそれは早合点だったらしい。シンジも十分被害者と言えるだろう。
いや――
「……さらにちなみに、ツバキ自身は?」
「察しが良いね。うん、マキムラに恋人がいるってアピールするたびに心が痛くなった。何ならその場で死にたくなった」
誰も幸せにならない戦争が、そこにはあった。
もしもその時、ツバキの手に爆弾でもあれば、白羽女学園文芸部の面々を巻き込んで自爆していたかもしれない。
それにしても、彼女の話を聞いているだけでも悲しくて泣き出してしまいそうだ。それと同時に早々に部室を出たことに安堵している自分もいる。
「まあ、でも、やっぱり窃盗犯に間違われることに比べたら大したことないわね。……また例の名探偵に助けてもらっんだって?」
「関ヶ原町子さんね。うん、彼女がいなかったらと思うとぞっとするよ」
「私に言わせてもらえば、すぐに私たちを呼ばなかったことこそぞっとしない話だけれど」
正直それも考えたけれど、ツバキたちに迷惑をかけたくないと思ったのだ。それにもしも彼女とシンジを呼んだとしてそう簡単に謎を解けたとも思えない。むしろ期待できるのは交渉による減刑だけれど、それだってこじれたら部活間どころか学校間の対立に繋がりかねない。
それに被害者の立場になったとして、容疑者に肩入れしている人間の話を冷静に聞けるとも限らない。そういった意味でも、外部の人間でしかも法律に精通している町子さんを呼んだのは我ながら英断だったと思う。
「確かに判断としては悪くない。でも、名探偵に加えて私たちを呼んだってバチは当たらないんじゃない?」
「二人を僕の不幸体質に巻き込みたくなかったんだよ」
「その割には未練がましく見捨てた見捨てたって言っているけどね」
「そんな風に聞こえたかな」
「聞こえた」
「そっか……ごめん、これからは気を付ける」
「別に謝らなくても良い。でも、私はもっと巻き込んで欲しいって言ってるの。ここにマキムラがいたら、きっと同じことを言うと思う」
「そうかな?」
「そうよ」
シンジは良い奴だから、本当にツバキが言っていることと同じようなことを口にするかもしれない。もっと不幸体質に巻き込んでくれ、と。それは友人としてありがたい話だけれど、しかし本当にその言葉に甘えても良いものだろうか。
町子さんにしたってそうだ。僕は簡単に彼女に頼りすぎなんじゃないか? 本来ならば僕の問題は僕だけで解決すべきなんじゃないか?
「自分は主人公じゃない――シロタロウの言葉だったと思うけど、主人公じゃない人間が自分一人で事態を解決させようって方が無理なんじゃない?」
「痛いところをついてくるね……分かったよ。これからはすぐにツバキやシンジを頼ることにする」
「分かってくれれば良いよ。――さて、私はそろそろ行こうかな」
壁に掛かった時計を確認したツバキはそう言って立ち上がった。
時刻は間もなく午後の五時になろうとしている。ツバキが部室に来る時は、大抵六時くらいまでは残っていたはずだけれど……。
「何か用事でも?」
「図書委員の仕事がちょっとね。シロタロウはどうする? ここで勉強でもしていく?」
「あー、それは……」
確かに僕は部室で勉強をすることがあるけれど、それはあくまですぐ傍で色々と教えてくれるツバキがいるからだ。彼女がいないとなれば部室で勉強しようと、家で勉強しようと、そう変わらないだろう。
「僕も今日は帰ろうかな。勉強は家でするよ」
「図書室ではしないの?」
「周りに人がいると集中できないんだ」
テストまではまだ二週間ほどあるけれど、今頃は図書室はテスト勉強する生徒が大勢いるはずだ。大勢と言っても皆で楽しく勉強……なんて雰囲気じゃあない。基本的にはそれぞれが個別に集中して勉強するって感じだ。そんな中じゃあツバキに勉強を教えてもらうことも、楽しくお喋りすることもできない。というよりツバキの仕事の邪魔をするわけにもいかないだろう。
「じゃあ帰っちゃうのか」
「うん。何か用事でもあった?」
「いや、特には……あ、でも帰るっていうなら、部室の鍵をお願いしてもいい?」
「分かった。職員室に返しておくよ」
そう言って、僕はツバキが差し出した部室の鍵を受け取った。
図書室と職員室はちょうど逆の方向に位置している。だから僕たち二人は部室を出た段階で「また明日」と挨拶を交わし、別れた。
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