第50話 魚影

 雲一つ無い暑い夏の日のことである。六人の男達が大学生最後の思い出に、大学から車で二時間ほどの浜に一泊で海水浴に向かっていた。

 車内は酒の匂いが立ち込めて騒々しく、皆ハメを外して大いに盛り上がった。しかし、飲み過ぎたせいか、浜に着くと運転手の岡部以外はトイレに速攻駆け込んで吐く始末だった。


「いやぁ、吐いたらスッキリしたわ」


 そう言ってお調子者の渡辺わたなべは海の家にボートを借りに行った。他の者も次々とトイレから出て来たがまだ顔は青ざめており、「はぁ?こんなんで海に出るとか無理でしょ」と背を丸めて海の家の休憩所に吸い込まれていった。


「じゃあ岡部、一緒に乗ろうぜ!ボート!」


「お前、なんでそんな元気なの……」


 そうして、二人は照り返しの強い海へとビニールボートで繰り出したのだ。


「お前、まだ酔ってるんだから俺にを貸しな」


「あざーす」


 渡辺は岡部にを渡すと、ボートのへりから海を覗き込んだ。ボートが渡辺の体重で片側に若干傾く。

 

「うぉい、めっちゃ透き通ってんだけど!ちっこい魚が見える!」


「絶対に落ちるのなしな。あまり覗き込まないでくれよ」


「わかってるって」


 そう言いつつも、渡辺は少し顔を出して「今、エビみたいのいた!」などと言って一人ではしゃいでいる。

 やがて飽きたのか口数は減り、ぼんやりと海を眺めてうとうとし始めた。


「渡辺ー、寝るならボートに横になってくれよ。落ちるぞ」


「おう」


 そこで渡辺はふと空を振り仰いで「あっれー」と言いながら視線を海に戻した。そして首をひねり、また空に目をやる。


「どうした?」


「いや、この影なんだろ」


「影?」


 岡部は何かを追う渡辺の視線の先に目をやった。確かにボートの影ではない範囲にまで影があり、生き物のように動いている。思わず岡部も上を見上げた。直視できない太陽が雲一つ無い青空に光っている。


「ボートの下に移動した……あ、出た」


 渡辺はボートの縁を這うようにして回った。そしてニュッと顔を突き出して海面を覗き込んだ。その時、重みでボートが激しく傾いだ。


「わぁっ!」


 すんでの所で岡部は渡辺の海水パンツを掴んで事無きを得た。


「もー、だから言ってんだろ」


「わるい……」


 影はするりとボートの下から抜け出て、海面をすべるように彼方へ行ってしまった。


「なんか魚っぽかったな」


「魚ねぇ……気味悪いな、もう帰ろうや」


 岡部は艪を回して海岸へと向かった。


 その晩、渡辺は消えた。どんちゃん騒ぎの飲み会の最中だったので、いなくなっても朝まで誰も気にとめなかったのだ。


「あいつ昨晩、影がない、影がないって言ってたよな……」


「うん、また酔っ払ったんだと思ってたけども……」

 

 そして三日後、近くの海水が満ちる洞窟で渡辺は変わり果てた姿で発見された。


(了)


 

 


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