1-3 2人の想い

 酒場に戻ったシオンは盛大な歓迎で迎えられた。シオンは困惑しきりであったが、店内にいる人々にとっては、村を蹂躙し好き放題していた輩が一掃されたわけなのだから、喜ぶのも無理はない。

 カウンターに座ったシオンのもとには、握手を求めてくる人や礼を言いに来る人が次から次へと入れ代わり立ち代わりやってくる。それら村人からの歓待がひとしきり終わったところで、ようやくエールが運ばれてきた。

「はい! どうぞ!」

「ありがとう。ちょうど喉が渇いてたんだ♪」

 クリスが運んできたエールをシオンはグイッと一気に飲み干した。

「もう大丈夫だよ。全部片付けたから」

 シオンの穏やかな口調にクリスは満面の笑みで応えた。

「あ、そうだ。後でクリスが行きたいって言っていた場所、連れてってよ」

 先の騒動ですっかり忘れていたのか、シオンの言葉に「あっ!」とした表情を見せたクリスだったが、すぐに大きく頷いてみせた。

「うん! ちょっと今、お店がバタバタしてるから落ち着くまで待っててね♪」

 そういうとシオンの返事を待たずに仕事に戻り、店中を所狭しと動き回っていった。そんなクリスの働きまわる姿を、エールを飲みながらボケーッと眺めていた。

(カ、カワイイ……)


「おまたせ! 行こっ!」

 店内が落ち着いてきた頃合いに、カウンターでエールを飲んでいたシオンのもとにクリスがやってきた。シオンはグラスを置いた腕を軽く引っ張られながら席を立ち、クリスのあとについて行く。

「ところで、どこまで行くの?」

「んっとね~。とっても景色がキレイな場所!」

 シオンの問いかけに笑って答えると、そのままシオンの腕を引きながら村外れの小高い丘を登っていった。


 丘を登りきったところでシオンとクリスを迎えた景色……。それは、無限に広がる空と、どこまでも続く平原が夕焼けに赤く染まっていく景色だった。

「へえ。とてもきれいな景色だね」

 旅立ってからこうしてのんびり景色を見る事など全くなかった。シオンはふと、そんなことを思い返しながら眼前の景色を眺めていた。

「でしょ~! あたし、ここから見える景色がとっても好きなの! あたしの大好きな景色、シオンにも見てほしかったんだぁ」

 シオンに気に入ってもらえた事が嬉しかったのだろう。が、それから間もなくして、クリスは些か寂しそうな表情を浮かべた。

「シオンは、もう旅に出ちゃうんだよね?」

「え? ああ。見つけ出さなきゃならない奴がいるからね」

 クリスの寂しそうな問いかけに、シオンは静かに頷いて答えた。

「そっか……。せっかくお話しできる人ができたって思って嬉しかったのになぁ」

 シオンは何と言って返事をしていいのかわからず、クリスと眼前の景色を交互に見る事しかできなかった。その時シオンの目に映った夕陽は、クリスの感情を反映させているかのような、寂しいものに感じられた。

 ほんの少しの静寂を埋めるかのように、風が2人の間を静かに流れていった時、風に押されるようにシオンが口を開いた。

「もうじきここも暗くなるから、その前に店に戻ろう? 迷惑じゃなきゃ今日もお世話になりたいんだけど……ダメかな?」

 これが今のシオンにできる精いっぱいの事だった。1日も早く旅立ちたい気持ちもあるが、こうまで寂しそうにしているクリスを目の当たりにしては放っておくこともできなかった。

「えっ!? ホントに?」

「ああ。明日からの事は明日、起きてから考えるよ」

 そう言うとシオンは笑ってみせた。その微笑みは、クリスの心の寂しさを吹き飛ばすには十分すぎる効果があるようだった。

「ありがとうねっ! シオン、優しいね」

 それだけ言うとクリスはシオンの腕をとり、店へと歩き出した。『優しいね』と言われて些か照れくさそうな仕草をしていたシオンではあったが、この短時間の間に自身の前を元気に歩く1人の少女……クリス=レインの心の奥底に住み着いて離れない孤独と寂しさを垣間見た気がした。

(クリスはマスターを本当の親じゃないんじゃないかって言ってたな。本当はとても寂しかったんじゃないかな……)


 翌朝、店内のカウンターで朝食を済ませたシオンは、マスターに世話になったことへの礼を言いつつ、雑談をしていた。

「どうも、すっかりお世話になりました」

「なぁに。こっちこそ娘共々すっかり相手になってもらって助かったよ」

 そう言うとマスターは大声で笑い飛ばした。

「ところで君は昨日、『シオン=ラスター』と名乗っていたけど、もしかして……?」

 マスターの質問の意味をシオンはすぐに察し、コクリと頷いた。

「ええ。俺の名前はシオン=ラスター。父はヨーゼフ=ラスターです」

 シオンの返事にマスターはなるほどと言わんばかりに何度も頷いていた。

「やっぱり! いや、君の闘っている時のあの剣捌き、身のこなし、どこかで見た覚えがあったんだよね」

「えっ? 見覚えがあったって……。もしかして親父の事知っているんですか!?」

 偶然立ち寄った村で父、ヨーゼフ=ラスターを知っている人がいるなど、まさかの展開にシオンは驚きを隠せずにはいられなかった。そんな驚いているシオンにマスターは頷いて答えた。

「昔、1度だけヨーゼフ様の剣法を見る機会があってね。って、こんな私も実は近衛騎士団の所属だったんだよ。まっ、だたの一兵卒だったけどね」

 なるほどそういう事かと、シオンは納得した様子だった。近衛騎士団に所属していたのであれば、父を知っていてもさほど不思議な事ではなかった。

「そうだったんですか。それで父の事を……。確かに俺の剣法は父から教わったものですよ」

 懐かしさからなのか、マスターは妙に上機嫌な様子が手に取るようにわかる。一方のシオンもまた、父を知る人物に出会った事で親近感が湧いてきているようだった。

「まさかこんな村であの剣法をまた見る事ができたなんて、それだけでも感慨深いよ。ところで、君は1人で旅をしているようだけど、ヨーゼフ様は元気にしておられるのかい?」

 マスターの問いかけにグラスを持つ手に無意識に力が入る。シオンはしばらくの沈黙の後、重い口を開いた。

「父さんは……。父さんは何者かに殺されました」

 シオンの口から放たれたあまりに想定外なひと言に、マスターは思わず身を仰け反らしてしまった。まさか、あのヨーゼフが……心境はまさにそんな感じである。

「殺された!? そ、そんなバカな!! 『剣聖』とまで呼ばれたあの人が……!」

 シオンの言葉を俄かには受け容れられず、マスターは動揺せずにはいられなかった。が、神妙な面持ちのまま、表情ひとつ変えないシオンを見れば、それが嘘でない事は一目瞭然であった。

「一体誰がヨーゼフ様を!」

 マスターの語気は荒く、ヨーゼフを殺した者への怒りに満ちていた。そのひと言を受けて、シオンは静かに首を横に振った。

「1年前、ちょうど父さんと稽古をしていた時、誰かはわかりませんが、父さんに会いに来た人がいて、俺は父さんに言われて先に帰って、いつまでも帰ってこないから外へ探しに行ったら……」

「じゃあ、その者がヨーゼフ様を……」

 シオンは強く頷いて答えた。同時にマスターはシオンの旅がその男を探し出し、復讐を果たす事だと悟った。

「しかし、あのお人を倒すほどの者だ。相当な手練れだろう。そうだ、そういう事なら首都・グラビグラドへ行くといい。そこにはヨーゼフ様の幼馴染、エイブラ様が住んでいる。君も名前は聞いた事があるだろ? ここからなら普通の人の足なら10日くらいで着くだろう」

 エイブラ=ハーン。ヨーゼフの幼馴染で共に戦い、5英雄の筆頭として讃えられている人物である。その人物の所在がわかるとはシオンにとってはまさに渡りに船、マスターの何気ない助言に大いに感謝をした。

「マスター、ありがとうございます。行ってみます。ところで、その……。クリスの事ですが」

 どうやらシオンは昨夜のクリスのひと言がどうにも気になっていたらしい。何かわかるかもしれないと思い、思い切って切り出してみた。

「ン? クリスがどうかしたのかい?」

 おうむ返しにマスターが聞いてくる。

「いや、昨夜クリスがちょっと気になる事を言っていたので……」

「気になる事? あの子は、クリスは今日まで育ててきた、俺の大切な娘だよ」

 と言うマスターの言葉にはこれまでの陽気な雰囲気は感じられず、むしろ自分に言い聞かせているような、そんな口調に感じられた。

「昨日、クリスがマスターが実は本当の親じゃないんじゃないかって言っていて。その事が頭から離れなくて……」

 一瞬、マスターは驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻し、小さな声でシオンに言った。

「そっか……。あいつがそんな事を……。いずれはちゃんと話さないとならない事だが、今はまだ黙っておきたい。それを前提で君には、あの子の友だちになってくれた君にだけは伝えておこうかね」

「……わかりました」


 マスターは手にしていたグラスを静かに置くと、深く息を吐き、往時を思い返しながら話し始めた。

「今から15年前……。シュバルツ=オイゲンの叛乱によって、大陸が混迷の中にあった当時、シュバルツの率いる軍勢とニビディア王国との戦いがいよいよ激しさを増しつつあった、そんな頃だった。私の所属していた王国近衛騎士団第1師団に前線部隊への援軍要請があり、その準備のために鍛錬をしていたところに街娘たちが差し入れを持って訪れ、しばしの休息をしていた時だった。

 突如、私たちの前にシュバルツ自らがモンスターの群れを従え、どこからともなく現れた。急ぎ応戦したが混乱した味方は多くの仲間を失い、逃げ遅れた街娘たちも混乱に紛れて次々に命を落としていった。

 その殺された街娘の中に身籠っていた女性がいた。名をソフィアと言った。物静かだがとても綺麗な女性だった。シュバルツたちが去った後、奴の斬撃によって殺されてしまったソフィアの元へ急ぎ駆け寄った若者が僅かな望みをかけて彼女の腹を裂き、赤子を取り出した。

 幸い、取り出された赤ん坊は無事だった。その子を抱き抱えた彼は、私に自分の代わりに父としてこの子を育ててくれと託した。さすがに戸惑いはしたが、私の腕に抱かれ、いつまでも泣き止まない、産まれたばかりのその赤ん坊を、私は父として育てる事を決めた。それがあの子……クリスだよ」


「……そんな事があったんですね。じゃあ、クリスの本当の両親は……」

 シオンの問いかけにマスターはコクリと頷いた。

「そうさ。あの子の母親はソフィア。父親は彼女の腹を裂いた……」

 と、ここまで話したちょうどその時、クリスが2人のところに戻ってきた。マスターに頼まれていた買い物から帰ってきたところだった。マスターは慌てて口を閉ざし、平静を装った。

「ただいまぁ~! あれ? どうしたの? 2人ともなんか様子が変だよ?」

「いやなに、シオン君がそろそろ出発しようと言っていたから、いなくなると寂しくなるなぁって言っていたんだよ」

 マスターのとっさの言葉に些か驚きを見せたクリスは寂しそうな表情を浮かべた。

「えぇ~! もう行っちゃうの~?」

 そう言いながらジッーっとシオンを見つめる。その眼差しはまだ一緒にいたいという気持ちが判り過ぎるくらいに溢れていた。さすがにシオンもクリスの真っすぐな視線にはかなり戸惑っているようだった。

「こら、クリス。シオン君には行かなきゃならないところがあるんだから、わがまま言って困らせちゃダメだ」

 困惑するシオンを助けるようにマスターがクリスをなだめる。

「……また、会える?」

 寂しそうな表情を浮かべながら聞いてくるクリスにシオンは大きく頷いて答えた。

「もちろん!」

 シオンの力強い返答にようやく納得し、クリスに笑顔が戻ってきた。

「約束だよ!? 絶対だよ!?」

「ああ! 約束するよ!」

 シオンは笑顔を浮かべながらそう言って、マスターへお辞儀をしてから店を後にした。目的地はニビディア王国首都、グラビグラド。


(エイブラ=ハーンか。父さんとは幼馴染だって言ってたけど、どんな人なんだろう)

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