二.問答
万年筆を持って、千手は口を開いた。
「男がいます」
「はい」
小太郎がうなずく。
「どんな男ですか?」
千手がすばやく問う。小太郎は首から提げたロザリオをいじりながら考えた。
「……伝道師、かな。黒いカソックを着て、外套を羽織っているんです」
「なるほど。伝道師の男は、どんな場所にいますか?」
「……荒れ地」
「どんな荒れ地?」
「からからに乾いた場所。草もないような、日の強い場所です」
「そこはとても暑いのでは? 外套は必要ですか?」
「ええと……多分、風がすごく強いんです。カソックと……あと、腰に着けた聖書なんかが汚れないように外套を着ているんです」
「ふむ。男の他に人は?」
「いません。男一人です」
「男の目的は?」
「伝道だと思います、多分。……ちょっとまだ、思いつきません」
「わかりました。今の話ですか? それとも昔の話?」
「今の話」
小太郎の言葉に千手は「なるほど」とうなずき、原稿用紙にさらさらと何かを書いていった。
「あれは先生のやり方の一つでな」
ビスケットをもりもりと貪っていた鎖藤がチエ子に言った。
「不調の相手に、こうしてお題を振るのさ。『男がいた』とか『女がいた』と、あるいは『これは巴里の話だ』とかな。そうすると、言われた側はいろんな想像をするだろう?」
「は、はい」
チエ子はうなずく。実際、チエ子も千手の言葉を受けて男を想像していた。
しかしそれは、小太郎が考えていたような荒れ地の伝道師ではない。初めて書いた、あの雪原を突き進む男の想像をしていた。
考える人間が違うだけで、ここまで違いが出るのか。チエ子は感嘆する。
「そうして、どんどん質問を投げかけていく。どんな場所にいるのか、どんな人と一緒に居るのか。そうすると相手はどんどん連想して、世界を組み立てていく」
「たまに先生が題を付け足したりもするぜ」
「男の前に鳥が現われました」
鎖藤が言ったまさにその時、小太郎に質問を続けていた千手が題を付け足した。
すると小太郎は爪を噛み、考え込み始めた。
「鳥……」
「ええ。どんな鳥でしょうか。考えてみて」
「……鳩、です。大きくて、真っ白な」
「白鳩ですね。鷲を見た男は?」
「多分……何かの兆しだと考えるでしょう。荒れ地に白い鳩が現われたんですから」
「ふむ。再度聞きます。男の目的は?」
「伝道……そう、困難な場所への。そうして白い鳩を見て、決意が固まって……」
「では、男は迷っていたのですね」
「はい。多分、危険な場所なんです」
いくらかしっかりとした調子で答え、小太郎はうなずいた。千手は満足そうに笑って、さらに質問を小太郎へ与え続けた。
「……あんな風にしていって、どんどん話を膨らませていくんだ。先生はその間、原稿用紙に組み上がっていく話を簡潔に書いていく」
「そうして最終的にある程度の形までまとまったら、原稿用紙を相手に渡すんだ」
鎖藤の言葉に続けて、魅谷が説明する。
「内容は本当に簡潔なものだ。提示された題と質問への回答を短い文章にまとめただけ。可能な限り淡々と書いて、書き手の個性をあまり出さないようにする」
「それで……受け取った側は、どうするんですか?」
チエ子は首を傾げた。
「直す。……というか、書いていくんです」
「書いていく?」
「おうよ」
いまいち魅谷の言葉がしっくりこないチエ子に、鎖藤が笑ってうなずいた。
「一から文をひねり出すのと、最初にある程度揃ってる文を直すのとじゃ労力が違うからな。淡泊な文章を、自分なりの書き方に改めるのさ。描写を増やしたり、順序を変えたり、なんなら思い切り変えちまうのもいい」
「直していくうちに、気づくこともあります。続きも芋づる式に頭に浮かんでくる」
魅谷は言って、灰皿に煙草の吸い殻を捨てた。そうして、箱からもう一本煙草を出す。
「これはいわば、リハビリテーションなんです」
「りはびりてえしょん」
知らない言葉だった。
あとで辞書で引こうと思いながら、チエ子は小太郎を見た。
矢継ぎ早に質問を受け、さらに奇々怪々なお題を千手から提示され、小太郎は四苦八苦しているように見える。しかし、その顔色はさっきよりもずいぶん生き生きして見えた。
次いで、チエ子は自分の手元を見下ろす。
そこには書きかけの原稿があった。
『隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟って見せる。』
夏目漱石の夢十夜――その第二夜だった。
これを十夜全て書き写したら、自分も文学についてなにか悟ることができるのだろうか。
そうして小太郎のように、その苦しみを受けることになるのだろうか。
わからないまま、チエ子はとりあえず鉛筆を削った。
そうして千手と小太郎の問答や、魅谷と鎖籐の談笑を聞きながら、筆写を再開した。
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