1章 酒場に訪れた少年

1-1 出会い

 シュバルツ=オイゲンの叛乱から15年、ここ、ブラバの村にも春が訪れようとしていた。日差しはほのかに暖かく、凍てつくような冷たい風は日毎に暖かく、優しくなっていく。

 ニビディア王国の外れにあるこの村は、3方を山に囲まれた小さな村である。主要交易路から外れていることもあり人の往来もそんなに多くはない。が、小さい村ながらもそこに住む人々は皆、活気に溢れている。

「ふぅ~。やっと村に着いたか。さすがに喉が渇いたな。今日はここで休もう」

 砂埃の付いたマントで身を覆うようにして村の景色を眺めていた少年は誰にともなく小さく呟いた。

 少年はマントに着いた砂埃を掃う。その隙間からチェインメイルと剣が顔を覗かせる。ひとしきり付着した埃を掃い終えると、近くにある酒場に入っていった。


「いらっしゃいませー!」

 入るなり、元気のいい呼び声で迎えられた少年はカウンターへ向かった。店内を見渡すと、昼間にもかかわらず多くの客で賑わっており、恐らくひと仕事終えて一杯引っ掛けている、そんな空気が漂っていた。

「旅の人、何にするかね?」

 カウンター越しにここのマスターが聞いてきた。無精髭を蓄えた、温厚そうな人だった。

「エールを一杯ください」

「あいよ!」

 改めて少年は店内を見渡してみた。どうやらこの店はこの髭面の人と元気のいい呼び声だった、あの少女の2人できりもりしているようだった。余談だが『エール』とは、この世界において広く普及している炭酸飲料で、若干アルコールが含まれている飲み物である。

 程なくして頼んだエールを少女が運んできてくれた。

「旅人さん、疲れたでしょ? ゆっくりしていってね!」

 屈託のない笑顔で彼女はそう言った。栗色の髪を後ろに束ねた、笑顔の似合う少女だ。少年はそれに答えるように笑顔で頷いて見せた。

 どうやら彼女は店の常連からも人気の看板娘のようで、あっちへ行っては話しかけられ、こっちへ行っては話しかけられ、その度にマスターから

「クリスー! これ運んでくれー」

 と、大声で言われていた。

(そっか、クリスっていうのか……)

 店内を所狭しと動いている少女…クリスの姿を、少年は何となく見ていた。


 と、その時…。

 昼日中からいかにもタチの悪そうなゴロツキ連中が4人、ゾロソロとやってきた。その瞬間、店内の空気が一変したのを少年の肌は瞬時に感じ取っていた。

「またランスの一味だ……」

 客の1人が小さくそう呟いた。その言葉からも好まれていないことは想像するに難くない。

「あん? おめぇ、何か言ったか?」

「あ、いや、別に……」

 どうやらさっきのひと言が連中の耳に届いてしまっていたらしい。ゴロツキのリーダー格のランスと呼ばれた男がその男性の髪を鷲づかみにすると、そのままテーブルに顔面を叩きつけた。店内に物の壊れる音が響く。少年はそ知らぬふりをしてエールを静かに飲んでいた。

「ちょっと! 店の中で喧嘩しないでよね!」

 マスターが言うより早くクリスが連中に対して言い放った。ランスの視線がクリスに向けられる。その視線に一瞬ビクッとなったクリスだったが、決して怯むことはなかった。

「相変わらず気が強いなぁ、クリス。 いつまでもこんなシケた店にいねーで早く俺んところに来いって」

(なるほど。そういうことか)

 言われたクリスはプイッと横を向いた。その刹那……。


――ガァァァン!


 鈍い音が店内に響いた。一瞬ギョッっとした少年が音のした方を振り向くと、クリスがいつの間にか手にしていたフライパンでランスの横っ面を殴った音だった。

「痛ってぇ~。……このガキャ~、人がおとなしくしてりゃ調子に乗りやがって!」

 言うなりランスはクリスに襲い掛かるように掴みかかった。

「ちょっと! やめてよ!」

「うるせぇ! こうなったら力ずくで連れてってタップリお仕置きしてやるよ!」

 ランスの合図と共に、仲間が束になってクリスを無理やり取り押さえ、連れ出そうとし始めた。

(こりゃ、見過ごすわけにはいかないな)

 そう感じた少年は席を立つと、ゴロツキ連中の方へ向かっていった。

「おい。それくらいにしてその子を離してやれよ」

 少年の言葉にゴロツキたちの手が一瞬とまり、一斉に少年を睨みつける。

「うるせぇ! ガキはすっこんでろ!」

 ランスは語気を荒げ言い放った。横にいた仲間の1人が少年のマントに隠れていた剣に気付く。

「ガキがそんなオモチャぶら下げてねーでさっさとお家に帰んな!」

 連中はさも見下したような笑みを浮かべる。その口調と小馬鹿にしたような目つきに、少年の表情が一変した。

「これがオモチャかどうか、お前らの身体に教えてやろうか?」

 どうやら男のひと言が少年の感情にスイッチを入れてしまったらしい。だが、少年のひと言もまた、ゴロツキたちの感情を逆なでするものだったのだろう。

「何だと……! ガキのくせに生意気な! 表出ろ!」

 乱暴にクリスを突き放した連中は、鼻息を荒くしながら外に向かった。それに追従するように、少年も外に向かう。その折、クリスに

「大丈夫かい? 怪我、ない?」

 その口調はいたって穏やかだった。

「……ウ、ウン。あたしは大丈夫」

「そっか。ならよかった」

 少年は笑って答えると、そのまま店から出て行った。


 外で待ち構えていた連中は、角材やらダガーなどを手にしていた。少年は連中を一瞥すると、静かに剣を抜いた。気がつくと周囲には酒場のマスターをはじめ、野次馬たちの人だかりができていた。マスターの脇には、隠れるようにしてクリスもいた。

(……参ったな。あんまり目立つの好きじゃないんだよな、俺)

 そう思いつつも、剣を抜いた以上は後には引けない。少年は静かに剣先を連中に向け、構える。

「やっちまえ!」

 ランスのひと言を合図に、ゴロツキどもが一斉に少年に襲い掛かる。その瞬間、少年の目つきが一層鋭さを増したかと思いきや、およそ素人とは思えぬ身のこなしで連中の攻撃を避けつつ確実に打撃を与えていく。その素早さは例えるなら軽やかに空を舞う燕の如き速さだった。

 少年の背後で先に攻撃を仕掛けた3人が、次々に倒れていく。一瞬の出来事に見物人たちは呆気に取られ、ランス本人も状況が理解できていない様子だった。

 一歩、また一歩と少年はランスとの距離を縮めていく。

「あとはランス…だっけ? お前だけだ」

「……ヒッ!」

 ようやく状況を飲み込んだランスだったが、もはや戦意は完全に喪失してしまっている。ランスは仲間の身を案じることもなく、一目散に逃げていってしまった。

 少年が地べたで倒れたままの3人を剣先で突付くと、次第に意識を回復し起き上がるが、ランスの姿が辺りにないことに気付き、自分たちもまた、ランスの後を追うように一目散に消えていった。

 少年は小さく息を吐くと、静かに剣を鞘に収めた。この仕草を合図に見物人からは拍手と歓声が沸きあがった。

 気恥ずかしそうポリポリと頭を掻いている少年にマスターが笑顔で歩み寄ってきた。

「君、娘と店を守ってくれてありがとう! ぜひ飲み直してくれ!」

 少年の返事を待たずにマスターは半ば無理矢理店に連れ戻していった。


 酒場の中は何事もなかったかのような賑わいを取り戻していた。少年はカウンター越しにマスターと、その1人娘クリスのねぎらいを受けていた。

「旅人さん、さっきは助けてくれてありがとう! これ、あたしからのお礼ねっ!」

 クリスはそう言って少年の前に一杯のエールと小皿に盛った木の実を差し出した。少年は小さくお礼を言うと、木の実を食べつつエールをクイッと飲んだ。

「あたし、クリスって言うの。よろしくねっ! こっちはあたしのパパ」

 クリスはそう名乗ると、屈託のない笑顔を少年に向けた。クリスの笑顔は、少年から先の争いを忘れさせるのに十分なものだった。気が付くと、少年の表情からも緊張が解け、少年らしい穏やかな表情に戻っていた。

「俺はシオン。俺の方こそよろしくなっ。ところでさっきの連中は何者なの?」

 シオンと名乗った少年が先のゴロツキ連中の事を尋ねると、クリスはちょっとムッとした表情を見せた。

「あいつらはね、ランス一味って呼ばれてて、この辺の山賊の手下なの。あたしがこのお店でパパのお手伝いをするようになってから、いっつもあたしに変なことしようとするの! この村じゃみんなから煙たがられてるの!」

 頬を膨らませながらそう言ったクリスの表情は怒っているようにも見えたが、どこか可愛らしくシオンにはそう思えた。

「……山賊の手下か。厄介ごとにならなきゃいいんだけどな」

 シオンは誰にともなく呟いた。と、そこへひと区切りついたマスターがカウンター越しに話しかけてきた。

「ところでシオン君、だっけ? いやぁ、君の強さには驚いたよ! あの剣法は一体どこで学んだんだい?」

 マスターは先のシオンの戦いぶりに感心しきりのようでベタ褒めだった。当のシオンはというと、ポリポリと頭を掻きながらどうにも照れくさそうな表情をしていた。

「まあ、小さい時から身軽さだけは自信ありますから」

 シオンのひと言にマスターは大笑いしていた。

「まっ、なにはともあれ君はうちの大事な娘を助けてくれた恩人だ。もしまだ今日のアテがないなら、うちに泊まっていくといいよ。もちろん宿代はサービスするよ!」

 ついさっき、この村に着いたばかりのシオンに、今夜のアテなどあるはずもなく、せっかくだからと今夜はこの酒場で一泊することにした。

 各地の村や町にある酒場では宿屋も兼ねていることも少なくない。この酒場も小規模ではあるが宿屋を兼ねている。

「それじゃ、お言葉に甘えて今日はお世話になります」

「よし! そうと決まれば晩飯の用意もしとかんとな! 今日はゆっくり寛いでくれ」

 マスターはそう言うと笑顔で仕事に戻っていった。奥で働くクリスに何やら小声で話したかと思うと、間もなくして今度はクリスがシオンの前に駆け寄ってきた。

「シオンさん」

「シオンでいいよ」

「うんっ。じゃあ、あたしのこともクリスって呼んでねっ」

 わかった。とシオンは笑顔で頷いて答えた。

「シオンは今日、うちに泊まるんだよねー」

 何やらニコニコと嬉しそうな表情を浮かべるクリス。

「ああ。ここに着いたばかりで特に宿を決めているわけじゃないから、今日はここでお世話になるよ」

「じゃあ、あとでいっぱいお話しよーね!」

 何がそんなに嬉しいのか、クリスは楽しげな表情を見せていた。一方のシオンもそれに応ずるように笑顔を見せた。

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