四.鎖藤と小太郎

「こりゃあ可愛い新顔だ」


 豪快に笑う男に、チエ子はぱちぱちとまばたきをした。

 りんに案内された先の、食事をとる広間でのことだった。長いテーブルにはすでにそっぽを向く小太郎と、千手とが着いている。その周囲で、渋い色の着物にエプロンを着けたキツネ目の女中が忙しなく動き回っていた。

 千手の近くの椅子に着く男は「まぁ、こっちに」とチエ子に手招きした。

 チエ子はおどおどとして、りんをみた。男の招きもそうだが、こんなに大きなテーブルを囲って食事をしたことはない。席の順番に迷っていた。


「あちらは鎖藤善吉さとうぜんきちさんよ、チエ子さん」


 りんは優しく教えて、彼のところにまでチエ子を連れていった。


「ははあ、近くで見ると本当に可愛い。そんで、小太郎の言うとおり小さいなぁ」


 顎をさすりながら笑う鎖藤は、堂々たる体躯の偉丈夫だった。

 よく日に焼けた肌といい、筋骨隆々とした体つきといい、時を超え現われた豪傑と言われても遜色ない。仕立ての良いシャツとズボンがなんだか窮屈そうに見えた。


「先生、この子があの雪の話を書いた人ですかね」

「そうですよ。嗣見チエ子さんです。貴方とは郷里も近いから、仲良くなれるでしょう」


 千手の答えに、鎖藤は「ほう!」と目を見開いた。


「お嬢さんは、どちらから来たんだい?」

「石川の……か、加賀の方から……」


 チエ子はびくびくしながら答えた。


「ははぁ、そりゃ近い。おれは色々あちこち渡ったが、生まれは富山でな。おふくろは能登の生まれだ。こんなところで北陸の人に会えるなんてなぁ、面白いなぁ。――おい小太郎、お前、郷里はどこだったか」

「うるさいな、生まれも育ちも東京だって前に言っただろ」


 小太郎は噛みつくように鎖藤に返し、そっぽを向いた。


「りんさんの郷里は神戸でしょう。で、かよさんはどこだったかな?」

「あたしゃ三重ですよ。お伊勢さんのお膝元です」


 鎖藤が水を向けると、キツネ目の女中――かよが答えた。


「そうかそうか! それで、透の奴は確かもっとうんと北のあたりだったかな。いやぁ、千手先生のご威光は日の本全土に渡るってことだなぁ」

「なにが全国だ。先生の威光は確かに素晴しいが、ここには四国やら九州やら北海道やらの人がいないだろう」

「そう小せぇことを気にするなや、小太郎」


 鎖藤は楽しくて仕方がないといった様子で、チエ子の背中をばんばんと叩いた。


「これもなにかの縁だ。困ったことがあったらなんでもいってくれ。あそこでむくれてる小さいのよりも、おれは役に立つぞ」

「誰が小さいだ! いい加減ただじゃおかないぞ、鎖藤!」


 ばんとテーブルを叩き、小太郎が怒鳴った。

 その剣幕にチエ子はびくっと震えて、怯える兎の如く小さな体をさらに縮めた。

 しかし、テーブルの他の面々はまるで気にするそぶりもない。千手はどこ吹く風といった様子で書き物を続け、りんはりんでかよとともに配膳をしている。

 鎖藤はというと、不敵に笑いながら顎をさすっていた。


「ほう! ただじゃおかないってか。なら、どうするんだ?」

「庭に出ろ! 今日こそぶちのめしてやる!」

「そいつぁ面白い。飯の前に体を動かすのも悪かない。ようし、相手をしてやろう」


 鎖藤はぱんと膝を打つと立ち上がり、食堂を出て行った。


「おい、何を笑っている! 今日がお前の最後の日だぞ!」


 鎖藤の後ろを、小太郎がぎゃんぎゃんと吼えながら追いかけていった。

 残されたチエ子は立ち尽くし、テーブルを見回す。


「あの……あたし、なんだか……」

「気にしなくても良いのですよ。貴方は何も悪くありません」


 ペンを片付けながら、千手が言った。その言葉に、りんとともにテーブルに料理を並べていたかよも「えぇ」と肩をすくめる。


「ありゃ、いつものじゃれあいみたいなもんです。――さ、どうぞ」

「あ、ごめんなさい……」


 チエ子は慌てて頭を下げ、かよが示す椅子に着いた。

 そこはちょうど、長いテーブルの隅に当たる席だった。

 テーブルの一番奥には千手が着き、その右隣には鎖藤、左隣にりんが座る。鎖藤の隣には小太郎、りんの隣にはチエ子。

 そして、小太郎の隣。つまりりんの向かいには、もう一つ席が用意されている。

 ここにも誰かが座るのだろうか。

 なんにせよ、小太郎の向かいでなくて良かった。

 料理こそ並べられていないが整えられている席を見て、チエ子はぼんやりと考える。


「よくあるのよ。いつもああして、鎖藤さんが逆神さんをからかうの。でも、二人とも決して仲が悪いわけじゃあないんですよ」


 隣に座るりんがそっと教えてくれた。

 しかしチエ子はまた不安を瞳に浮かべて、りんを見上げた。


「でも、逆神さん、今日こそぶちのめすって……」

「もう百回は同じ事を言っています。そして、一度もそうなったことはありません」


 窓の方に視線を向けつつ、千手が苦笑した。

 チエ子もつられて、広間の窓へと視線を移す。そこからは屋敷の庭の様子が見えた。落ち着いた風情の庭は明かりで照らされ、奥には東屋や池があるのがわかる。

 そこで、鎖藤と小太郎が文字通りじゃれていた。


「この! いつもふざけたことをぬかしやがって!」


 顔を真っ赤にした小太郎が鎖藤に突進する。


「はっはっは! そら、どうしたどうした!」


 しかし腰をしっかりと据えた鎖藤は笑って、それを片手であっさりといなした。

 小太郎は思いきり地面に倒れ込んだが、すぐにまた立ち上がって鎖藤へと突っ込んだ。よく見ると、小太郎の着物だけが砂まみれになっていた。


「あらあら、あんなに汚して……食事の前に着替えてきて欲しいわねぇ、小太郎さん」

「いい加減、懲りて欲しいもんですねぇ」


 りんがため息を吐き、かよが肩をすくめた。

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