春の眠りを告げる病
Wakening Up
社会の窓
教授が今日の講義を進めていく。必修科目の基礎授業となるものは難しいものではなかった。社会のさまざまな問題の裏側を探るために、まずはニュースについて注目するという話を主軸に進んでいく。
『――ゆえに、今流行っているというこの春眠症候群というものの社会への影響はもっと深刻に考えなければならない。人によっては怠けているだけだの、睡眠不足やゲームのやりすぎといったものを槍玉にあげている。もちろんその方が視聴率を稼げるといった意図はあるだろうし、それは昔からよくある手法で。正しさよりも面白さを重視するというのは時として害悪なのだ。ゆえに情報というものは自分で裏取りをするものだ。各自のタブレットに資料を送ったから、見てみるといい』
大学から貸与されているタブレットを言われるがままに確認する。春眠症候群と名前がつけられたそのフォルダには、テレビ報道においてどのように取り扱われているか、ネットニュースでどう取り扱われてるかの比較資料だった。
春眠症候群とは、今世間を騒がしている原因不明の昏睡症状になる病である。現時点で患者になっているのは誰もが無茶な夜更かしや、無理のある勤務体制、遊び呆けてる人しかいない、という報道だった。ネットニュースのリンク先に飛んでいけば、それに対する攻撃的なコメントが目立ちはするが、それまでだった。
『原因不明の病が少しずつ広がるということに対する危機感は大事だ。いつ身近な友人や家族、自分自身がそういったパンデミックに巻き込まれるかがわからない。茹でガエルなんて例え話がある。2つの鍋と、2匹のカエルがある。片方の鍋は煮えたぎる熱湯で、もう片方は最初はただの水。それぞれの鍋にカエルを入れるわけだが、もちろん熱湯にいれたカエルはすぐ逃げるだろう。最初から水の方ではカエルは逃げ出さない。それが少しずつ加熱されてしまうと、その熱さに気づくことなく死んでしまうという。つまるところ、危機感というのが大事で――』
なにかにつけてこの教授はそういった例え話やらなんやらに繋げたがる。小中高の
先生方にもそういう人はいたが、面白ければ聞いてて楽しい。けど武勇伝にばかり繋げたがる人がいたことをどうしても思い出してしまう。
そうこうしているうちに、講義の時間の終わりが近づいてくる。この教授のいいところは、いつも5分から10分前に講義を終わらせることが多いので人気がある。
周りを見ているとつっぷして眠っている男子学生がいるが、それもまた簡単な基礎講座ゆえの状況なのだろう。とはいえ、教授の目線が怖いからやるのはオススメはしないが、癇癪を起こすわけでもなく、追い出すわけでもない教授はとても優しいと感じるところで。
『――では本日の講義はこれで』
その一声とほとんど同時に、揺れが来る。免震工事をしたということがウリのこの建物には大きな揺れなんて感じることはありえないはずだった。床に固定されている机が激しく震え、机の上に乗っている様々なものが落ちる音や、鈍い大きな何かが落ちるような音が講義室を満たす。立つことも座ったままでいることも難しく、ただ机にしがみつくのがやっとだった。
気づくと揺れがおさまると、まわりは大変な状態となっていた。
隣の席、いや部屋中の学生がほとんど床に倒れていた。見てみるとまるで眠っているようであった。今この部屋で起きているのは、先程居眠りしていた連中と教授であった。皆がこの大惨事に呆けてる中、教授のもとへと向かう。
その動きに気づいた教授が正気に戻り、先程までのマイクではなく、声を張り上げて声をかけてくる。
「諸君! 起きている者は立ち上がってくれ! 数を数える!
教授が俺に声をかけながら、起きている奴らに声をかけていく。それを見ながらも内線をかけるが、まるで反応がない。壊れているかのようだった。
「森谷教授、内線が壊れているようでつながりません」
「由城君、更にバッドニュースだ。皆に119番をかけてもらおうとしたが、誰も彼もが繋がらないみたいでね。この講義室の子たちの様子をみてるから、君は直接事務室に行ってくれ。私のゼミの子で起きているのは君ぐらいでね」
つまり使いやすいパシリってことですね。その思いを目線で訴えるが、森谷教授は気にせずに起きている学生たちに指示を出していく。散乱した荷物や机をどけて、女子には女子を、男子には男子の様子を見て回らせていた。
フィクションのような光景を前にして、夢を見ているかのように感じる。だがそこにいる人達は同学年の友人たちで、それをみると現実だと直感して、立ちくらみを感じる。だが呆けてる暇もない、そう思いながらも事務室へと駆け出す。途中に見えた講義室の様子はどこも同じような状態であった。エレベーターを使うのは流石に今は心配なために、6階分を駆け下りて、事務室にたどり着く。
扉を開くと、中で作業していた方々は机につっぷして寝ているかのような状態であった。入ったときに強く扉を開けた衝撃か、目の前で回転椅子がすべり、眠っていた人が床へと転がり落ちるが、起きる様子がなかった。
眼の前で椅子から落ちた人の様子を見るが傷一つなかった。その身体にはまるでモヤのような、陽炎といえばいいのか、よくわからないものがまとっていた。
「――来訪者のお兄ちゃん」
あの子の声が聞こえてくる。その声につられて見回すがその姿はどこにもなかった。
「――名前を持ってしまった化物に気をつけて、こんな強いのは、お姉ちゃんもいないと、お兄ちゃんにはむ」
その声を遮るようにしてノイズが響く。そして何かの笑い声が響く。いつまでたってもその声は止むことなく俺には聞こえていた。
「くっそ、一体どうなってるんだ」
その笑い声を辿っていくと、事務室のテレビから出ていた。テレビには何も映っていたいし、電源も入っていないのにその笑い声を響かせていた。先程の人に見たようなモヤが先程よりも分厚くそのテレビにまとわりついていた。
テレビに手を伸ばし、モヤに手が入るとまるで水の中に手を入れた時のような抵抗を感じる。笑い声に苛ついていた俺は、それを気にせずにテレビを壊そうと勢いよく握りこぶしをぶつける――そして、テレビから光が溢れた。
眩い光で視界が真っ白になり、笑い声は消えた。代わりに少し送れて何かが落ちてガシャンと壊れる音がする。見えるようになると、目の前にあったのはテレビ台から落ちて真っ二つに割れたテレビ。
「おい、君、何をやってるんだ。勝手に入ってテレビを壊して!」
後ろから誰かに羽交い締めをされる。先程倒れていた事務員がいつの間にか目を覚ましたようで、俺を逃さないかのように取り押さえる。それと同時に一斉に鳴り響く事務室の電話。まるで蜂の巣をつつくように騒がしくなった構内は、先程まで誰もが眠っていたのが白昼夢を見ていたようだった。
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