証言

「つまり事件当時、この部屋は完全な密室だったというわけです」


 取りあえず皆さん少し落ち着きましょう、という町子さんの提案で、部室には僕を含めて事件の当事者四名が残され、それ以外の部員および騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬の生徒たちは一時的に開いている教室に移されることになった。なるほど賢明な判断だ。町子さんが到着した時点の部室には十名弱の人間が詰め込まれ、到底息をしやすい状況とは言えなかったし、人数が多ければ犯人が証拠隠滅などもしやすい状況になったかもしれない。


 とはいえ退室した人間の中に犯人が紛れ込んでいたのでは元も子もない。その点は町子さんは勿論、その他の水泳部員の人たちも了承してくれたようで、部屋を出る前に身体検査を受けてもらうことになった。それなりに時間のかかる作業のようだったけれど、調べた人間は全員白――盗まれた下着を持っている人間は誰一人いなかった。


 そして一通りのボディチェックを終え、改めて部室内を見渡した町子さんは、残された僕たちに向かってこう言い放ったのだ。と。


「密室ってそんな推理小説じゃあるまいし」


 と、僕。相変わらず床に転がされたままの体勢で口を挟む。


「間違いなく密室だよ、ワンコ君。しかもこれは、君の無実を証明する上でとても見逃せない事実だ」


 しゃがみ込み、膝の上についた両手に顎を乗せた町子さんが僕の顔を覗き込みながらそう言った。相変わらず楽し気な表情を浮かべながら。


「本当ですか⁉」

「うん。大マジ。にしても、君は次々に面白い事件に巻き込まれるねぇ、ワンコ君」

「余計なお世話です。良いからさっさと解決しちゃってくださいよ」

「はいはい、分かった分かった」


 町子さんはそう言って人が動けないのを良いことに、まるで本当に“犬”を相手にしているかのように僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわして立ち上がった。そして改めて他の三人の顔を見渡した。


 部室に残ったのは僕、町子さん、被害者の杉本すぎもと詩織しおりさん、“さっちゃん”こと水泳部部長の桜間さくらま優希ゆうきさん、そして呼び出された水泳部顧問の田森たもり恵子けいこ先生の五人である。


 ショートカットの女子生徒――“さっちゃん”こと桜間さんが、腕を組み、相も変わらず不機嫌そうな表情を浮かべている。


 対して被害者――杉本詩織(町子さん曰く“しーちゃん”)さんは悲しいのか恐ろしいのか、あるいはその両方なのか、俯き僅かに肩を震わせていた。もしかしたら物理的な寒さが堪えるのかもしれない。何せ下着を盗まれた彼女は制服に着替えることもできず、スクール水着姿のままなのだ。肩に大きめのタオルがかけられているとはいえ、その長い黒髪も濡れているし、傍から見る以上に寒さを感じていてもおかしくはない。できることなら早急に事件を解決し、彼女が着替えられる状況にもっていきたいのではあるが、如何せん、僕では力不足であり、その点は町子さんに期待せざるを得なかった。


 そこにきて最も狼狽えているのが顧問の田森恵子先生であった。これもまた当然である。ほんの僅かな時間目を離した隙に教え子が盗難事件に巻き込まれたのだ。どうすれば良いのか、まだ頭の整理がついていないのだろう。幸いなのは彼女が町子さんの噂を耳にしていて、捜査することを許可してくれたことだ。しかしそれも二時間という期限付きだったが、まあ、落としどころとしてはそんなところだろう。その制限時間を経過したら警察に連絡する――という話の運びになった。


「さて皆さん、私がどうしてこの部屋が密室だったと言ったのか――状況を整理してみましょう」


 犯行は午後四時から午後五時までの間で行われたと思われる(ちなみに僕が白羽女学園を訪れたのは午後四時半頃)。


 午後四時――部長である桜間さんが部室の鍵を開ける。着替えをしているところに他の部員と一緒に被害者である杉山さんが到着。着替えを終えた桜間さんが屋内プールへ移動。屋内プールへは水泳部室から直接行ける構造になっている。


 午後四時半――部活開始。水泳部の活動時間は基本的には午後四時半から午後七時半までとなっている。部員は十名弱。学園のアイドルたる杉山さんがいるにも関わらずこの人数で収まっているのは、単に水泳部の練習が厳しいからに他ならない。しかし努力は裏切らないとも言おうか、白羽女学園水泳部は県下、水泳をやっている者にしてみればその名を知らないほどの実績を残してきた強豪校であるということだった。


 およそ三時間にものぼる厳しい練習は、一時間に一度休憩時間を挟むことになっている。だが裏を返せばその時間以外で休むことは許されないということだ。ところが被害のあった日――つまりは今日――だけは事情が違った。


 午後四時四十分――被害者である杉山さんが校内放送で呼び出された。呼び出しをかけたのは担任教師で進路についての話があるということだった。


 丁度この時間、僕――犬山城太郎がトイレに行くべく席を立つ。白羽女学園文芸部の部室と水泳部の部室はそれなりに距離が離れているのであるが、しかし男子トイレなるものが一向に見当たらない。仕方なく職員室前のトイレでも借りようかと思い至ったが、はて、職員室はどこだろう。そういえばろくに校内の案内もされていなかった。そうなれば道に迷うのは必然で、気が付けば水泳部室の前に通りかかり、偶然扉を開けた桜間さんによって拘束された――というのは前述した通りだ(この時点での時刻は午後五時)。事件の発覚はここから数分遡る。


 午後四時四十五分――杉山さんが職員室に向かうべく着替えを始める。いくら女子高とはいえ(むしろ女子高だからだろうか?)水着姿のままで廊下を闊歩するわけにもいかない。着替えるのは当然の判断だった。が、そこで問題が発覚する。


「下着が……ロッカーに入れていたはずの私の下着がなかったんです……」


 半分泣きそうな声で、杉山さんがそう訴えた。捜索のことを考えれば本来ならばここで彼女の盗まれた下着について事細かに質問すべきなのだろうが、町子さんはそれをしなかった。精神的ショックを受けている杉山さんのことを考えての選択か、あるいは同じく女性である町子さんにはある程度その気持ちが押して計れるのかもしれない。僕はそう思った。


 女性の下着を盗むなんてのは、許しがたい卑劣な犯行だ。そう思うのと同時に、僕自身は断じて犯人ではないのであるが、それでも“男”というだけで何だか申し訳ない気持ちになった。本当に、こんな事件は早く終わらせなければならない。


 町子さんが話題を転換すべく、パンッと一つ手を叩いて口を開く。


「さておき、ここで問題になるのはその時の部室の状態です。廊下へ通ずる扉には内側から鍵がかけてあった。そうですね、さっちゃん?」

「間違いないわ。内側からなら開けて出ることはできるけど、そしたら今度は外から鍵をかけなきゃいけない。でも鍵は


 そう言って桜間さんは僕たちの前に右腕をかざして見せた。彼女の白い右腕にはゴム状の腕輪のようなものがあり、そして部室の鍵がその腕輪に通されていた。温泉や銭湯では自分のロッカーの鍵をああして身に着けておくことがあるけれど、おそらく桜間さんのそれは練習中に鍵を紛失しないようにするための仕組みだろう。


「ちなみに他の部員の方で部室の外に出た人間は?」

「いないわよ。少なくとも詩織が水着に着替え終わってからはね」

「なるほど。ちなみにしーちゃんは着替えにどのくらいかかるんです? 早い方? それとも遅い?」


 突然話の矛先を戻された杉山さんは一瞬狼狽えた様子を見せたが、すぐに答えた。


「ええと……遅い方です。どちらかというと」

「では、もしかして今日は着替え終わったのはほぼ最後だったのでは?」

「そう……だったと思います。私と入れ替わる形で優希ちゃんが部室に戻ってきたから」

「戻ってきた?」


 今度は桜間さんに大きな黒縁眼鏡の向こうの視線が向けられる。彼女は杉山さんほど動揺することもなく、坦々と質問に答えた。


「部室の鍵を内側から施錠するためです。部員が全員着替えたら、部長である私が施錠する決まりになっていますから」


 その返答に満足したのか、町子さんは何度も笑顔で頷いてみせた。実に愛嬌のある姿だが、この状態の彼女は間違いなく事件の真相に近づいていっているのだ。エキセントリックな髪色と、特徴的とさえも言える大きな黒縁眼鏡が彼女なりの目くらましならば、その笑顔は犯人を油断させ、あるいは被害者や関係者を安心させるための、一種のポーズのようなものなのである。


 そこで町子さんの視線が、今度は顧問教師・田森恵子先生の方を向いて停止した。


「ケイちゃん先生にも幾つかお伺いしたいのですが」

「え、ええ。何でも聞いて下さい」


 “ケイちゃん先生”というのは水泳部顧問の田森恵子先生のあだ名だ。どうやら白羽学園の生徒間でもこのあだ名が浸透しているらしく、簡単に受け入れてもらえた。


 綺麗にウェーブのかかった茶髪が特徴の田森先生は、ややおっかなびっくりと言った様子だったが、しかし生徒のためには全力を尽くすタイプの先生なのだろう、町子さんの要求に素直に応じてみせた。緊急事態に動揺するのは当然としても、突然の町子さんの登場にここまで良くしてくれるのだから、柔軟な発想の持ち主なのかもしれない。


「部室の鍵は普段はどのように保管なさっていますか?」

「部活が始まる前に部長の桜間さんが借りにきてくれます。部活が終われば返却され、私がまた職員室の保管ケースの中に戻します」


 保管ケースというのは職員室入り口のすぐそばの壁に設置されている一メートルほどの金属製のケースのことだそうだ。学園中の鍵という鍵がそこに保管され、一部の貸し出しが許可されている鍵でさえも、持ちだすには近くの教師に一言声をかけ、専用のボードに学年とクラス、そして氏名を記入する決まりになっている。


「保管ケースの安全性はいかがだと思います?」

「完全ではないにせよ、学校側としてできることはやっていると思います。これ以上厳重にしても、不便になるだけでしょうし……」


 なるほど。ここまで聞いてようやく僕は町子さんの言った“密室”という言葉の意味を理解することができた。つまり事件当時、この部室には内側から鍵がかけてあった。そしてその鍵は部長である桜間さんの右腕にあり、職員室にあるマスターキーも容易に持ち出せる状態ではない。当然、合鍵を作ることも困難だ。部室には換気扇こそあれど窓はなく、また換気扇も、到底下着を外に運び出すほどの大きさがあるようには思えない形状だった。


 誰にも開閉することができない扉――“密室”。


 推理小説ではお馴染みのこの状況であるが、やはり凡人であるところの僕にはおおよそ真相には辿り着けそうにないように思われる。


 町子さんの田森先生への質問は続く。


「ありがとうございます、とてもよく分かりました。では、質問の趣旨を少し変えまして、今回の盗難事件、もしも水泳部内に犯人がいたとしたら、いかがなさいますか?」

「えっ……」


 この質問には田森先生は勿論、これまで毅然な態度をとっていた桜間さんでさえ動揺を隠せないようだった。


 もしも犯人が水泳部内にいたとしたら――


 つまり身内に盗みをはたらく人間がいたとしたら。その仮定はあまりに残酷なものだ。しかし町子さんは事件を調査するという立場にいる以上、どのような可能性でも検証し、考証する必要があるのだろう。そしてこの展開を見越していたからこそ、主要な人物を除く水泳部員たちを他の部屋へ移したのかもしれない。


 それにしても、僕は僕が犯人じゃないことを知っている。だがしかし、それでも水泳部内に犯人がいるとも到底思えない。


「ちょっと待って下さい、町子さん。盗まれたのは杉山さんの――つまり女子の下着なんですよ? 水泳部内に犯人って……」


 あり得ないとは言わないが、考えられない。なぜなら水泳部には、女子しかいないからだ。


 これは女子高の部活動なのだから当然だけれど、登場人物は僕を除けば女子しかいない。それ故に男である僕が疑われたのだと思うし、僕自身としてはどこか外部から侵入してきた不審男性、もしくは魔が差した男性教諭による犯行だと思っていた。


「そう決めつけるのは良くないよー、ワンコ君。下着を盗むというのにも色々な目的がある。もしも君が誰かの下着を盗むとして、それはなぜだい?」

「なぜって……」


 性的に興奮するから――とか?


 いやいや、僕にそんな変態趣向はないけれど。しかしそれでも、町子さんの問いかけにあえて答えるとすれば、そういうことになるだろう。


「一般的な下着ドロならそうかもね。でもね、ここはで、いないんだよ?」

「つまり?」

「つまりだね、そういう状況にあれば、また別の動機が浮かんでくるんだよ――だよ」

「誰かが杉山さんのことを恨んでいた?」


 僕の言葉に、町子さんは首肯をもって答える。杉山さんを見ると彼女はより一層おびえたような表情を浮かべた。


 確かに女子高という状況下においては性的に興奮するからと下着を盗む人間はいないだろう。誰かが杉山さんを恨んでいたとして、腹いせのために下着を盗み出し、彼女に嫌がらせをした。言われてみればあり得なくもない筋書きだ。しかしまだ問題が残っているのも事実である。その問題点については僕よりも先に桜間さんの方から抗議の声が飛んだ。


「ちょっと待って下さいよ。それなら、密室の謎は? あなたが言い出したことじゃない」

「その通り。兎角この事件の肝は、まさにその点にあるように思われます。しかしもしも怨恨が犯行の理由なら、密室は成立しないんですよねぇ」

「どういうことです?」


 と、尋ねたのは僕。


「つまりだね、ワンコ君。犯人の目的がしーちゃんから下着を奪うことなら、さほど難しくないということだよ。例えば細かく切り刻んでしまえば良い。下着の破片なら換気扇からでも外に出すことは可能だと思うよ」

「でも、それは、」

「そう。不可能だ」


 僕の言葉を遮って、町子さんはあっさりと自分の案を取り下げた。


「物理的には可能だけれどね、部員の誰にもそんな時間はなかった。ある意味、互いに監視しあっていたようなものだからね。それに切り刻んだ下着の断片をわざわざ部屋の外へ持ちだす理由もない」


 その言葉に、今度は僕が首肯をもって答える。やはりどう頑張っても水泳部内に犯人を見出すのは難しいように思えてならない。


「それじゃあ君は、本当に外部の人間が犯人だって思っているのかい?」

「まあ……」


 僕が答えると町子さんは呆れたように肩を竦めてみせた。いや、呆れたように、というより本当に呆れていたのだろう。僕にだって外部犯説が無理やりな推論だということくらい分かっているつもりだ。だが、それ以外に考えられないじゃないか。外部から侵入してきた犯人が、あらかじめ作っておいた合鍵使って犯行に及んだ。これが真相だ。鍵の保管状況を鑑みるに、確かにコピーを作るのは苦労しそうだけれど、それでも不可能というわけじゃあないし。


 しかし町子さんはどうしてもその案に納得がいかないらしい。あるいは彼女には僕では気付くことのできない何かが見えているのだろうか。


 僕は耐えきれず尋ねてみることにした。


「町子さん、一体何がそんなに気になっているんです?」

「いや、ねぇ、実は大体見当がついてるんだよね、盗まれた下着の在り処」

「え⁉ じゃあ、なぜ早く見つけないんです?」

「なかなか憚られる場所なんだよ、調べるのがさ」

「はあ。それはどこです?」


 町子さんは言おうかどうか迷ったのだろう、少し視線を泳がせ、しかしどうやら言ってくれるらしい。ゆっくりと人差し指を立て、眼前を指さした。


だよ、ワンコ君」


 更衣室から脱出が不可能である以上、犯人は更衣室、ないしはプールのどこかに被害者の下着を隠したことになる。しかしプールは勿論、更衣室内にも軽く見渡した限り下着は発見されない。探していない場所として唯一残されているのが、各部員のロッカーの中だ。しかし――


「町子さん、ロッカーの中だけは調べることを許可できません。そこは生徒のプライベートの場所ですし、デリケートな問題になります」

「ですよねー。私もそう思っていたところです、ケイちゃん先生」


 だから調べるのが憚れると言ったのか。いくら相手が同じく女性の町子さんとはいえ、無暗にロッカーを調べられるのは、多感な女子校生には確かにあまり良い影響を与えるとは思えない。それに大半の生徒は事件に関与していないだろうし、無関係な人にしてみれば自分が疑われているようで気分の良いものではないだろう。


「と、なれば……」


 呟き、町子さんは腕を組む。首を何度も左右に傾け、呻き声のようなものまで出し始めた。どうやらこの密室の謎に相当頭を悩ませているようだ。


 こういう時に僕も何か役に立てれば良いのだけれど、残念なことに、僕には話を振られた時に答えるくらいのことしかできない。


 さて、どうしたものか……。


 僕がそう思った時、町子さんがぱっと顔を上げた。そして慌てた様子でポケットを探ると、スマートフォンを取り出した。


「ああっ⁉ もう約束の時間過ぎてるじゃないですか!」


 約束の時間?


「調査可能な時間! あっちゃー、間に合わなかったかー」

「ちょっ、まさか見捨てるつもりじゃないですよね⁉」

「仕方ないよー、ワンコ君。そういう約束だもん。後は自分で何とかするんだね」

「ちょっと! え、本気ですかー⁉」

「大マジ。じゃあねー」


 そう答えたかと思うと、ひらひらと後ろ手を振って、町子さんは水泳部室を出ていってしまった。


 残された僕たち三人は、流石に唖然とせざるを得ない。さっきまであんなにノリノリで推理を組み立てていた町子さんが、あっさりと撤退したのだ。公務員もびっくりするくらいの定時退社ぶりである。


 そんな中ですぐに我に帰ったのは桜間さんだった。


「先生、警察! 警察呼んで!」


 ……どうやら僕の人生もここまでらしい。

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