第49話 溶岩の淵

 主にアルミ製品を製造するこの工場に勤めて一年になる。勤め始めの頃は、同僚のおっさんから昔起きた事故の話を聞いてビビッていたけど、今や慣れたもので、マグマみたいにドロドロに溶けた金属をキレイだなんて思う余裕が出て来た。

 工場は朝も昼も夜も二十四時間体制で稼働していて、俺は夜勤の方が給料がいいからそっちにしてもらっていた。よく一緒に作業する、俺の親父と同い年くらいのはたさんも気の良い人で、たまに飲みに連れて行ったりして可愛がってくれている。俺は体力にも自信があったし人間関係も良好だったから、毎日ご機嫌で働いていたんだ。

 そんな時、新人がやって来た。名前を豊島とよしまという。新人といっても畑さんよりも年上に見える、白髪交じりの頭が剥げかかったおっさんだった。どうにも暗い雰囲気で目が合わない。俯きがちでこちらが話し掛けても「はい」「いやぁ」としか殆ど言わない。早々にコミュニケーションをとるのは諦めて仕事の手順だけ伝えると、機械の音が充満する熱い工場の中で黙々と作業を続けた。

 十基ある溶解炉の中にベルトコンベアーで材料を次々に投入していくと、それを眺めていた豊島が俺の傍に寄ってボソボソと何か喋った。


「なんですか?すいません、もうちょっと声はってもらえませんか」


 すると、豊島は辛うじて聞こえる細い声を出した。


「この炉で……昔、事故があったんですね……」


「あぁ、聞きました?鉄板ネタっすよ。みんな怖がるでしょ?この前、工場見学に来た小学生も聞いた直後はシーンってしちゃって」


「そりゃあ、怖いですよ」


 豊島はそう言って、溶解炉の中で赤みを帯び始めた金属片を覗き込んだ。


「危ないっすよ、何してるんですか……そうだ、もっと怖い話を教えてあげましょうか。前にここで夜の当番に当たった人が、溶解した金属の中から人の顔が浮き出てくるのが見たそうです」


「でも、一人で作業はダメですよね。させられませんよね」


 怯えるように言うので笑い出した。


「基本は二人だから大丈夫です。そんなにビビッてたら手元が狂いますよ、いくら単純作業だからって」


「はい」


 そう言って豊島はまた押し黙った。


「あ、それと時間がある時にベルトコンベアーから落ちたこういう金属片、箒とかで集めて下さい。滑ったら事故に繋がるんで」


「はい」


 豊島とマトモにした会話はこれだけだった。それから畑さんは持病の関係で医者から規則正しい生活をするように言い渡されたらしく、勤務時間が朝からになって俺とは完全に会わなくなった。代わりに豊島と一緒の日が続いた。どうも噛み合わなくて苦手ではあったが、今までが恵まれ過ぎていたのだと割り切って作業をし続けた。


 ある晩、豊島と溶解炉の作業中にどうしてもトイレに行きたくなった。がぶ飲みしたウーロン茶が腹に来たらしい。


「すいません、豊島さん、ちょっとトイレ行ってきます。すぐに戻るんで」


「えっ、この作業一人じゃだめですよね」


 豊島はすがるように言う。


「大丈夫っすよ、気ぃ付けてもらえば。じゃ!」


 余裕のない俺は急いで工場の外にあるトイレへと向かった。


 間一髪で無事用を足して現場に戻ると、豊島が溶解炉の淵に立って中を覗きこんでいる。安全のために付けているサングラスにはうごめく生き物のような金属が映り込んでいた。


「豊島さん、またそんなきわに立って……危ないですよ。すいませんでした、席外しちゃって」


 豊島は俺の方を向くと、ニッと笑って見せた。歯を出して笑ったところなど初めて見る。なんだか薄ら寒くて俺はすぐに目を逸らすと、落ちている金属片を集め始めた。シャッシャッと金属が擦り当たる音が鳴る中、豊島はふと溶解炉を離れて俺の後ろに回った。そして「それっ」と俺の肩を両手で軽く押した。俺は若干体制を崩す。転んでいれば高温の溶解炉の中に真っ逆さまだった。


「ちょっ、何考えてるんですか。普通に危ないでしょ」


 俺は本気で怒っているのに、豊島はニヤニヤと笑っている。


「ね、落ちてみない?ね、外は寒いしさ」


 豊島は両手を俺に向けて付き出す。


「馬鹿じゃねーの、頭おかしいのかよ!」


 異様な気配に俺はその場を逃げ出した。そして監督者に豊島の様子を伝えて現場に戻ると、忽然と姿は消えていた。嫌な予感をして溶解炉を覗いてみると通常のものとは異なる不純物が浮かんでいる。


「監督、これ……」


 監督は周囲を見渡し、「この事黙ってろよ」と言って俺と豊島がしていた作業を再開した。


「あの人、家族がいない前科者なんだ。うちの社長が温情で特別に雇ってやったんだよ。仕事が辛くて逃げ出したって言えばバレやしない。またうちから事故が起こったなんて知れたら操業停止だし、俺もお前もクビだよ」


「そんな……」


「しかし、こんだけある溶解炉の中でまたコイツで事故か……呪われてんじゃねーの。気持ちわりぃ」


 監督は棒をマグマのような金属片の中へ突っ込んで不純物を取り除くと、鋳型へと流し込んだ。


「ほら、突っ立ってないで動く。今夜は人数パツパツなんだよ」


 俺は混乱しながらも逆らう事が出来ず、そのまま何事もなかったかのように作業を朝まで続けた。

 仕事終わり、目に痛いほど眩しい朝日に照らされた巨大な工場を見上げてみる。俺は経ち飲み屋で酒を引っ掛けて気持ちを整理すると、その足で警察へ向かった。


(了)


 


 


 

 

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