記憶を失った少女

 隣の部屋へ入るためにノックをする。返事はヘッドフォンを先程つけてたからないだろうと思いながら、セキュリティパスで扉を開く。扉を開くと、四重の扉があり一つ一つセキュリティパスで開くことを要求された。

 最後の扉を開くとようやく部屋へと入れたが、まるで来ることが分かっていたように中にいた彼女は顔をあげてこちらを見据える。


「――こんにちわ、不思議なお兄さん。マンモスに轢かれてたね」

「お、おう。こんにちわ」

 ふと先程までいた部屋のある方の壁を見るが、そこはガラスではなく普通の壁であった。その視線への答えなのか、彼女は指をそちらへと向ける。

「そちらの部屋には人がいたの? 誰も声をかけてくれなかったけど」

 どうやら教授陣は何も言っていないらしい。

「私の名前は竹内遥っていうらしいよ。不思議なお兄さんの名前は?」

「由城由だ。自由の由に、城、また自由の由に戻るから、漢字で書いて並べると上から読んでも下から読んでも由城由」

「よろしくね」

 中学生ぐらいならまだ喜ぶかなと思って言ってみたがあまり受けなかったようだ。男子中学生と一緒の感性と思ってやったのは間違いだったな。

「それで何を話しにきたの」

「特に思いつかないけど」

「もし何もなければ、私の話を聞いて欲しいな」


 そう言われた彼女の話を聞く姿勢にする。彼女がした話はごくごく普通の世間話だった。最近聞いた曲はこういうのがあったとタブレットを見せてくれ、本はこれが面白かったと電子書籍を見せてくれる。ただそれを頷いたり、簡単に質問をするだけの簡単な世間話で喜んでいた。

 そうして空気が温まったころに、彼女から質問が飛んできた。

「ねぇ、私は何をすればいいと思う?」

「ん? 何ってどういう意味だ」

「私って記憶喪失らしいんだ。自分の名前も知らなかったし、家族とか知らないんだよね。学校の友だちっていうのも分からないし、ただ覚えてることはマンモスと不思議なお兄さんとお姉さんだけだったんだ」

「あぁ、そうなのか。それだけしか覚えてないのな」

「そうなんだ。でもそれが苦しいとか嫌だとかいうわけじゃなくて。寝てる時とかは凄く気持ちいいし、この部屋でのんびりするのも嫌いじゃないんだ。ただ」

「ただ?」

 そういって、彼女は手招きをする。隣の壁の向こうの人に聞かれたくないことのようだ。

「何か取り返しのつかない予感がするんだ。今日は誰かが来るんだろうな、って思っちゃったし」

 あまりにも漠然とした言い回しだった。誰かが来る気がするっていうのは、虫の予感というものだろうか。

「それと、いつも誰かに部屋の角から見られてる気がするの。壁の向こうの人だけじゃなくてね」

「――」

 そう言い放っては返事を求めていないのか彼女は離れる。そして笑顔で手をふってきて、一言いう。

「今日は楽しかったよ、お兄さん。またね」


 話すつもりがないのか、ヘッドフォンをまたつけて音楽を聞き始めたようだ。そのような状態で無理に話すようなものでもないだろうと思い、外へと出る。五回も扉を開けるのに辟易としながら外へ出ると、教授達が先に待っていた。五回もセキュリティパスをかざしては開くのを待っていれば、それを見た後で先に教授達が回り込めるだろう。

「君はいいカウンセラーになると思うがね、どう思うんだい高峰君」

「いたいけな乙女をたぶらかしてダメな方向にいっても口を出さないみたいな部分があるような気がするよ」

「ひどい言いようですね……」

「それはおいといて、どう思ったのかな?」

「普通の女の子だと思いますよ。年頃らしく自分探しをしたいという」

「そんなもので済むんだ」

「高峰君、子供の気持ちは一度大人になったら気づきづらいというものだとも。彼がそういうのならば正しいのではないかな?」

「フミカちゃんがいれば、心理学としての見解を言わせるのだけどねぇ。私の本職は薬剤師でしかないし」

「え、医者じゃなかったんですか」

「そうよ。権威だけあるお歴々の方々が無謀な処方を止めるのが私の役目よ。それを言い出せる性格と、図太さが決めてですって。まったくこんな可愛い女性を捕まえてなんてことを言ってくれるのかな」

 流石にそこにコメントを言って藪蛇はつつきたくない。そう思って廊下の角に目をそらすと、一瞬そこから視線を感じた。




「さてと、これで建前の時間が終わったし由城君はもう帰っていいよ。私は君の次のスケジュールとか今後を森谷教授と決めるからね」

「あ、はい。次もあるんですね」

「そのパスを受け取ったのだから、早々に逃げられないと思いたまえ。何簡単なバイトとコネ作りだと思えばいいさ」

「そうだとも、こういったくだらないと思う行動は後ほど役に立つことが多い。まだ若い君には分からないかもだが、一つ一つ細かく観察をするといい」

「森谷教授は由城君をどういう大学生にするつもりなんですか? もしかしてジャーナリストか探偵にでも?」

「ははは、そんな訳がないだろう。ただ彼が必要な判断をできるように自分自身の目を磨く努力をしたまえと告げてるだけだとも」

 あまりこの二人のいる場所にいると、ネタにされてしまう予感しかしないので、御暇することを伝えてさっさと撤収することにした。そのついでに交通費といって森谷教授は1万円をくれた。残りは駄賃にと言っていたが、遠まわしに次も断らないでくれよというメッセージを感じる。

 セキュリティパスが不要なエリアまで来てから、セキュリティパスをシャツの下へと隠す。流石に目立ってしょうがないが、カバンを今日は持ってきていないからこうするしかなかった。受付まで降りると、先程来た時に来たジャーナリストさんが今度は受付に食って掛かっていた。よくこんな所まで入れたものだな。

 そう思いながら大学病院を後にして、駅へと向かう。電車に乗ろうと思い、来た電車に一歩足を入れた時に気づく。――。そこで足を止めると、後ろから突き飛ばされた。

 扉が閉まる音がして、視線をあげるとその先には黒い影のようなものが乗客のように座っていたのが急に一斉に立ち上がったところであった。

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