-夢蝕-ムショクのアーディアルハイド ~影が世界に堕ちる日々~

守谷ユイ

プロローグ:それは夢のある日常

 大理石の床の玄関を抜けて、艶やかなフローリングを辿りリビングへと向かえば、広い部屋に出る。正面の壁一面全てが窓ガラス。そこからは満天の星空がよく見え、その天からは逆さに降りてくる摩天楼。中空から陽炎のように伸びてくる逆さの高層ビルは明かりがなく、星空を反射していた。


 紙をめくる音が響く。リビングにはいつものように本に目を落としている彼女が椅子にかけていた。「電子書籍が普及した今ではレトロな趣味と言われています。でもそれが本を読んでいるという実感と、その本の世界に浸らせてくれる最高のエッセンスになるのですよ」と、以前聞いたときに彼女はそう言っていた。


 ぺたぺた、とスリッパが立てる足音にも彼女は気づくことなく本に集中していた。彼女と対面するようテーブル越しの席にかけ、机の上の盤面をみる。チェスの盤面は前に見たときと変わらぬ配置で、相変わらず俺に不利な状態だった。

 無言で駒を一つぱちんと動かす。すると彼女は気づいたのか、同じように駒を動かしてくれて、小さな声で呟く。


「チェック、ユウさんはなかなかチェックメイトさせてくれませんね」

「そういう遊びだからね。すぐに詰められたらお互いつまらないだろう」


 コトン、コトン、と駒をお互いに動かす。キングがチェックをされている状況から逃がし、そこからの10手で今日の対局を終わらせた。これは毎日できるからこそ、こういう風にやろうと彼女が提案したのだ。


「さてと、それじゃあ冒険に出かけましょう。ちょっと着替えて来るので待ってくださいね」

「そんなに急がなくていいんじゃないか?」

「ほら、あの子が待ってますから。せっかく仲良くなりましたし、早く、ほらユウさんも支度してください」

「はいはい」


 彼女がはしゃぎながら、個室へと入り着替えてくる。読書用のメガネははずして、白のセーターとジーンズは紺色のスリットの入った動きやすいワンピースドレスと長手袋に変えて、自然のままに瞳を隠していた長い黒髪をカチューシャでかきあげて。


「それじゃあ、今日はどこに行きたい?」

「あの子は砂漠のある所の子でしたし、海を見せてあげたいですね」

「それならば、空飛ぶ船でも探しに行くしかないんじゃないかな。山超えなければならないだろうし」

「それはいいですね! あの砂漠には遺跡がたくさんありましたからもしかしたら、もしかしたらですよ? もし古代文明の空飛ぶ船があれば面白いですし、探索するだけでも楽しい冒険になります!」


 そう言いながら二人で窓を開き、見上げる。何度みても夜空の果てから降りてくる逆さの摩天楼は圧巻だ。そして手をつないで一緒にバルコニーから足を踏み出す――真下に広がる暗い底の見えない穴ではなく、空へと落ちていく。



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 スマートフォンのタイマーが朝を告げる。今日は大学に行く日だ。

 最近ずっと続きもののような夢を見ている。鮮明に思い出せるのは二人で行く夢の世界の冒険。

 夜に眠り、その夢の続きを見るのをたのしみにしながら、身支度をして、リビングへと降りる。家族がつけていたテレビのニュース番組では、最近頻発している事件を伝えていた。


『――最近この症例が増えており、まるでただ寝ているようにしか見えないのが本当に不思議です。患者にも一貫した共通項がなく、学校の行事中に倒れてしまう中学生や、タクシーの運転手がお客さんを送り届けようとしたら――』


「ほら、ユウ兄さん、焼き立てのトーストが冷めてしまいます」

「そんなに急かさなくてもいいんじゃないか? 母さんたちは?」

「父さんたちはもう温泉旅行に出かけました。私もそろそろ部活の合宿に行きますが家の管理の方お願いしますね」

「任せろ、といってもだいたいやることもないけどさ。ロボット掃除機を寝る前にボタンひとつおして、洗濯物は必要に応じてやるだけで」

「本当、ユウ兄さんは夜更かしもせずに、すぐに寝ますし、若者らしくないですね。彼女ぐらいでも作ったらどうですか」

「ははは、それは考えておくよ」

「いつも余裕ぶって……」

「そういうお前も、彼氏でも作ったらどうだ?」


 妹は深い溜息を吐いて冷たい目でこちらを一瞥してから、キャリーバッグを引いて出かけていった。大学生になって自由が増えたのは本当にいいが、生活が家族と全然合わなくなるというのも少しばかり寂しいものがある。

 とはいえ、大学をサボるのもよほどのことがなければしたくない。出してもらったお金を無駄にできないし、いつもと同じように通学する。そしていつもどおりに勉強して帰る。テストがなければ一番いい。

 今日もそういう日になればいいな、と俺は思っていた。

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