2-4 『炎帝』再び現る
「シオン、今日はなかなか新鮮な稽古になったであろう」
手にした酒をグイッと一気に飲み干しながら聞いてくるエイブラに、シオンは頷いて答えた。
「はい。モンスターとも山賊とも違う、衛士の人たちとの立ち合いは初めてだったのでとても勉強になりました」
正直な感想だと、エイブラは感じた。元々ヨーゼフの剣法は我流のもので、一般的に衛士や騎士が会得する正統剣法とは性質が異なるからだ。
「うむ。もっともな感想だ。彼らの剣法は正統剣法ゆえ、あいつのそれとは質も中身も全く違うからな。またあいつらにとっても、お前の剣法は初めて目の当たりにするものだ。きっと新鮮に映ったであろう」
シオンは「その通り」と何度も頷いて答え、これにロイも同調するように頷きながら聞いていた。
「そうか。だからあの時、シオンの動きが読み
「ヘヘッ♪ でも、ロイの動きだってなかなか読めなかったよ」
互いに先刻の立会いを思い返しつつ、語り合っていた。
「ところでシオン、今日、ここに来たのは儂に何か用向きがあったからではなかったか?」
エイブラからの問いかけにシオンの表情が一気に強張ってきた。只ならぬ事が起きた……。その表情からエイブラと、また臨席しているロイも感じ取っていた。
「実は1年前……。父さんが……」
「ヨーゼフに、あいつに何かあったのか?」
小さく頷いて答えるシオン。
「父さんが、殺されたんです」
シオンはヨーゼフとの稽古中に剣士が訪れた当時の事を皮切りに、これまでの経緯と記憶している限りの情報を話した。エイブラとロイはただただ静かにこれを聞いていた。
「まさか……。そのような事、信じられん!」
ひとしきりシオンの話を聞き終えたエイブラは、ガンっ! と手にしていたグラスをテーブルに叩きつけながら叫んだ。
「あの時、父さんは実戦用の剣じゃなく、木刀だったんです。俺と稽古なんてしてなけりゃ、父さんが殺られるなんて事、絶対に……!」
そう言って小刻みに震えている肩にポンと手を乗せ、ロイは力強く頷いた。
「シオン。その……。何て言っていいのか、言葉が見つからないけど、そんなに自分を責めちゃダメだ。お前の旅の理由は、仇討ちなんだろ? 俺がお前の立場なら同じ事をしているだろうし、その気持ちは分かっているつもりだ。父さん、いいよね? 俺、シオンの力になりたいんだ」
エイブラは表情ひとつ変える事なく、硬く口を閉ざしたままだった。その表情からは、幼馴染の死が信じられない、いや、信じたくないという方が正確かもしれない、そんな雰囲気がにじみ出ていた。
「ロイ、ありがとう。エイブラさん、俺、父さんの敵を討ちたいんです。でも、俺ひとりじゃどうしたらいいのか全然わからないんです。だから、エイブラさんの助けが必要なんです」
シオンの力説に何も答える事なく、しばし沈黙し続けていた。が、やがて重い口を開いた。
「シオンよ。長旅と稽古で疲れたであろう。今夜はゆっくり休むとよい。ロイ、シオンを客間へ案内してやれ」
シオンはエイブラからの返事を得られぬ事が当然の如く不満であったが、ロイに連れられて広間を後にする事となった。シオンを連れて部屋を後にしたロイもまた、何の返答もない父に対し、少々不満そうな表情を浮かべていた。
2人が部屋から姿を消した後、しばしの間、微動だにしなかったエイブラであったが、スッと立ち上がると、屋敷の地下にある武器庫へと向かって行った。
冷たい空気が漂う、暗い武器庫。その奥で一振りのグレートソードが淡く紅い光を纏ったまま、台座に突き刺さっていた。
無言のまま、エイブラはそのグレートソードの前へと歩み寄った。そしてその淡い光をじっと見つめていた。
「あれから15年か……。よもや再び貴様の力が必要になろうとは思ってもみなかったわ」
剣を纏う光は、あたかもエイブラの言葉に応えるかのように、妖しくボワーッと揺らめく。
「ヨーゼフよ、お前の倅がお前の剣を携えていた理由がわかったわ。まだ若いひとり息子を残して、さぞ無念だったであろう。お前の息子は、お前の敵を討つと、儂の元へやってきた。見事討ち果たせるよう、お前に代わり儂が必ずや守ってみせよう」
誰にともなく呟いたエイブラは、ナイフで掌に傷を付けた。ツンとした痛みが走り、傷口から鮮血が滴り落ちる。血に
「炎帝の名において命ず!
エイブラの言葉に反応し、弱かった光が強い真紅の光となって刀身から噴き出した。それを見届けると、エイブラは台座から剣をグッと一気に抜き取る。すると、同時に低い呻き声にも似た声がまさしく剣から発せられ、剣は一層強い真紅の光を放った。
エイブラは剣の傍らに立て掛けてあった鞘を手に取り、未だ光を発しているグレートソードをそのまま鞘に納めた。
エイブラが手にしたこの剣こそ、彼が『炎帝』と呼ばれる所以にもなっている伝説の魔剣『炎の剣』であった。イーフリートの化身とも言われているこの剣は、刀身に常に炎を纏い、斬る者をその業火で焼き尽くすとも言われている。
その剣を手にしたエイブラの眼光は、15年前と同じく、1人の戦士としての力と決意に
翌朝、シオンとロイの2人は食堂にいた。いつもなら誰よりも早く父、エイブラがいるはずなのだが、今朝はまだそこにはいなかった。
「父さん、遅いな」
怪訝そうな表情を浮かべながらロイは呟いた。その隣で不安そうな表情のシオンが静かにしていた。
「シオン、もし父さんがダメだと言っても、俺はお前の役に立ちたいと思ったし、そうすると決めた。だから俺も一緒に旅に行くよ」
ロイの決意は固く、それを裏付けるように早くも旅装束を身に着けていた。その彼のひと言はシオンにとって、とても心強いものだった。だが、そんな事が果たしてできるのか、一抹の不安を
「ありがとう、ロイ。とっても心強いよ。でも、親父さん……エイブラさんの言いつけに背いてまで来てもらうわけには……」
と、シオンがそこまで言いかけた時、ようやっとエイブラが食堂に現れた。
「ロイ、よくぞ言った。それでこそ、我が倅だ」
「父さん! ってその格好は……」
なんとエイブラまでもが既に旅装束をしていた。これにはさすがにロイのみならずシオンも驚いた。
「シオン、お前の父、ヨーゼフとは幼き頃から共に修行に勤しみ、競い合い、苦楽を共にしてきた無二の親友だった。そのあいつが殺されたと聞いては儂も黙ってはおれん。ロイだけでなく、儂もお前の敵討ちの手伝いをさせてもらおうと思っているのだが、よいか?」
ここまで来た甲斐があった。エイブラのひと言はシオンにそう思わせるには十分すぎるものだった。
「エイブラさん、ロイ、俺のために、父さんのために本当にありがとう!」
深々と頭を下げ、お礼を言うシオン。
「ロイ、この金子で馬を2頭、直ちに調達してきなさい」
と言ってロイに金の入った袋を渡した。それを受け取ったロイは、すぐさま馬の調達に街へと向かった。
「それと……」
と、今度は女中を呼びつけた。
「今回の旅は、いつ戻ってくるかわからん。それまでこの家を好きに使っててくれ。あれの亡き後、よく今日まで尽くしてくれた。心から礼を言おう」
「ご主人様……!」
何やら今生の別れにも聞こえる挨拶に、女中は言葉を詰まらせ、思わず瞳を潤ませてしまっていた。
「こ、これ、泣くでない。儂らが戻ってきたら、また旨い飯を作ってくれ。それまで留守を頼む」
何度も頷きながら崩れ落ちるように泣き出した女中にエイブラも困り果てた様子で、その場を取り繕うように慰めていた。
何とか女中を落ち着かせたエイブラに、少々遠慮していたシオンが頃合いを見て近づいてきた。
「エイブラさん、ありがとうございます。父さんもきっと喜んでいると思います」
シオンの言葉に「うむ」と頷いて答える。
「ところで、これから何処へ向かうんです?」
至極もっともな質問だった。
「うむ。まずは『静寂の森』へ向かう事にする。ここには、儂らの同志、エルサイス=フリードリヒがおる。その者に会いに行き、力になってもらうとしよう。相手が何者かわからん以上、仲間は多いに越した事はない」
エルサイス=フリードリヒ。静寂の森に棲むエルフ族で、かつての5英雄の1人に数えられている人物である。
現在はエルフ族の王となり、一族を束ねて静寂の森に住んでいるという。
「ただ、ここから静寂の森へは少々遠いのでな、途中、ブラバの村というところに立ち寄ろうと思う」
「えっ!? ブラバの村!?」
エイブラから出た『ブラバ』という名称にシオンは驚き、またその様子にエイブラも驚いていた。
「なんだ、知っているのか?」
「はい。俺がここに来る前に立ち寄った村です。酒場のマスターにお世話になりました」
なるほど、それでここが判ったのかと、エイブラは一人納得したようだった。と、そこへ馬の調達に出ていたロイが戻ってきた。
「父さん、戻ったよ。シオンが乗ってきた馬も一緒に玄関前の庭に繋いであるよ」
ロイの言葉にエイブラは頷き、出発すべく準備を始めた。これにロイ、シオンも続いた。
3人はそれぞれの馬に荷物を積むと、鞍、
エイブラを先頭に、これにロイ、シオンが続く。3人の旅立つ後姿を、屋敷の玄関から女中が見えなくなるまで見送っていた。
(ブラバの村か……。またクリスに会えるんだ!)
シオンの脳裏には笑顔で手を振るクリスの姿が浮かんでいた。
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