駆け出す探偵

 日本の警察は優秀だというけれど、どうやらそれは本当だったらしい。


 桜間さんが警察に通報してからおよそ十分。水泳部室に数名の警官が訪れた。改めて事情を説明され――当然僕は無実を訴えたのだが――さしあたり僕は最寄りの警察署に連行されることになった。


 手錠こそかけられなかったものの、水泳部員たちに施された両腕の拘束は相変わらずで(それでも両足の拘束を解いてもらえただけでも幸いか)、パトカーまで歩くのには相当骨が折れたが、しかし衝撃を受けたのはむしろパトカーに乗ってからだった。


「あ、やっほー、ワンコ君。さっきぶりだねぇ」

「……何やってるんですか、町子さん」


 僕が押し込められたパトカーの後部座席には先客があった。呑気にペットボトルのお茶を飲んでいるエキセントリックな髪色をした女性――関ケ原町子さんである。


「説明してもらえるんですよね! 僕を見捨てたことを!」

「まあまあ、そうカリカリしなさんなって。ほれ、君の分のお茶もあるよ」

「飲めないんですよ、こんな腕じゃあ!」


 そう言って僕はガムテープやらロープやらでデタラメに、しかし頑丈すぎるほど頑丈に拘束された両腕を眼前に差し出してみせる。それもこれも、僕を見捨てた彼女のせい……とまでは言わないけれど、しかし責任の一端くらいは担ってもらわないと困る。


「それで、何か考えがあるんですよね」


 前の席に座る刑事さんがカッターナイフを差し出してきた。どうやらそれで僕の拘束を解いてくれるらしい。となると、僕が無実であることは町子さんが既に説明しているようだ。


「考えならあるに決まっているじゃない。ありまくるに決まっているじゃない」

「ありまくるって……それならどうしてさっき僕を見捨てるようなことを?」


 腕の拘束が解かれる。足の方は先程連行される過程で解放されたから、これで僕は晴れて自由の身ということになる。


「あれも必要なことだったんだってば」

「何のために」

「犯人を油断させるために」

「油断って……」


 罠にでも嵌めるつもりか?


「まあ、概ねそんなところだね」

「でも、罠って言ったって、僕には町子さんが何か特別なことをしているようには見えませんでしたけど?」


 部室内にいた彼女は、室内を観察したり桜間さんたちに話を聞いたりといったことはしていたけれど、真犯人を嵌めるための罠を設置していたようには思えない。


「良いかいワンコ君。大切なのはいつだって状況の整理だ」

「はあ……」

「被害者の下着は外に運び出すことができない状況にあった。とするなら部室内に隠されている可能性が高い」

「それはさっきも聞きましたよ。ロッカーの中にあるんじゃないかって話ですよね」

「あれは適当なことを言っただけ」

「適当って……」


 こっちは結構本気にしていたのに。


「まあ、適当って言っても、それはいい加減って意味じゃなくて、適度に当たっているっていう本来の意味の方だけれど」

「どういうことです?」

「私には犯人の本当の隠し場所がね、大体見当がついているんだよ。勿論、ロッカーの中なんて場所にはない」

「どうして言い切れるんです?」

「今回の犯人はだね、あくまで冷静で頭の回転の速い奴だよ。もしもこの事件に警察が関わってきたら、それでなくとももしもあの場で田森先生がロッカーの中をあらためることを許可したら……そんなことも想像できないような奴じゃあないんだ」

「つまり犯人にとってロッカーを調べられることは織り込み済みだと? だとしたら一体どこに……」


 そう言いかけたところで町子さんがあっと声を上げた。思わず僕も出しかけた言葉を飲み込み、彼女の視線の先――窓の外を見る。


 町子さんの視線の先にあったのは白羽女学園の校門であり、ちょうど何人かの女子生徒が通過しているところだった。……いや、ちょっと待てよ?


「あの人たちって……」

「水泳部だ。行くよ、ワンコ君!」

「え、行くって……」


 どこへ? と言い切る前に、町子さんは意気揚々とパトカーから飛び出していってしまった。僕も慌ててその後を追いかける。


「町子さん! どこに行くって言うんです⁉」


 幸いなことに、町子さんにはすぐに追いつくことができた。前から薄々勘付いてはいたけれど、どうやら彼女は運動が苦手らしい。足が遅いばかりか、何もないところで転びそうになっている姿を何度か目撃したことがある。


「どこに行くのかって、そりゃあ水泳部の部室に決まっているじゃあないか!」

「何でそんなに楽しそうなんですか……」

「犯人との直接対決だ! 謎解きの醍醐味だよ!」


 きっぱりとそう言い切った彼女の顔は今日一番輝いているように見えた。ミステリーに登場する名探偵というのは少なからず好奇心で動かされているというのは聞いたことがあるけれど、どうやら彼女もその例に漏れないようだ。


「失礼!」


 ノックの返事も待たずに、町子さんは水泳部室の扉を勢いよく開け放った。

 そこにいたのは一人の人物。


「何ですか、急に!」

「ああ、やっぱりあなただったんですね、しーちゃんの下着を盗んだのは」


 そこにいたのは――


「ねえ、そうなんでしょう? “さっちゃん”、いや――桜間優希さん!」


 そこにいたのは――水泳部部長、桜間優希だった。

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