直接対決

「それにしても、上手いこと隠しましたねぇ。木を隠すには森の中――とは少し違いますが、ならまずバレない」

「一体、何の話ですか。というより、調査できる時間はもう過ぎていますよね? それに、そっちの男はさっき捕まったはずじゃあ……」

「調査時間は二時間。ですから私はちゃんと辞めたじゃないですか。ただしその後、もう一度調査してはいけないって話はなかったはずですよ? ワンコ君に関しては逮捕するには明らかに証拠不十分ですからね、あれはあくまで任意同行です。任意なら断ることも可能です」


 町子さんはそう言っているが、実際のところ任意同行なんてのは強制みたいなものだ。そこを曲げられるのは彼女の発言力の成せる技と言ったところか。そして一度解放されたからには、僕にはこの事件の顛末を見届ける権利がある。


「それで、町子さん。盗まれた下着の隠し場所っていうのは……?」

「ん? それはねー……ふふ……ふはっ、やっぱダメだー! 愉快すぎる!」

「は?」

「いやはや、ワンコ君、私は君が本当に羨ましいよ。どうしたらこんなに次々と面白い事件に巻き込まれるんだい?」

「冗談言ってる場合じゃないでしょう! とにかく、早いところ真相を教えて下さいよ!」

「アハハッ、ごめんごめん――さて」


 町子さんは黒縁眼鏡を僅かに上げて目尻に浮かんだ涙を拭うと、改めて桜間さんを視界の真ん中に捉え直した。そして彼女の細い人差し指が、すっと真正面――桜間さんの方へと向けられた。


「盗まれた杉山さんの下着があるのは、です」

「は……? ええと……」


 どういうことだ?


 隠し場所が、桜間さん?


「その通り。しーちゃんの下着を盗んだのはさっちゃんで、彼女はね、とても面白いことに、を隠し場所に選んだんだよ」


 当然ながら、身体検査の際に持ち物は全て調べられている。無論、スカートのポケットの中も。しかし桜間さんから盗まれた下着が出てくることはなかった。だが町子さんは桜間さんがまだ下着を持っているという。ならばそれは一体どこに……?


 疑問に思った直後、僕の中に一つの閃きが降ってきた。そんな、まさか、と思いつつ、それを口に出してみる。


「もしかして、桜間さんが今身に着けている下着が――?」


 僕の呟きにも似た疑問に、町子さんはニコニコとした表情を浮かべながら頷いてみせた。


 犯人・桜間優希は、盗んだ下着を自ら身に着けた?


 いや、でも、下着を盗むためだけに、そんなことをするのか?


「ワンコ君さぁ、そもそもこの事件を起こした犯人の動機は何だと思ってるの?」

「そりゃあ……怨恨とか?」


 と、僕は町子さんが一度掲げた案を再度持ちだして答える。


「もしもこれが怨恨を動機とした事件だったら、犯人は相当の間抜けだったとしか言えないよ。手がかかりすぎている。“盗む”のではなく“切り刻む”だったらまだ私も納得したけれどね」


 そもそも下着だけ盗む意味が分からないし、と町子さんは付け加えた。確かに、下着を盗むことができたのなら制服も一緒に盗み出してしまえば良いし、財布や携帯などの金目のものが手付かずなのもおかしい。そもそも恨みを晴らしたいだけならこんな密室なんて作らずに、もっと他のことをすれば良いのだ。こんな事件を起こすよりも陰険かつ確実な方法はいくらでもあるだろうに。


 だが現実問題、下着は消えている。盗まれている。ならば犯人の目的は一体何なのだろう?


「嫌だなぁ、最初に君が言っていたじゃないか。性的に興奮するからって」

「え、いや、でもそれは犯人が男性であった場合の話であって……」

「確かに女性間では成立しないかもしれない。けれど、から魔がさすってことはあるんじゃないかな?」

「あ」


 被害者・杉山詩織は学園のアイドルである。考えてみればこのプロフィールにこそ違和感を覚えるべきだったのだ。周りには同性である女子しかいない。そんな中でアイドルとはどういうことなのか。例えば宝塚に夢中になる女性は、この日本に五万といるだろう。そしてそんな一人に桜間さんが該当したとして、それは何ら不思議ではない。


「一説によればLGBT――いわゆるセクシャルマイノリティの人間は全体の約八パーセントと言われているけれど、私から言わせてもらえば女子しかいない環境で、女子が女子に恋をするなんてのは、ごく普通の、ありがちな話だと思うけれどね」


 桜間優希は正義感に溢れる女子生徒である。だがしかし、例えば僕を疑ったり、あるいは杉山さんを懸命にフォローしたりするのは、本当に正義感や責任感だけが理由だろうか。そこに憧れの感情がないと言えるだろうか。そんな意思を込めた眼差しで、僕は桜間さんを見つめた。


「さっきから何を言っているのか分からないわね。私が詩織のことが好き? そりゃあ、確かに良い友達だとは思っているけど、それが盗んだ証拠にはならないわ」

「お説ごもっとも。なのできちんとした証拠も用意しました」

「は……?」

「私の説が正しければ、犯人は盗んだしーちゃんの下着を身に着けていることになる。では、元々着けていたは?」


 町子さんはニヤリと笑みを浮かべる。そしておもむろにカーディガンのポケットに手を突っ込んだかと思うと、勢いよく何かを取り出した。


「そ、それは、そんな馬鹿な――⁉」


 桜間さんの表情が動揺で歪む。そして明らかに慌てた様子で、自分のロッカーを開け放つ。


 ――町子さんの手に握られていたのは、女性ものの下着だった。


「どうしたんです? そんなに慌てて。まさか自分の下着だと思いました?」

「……」


 状況が飲み込めたのだろう。桜間さんがゆっくりとロッカーの扉を閉め、こちらに振り向く。


「ごめんなさい。実はこれ、警察が来るまでの十分間で他の水泳部員から聞き出して、ここに向かっている途中で買ってくるようにお願いしたものなんです。言ったでしょう? 警察には知り合いが多いって。それにしても、おやおや? おかしいですね。今あなたは制服姿、つまりその下にはきちんと下着を身に着けているはずですが、何をそんなに慌ててロッカーを確認しているんです?」

「それは……」


 桜間さんは何とか言葉を捻り出そうとモゴモゴと、口の中で何かを唱えていた。その顔面は蒼白状態であり、額には汗が浮かんでいる。彼女からは明かな動揺が見て取れた。


「正直なところ、私、ここに最初に来た時からあなたを疑っていたんです。だって姿でしたから」

「制服がどうかしたんですか?」


 そう尋ねたのは僕だ。学内にいるのだから、制服を着ていても何ら不自然じゃないと思うのだけれど。


「だからさっきも言ったじゃん。状況の認識が大事なんだって。被害者のしーちゃんは職員室に呼び出され、着替えようとしたところで自分の下着が盗まれていることに気が付いたんだよ? つまりこの時点では着替える必要があるのは被害者だけなんだ。ところが、私はおろか、君が確保された時点でさっちゃんは制服姿だった。それっておかしくない?」


 確かに。桜間さんは、少なくともその時点ではスクール水着から制服に着替える必要はない。彼女が制服姿だったということはつまり、下着がない、盗まれたかもしれない、そんな騒ぎになっている間に素早く着替えたということになる。部長という責任者でありながら、しかもあれだけ強い正義感を持っている彼女がそんな行動に出るなんて不自然極まりないことだ。


 町子さんの話をまとめると、犯人――桜間優希さんの動きはこうだそうだ。


 まず自分が制服からスクール水着に着替える。そして通常通り部活へ。他の部員が全員着替え終わるのを待ってから部室に戻り、桜間さんの下着を身に着け、さらにその上に自分の制服を着る。これならば仮に途中で咎められ、身体検査をする運びとなってもまず証拠は見つからない。いわば保険というやつだ。本来の計画ではここで忘れ物をしたとか適当な言い訳をして、自分の下着を隠し持って外にでるつもりだった。そして部室の外――トイレかどこかで自分の下着に着替え、目的の杉山さんの下着を一時的に隠す。後は騒ぎが一通り収まるまで待って、バレないように回収すれば良い。


 ところが運の悪いことに、その計画は途中で破綻することになる。被害者である杉山さんが職員室に呼び出されてしまったのだ。当然、犯人の桜間さんは一時的に身に着けるだけのつもりだった杉山さんの下着から自分のものへと着替えるタイミングを失ってしまう。


「けれど彼女以外でも制服姿の生徒はいましたよ?」

「私も覚えているよん。でも調べてみたけれどね、彼女たちはみんな水泳部じゃなくてただの野次馬だったよ。水泳部はさっちゃんを除けば、漏れなく全員、実に水泳部らしい水着姿だった」


 そうなんですか? という確認の意思を込めて、僕は桜間さんの方を見た。桜間さんはがっくりと肩を落としている。この反応だけで、町子さんの推理が的を射ているものだということを察することができた。


「……ち、違うわ。私じゃない。私はやってない!」


 唐突に桜間さんが声を荒げた。


「これは何かの間違いよ! きっと陰謀よ!」

「やれやれ、まだそんなことを言いますか」


 その瞬間、ふっと町子さんの顔から笑みが消え失せた。まるで初めから存在していなかったかのように、彼女自身、冷徹な人形であったかのように、笑顔はそこにはなかった。


「でしたら改めて警察に調べてもらいましょうか? 彼らはとても優秀ですよ。何せ密室もへったくれも関係ありません。ただひたすらに物証や証言を集め、犯人を見つけ出します。身体検査も私が行ったものよりはるかに厳しいでしょう。もしもあなたが犯人でないというのなら、むしろ正式な捜査機関に調査を依頼すべきです。もっとも、そこまでしてもあなたが犯人――そういうことなったら、あなたはいよいよオシマイですけれどね」

「そ、それは……そんなの……」

「ヒドイことですか? そうかな、私にはそうは思えませんけどね。被害者の方がよほどヒドイ目に遭っていますし」


 確かにそれは正論だけれど、しかし僕にはそれでも、桜間さんに同情する気持ちがないわけではなかった。誰にだって魔が差すことはある。しかも今回は憎しみからきた犯行ではなく、憧れからきたものだ。無罪とはまでいかなくとも情状酌量の余地があるというか、少なくとも本人同士で話し合う機会を設けても良いのではないだろうか。


 そんなことを言おうとした直後、僕の背後で部室の扉が開かれた。


「町子さん、もうその辺で良いです。後は私が話しますから」


 そう言って登場したのは、今回の被害者――杉山詩織さんその人だった。杉山さんは僕たちの脇を抜けると、項垂れる桜間さんの前に立った。


「優希ちゃん、話は全部聞いた。ねえ、正直に全てを話してくれない?」

「それは……」


 桜間さんは少しの間沈黙したかと思うと、意を決したのか、顔を上げ口を開いた。


「ごめん、詩織! 本当に、ごめんっ! でも私、本当はずっと前から詩織のことが……好きだったの! だからつい魔が差して……許されるとは思ってないけど、本当にごめん!」


 それは、桜間さんの精一杯の叫びだったのだろう。その言葉を聞いた杉山さんがどんな反応をするかと思ったが、ふっと彼女の身体から緊張が消えるのが、その後ろ姿からでも認識することができた。


「さっき町子さんが見せたあなたの下着の偽物――あれを教えたのは私だったの」

「え……?」

「私も、よく優希ちゃんのことを見ていたから。もしも私と優希ちゃんの立場が逆だったら、多分私も同じことをしていたと思う」

「それって……」

「うん。私も、優希ちゃんのことが好き」


 杉山さんは大きく頷いたかと思うと、はっきりと言い切った。


 女子高ならば女子が女子に憧れるというのは往々にしてあることだ。僕はそんな町子さんの言葉を思い出していた。

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