第44話 炎の夜に
戦時中の事だ。私は肺を患っていたために兵役を免除され、自分の母親と妻、そして十歳の娘と毎日空襲に怯えながら眠りに就いていた。
町全体が寝静まった頃、地を這うように不気味なサイレンが鳴り響いた。あれは本能に訴えるものなのか、幾度聞いても慣れるもんじゃない。いち早く飛び起きた私は外へ飛び出して状況を確認した。地上近くの西の空が赤く染まっている。その明るくなった空の一部に、まさに焼夷弾を落とす戦闘機が飛び交うのが目視出来た。じきにこちらにも来るであろう。いつもよりずっと数が多い。
私は急いで家族を叩き起こし、庭に掘った防空壕へ急かして移動させた。サイレンが鳴り響く中に爆音と悲鳴が混じる。時間がない。
そこへ誰かが「防空壕も危ない、でかいのが来るぞ!山へ逃げろ!」と叫びながら通り過ぎて行った。
私達の町は山の麓にあった。山はご神体とされ、古くから地元の人間の信仰の対象となっていた。
「あなた、私達も行きましょうよ」
焦げた匂いが風に乗って届き始めた。
「いや、夜の山登りなんて明かりがないと出来やしない。明かりなんかつけたら今度は爆撃機に攻撃されちまう。ここにいるのが安全だ」
迷いがあるのか怯えて山に目をやる妻を、母と娘とともに無理矢理防空壕に押し込んだ。そこへ、母が素っ頓狂な声を上げた。
「あぁ、爺さんの位牌がまだ中にある!」
「もうそんなどころじゃないだろっ。おい」
母は私を押しのけて外へ出ようとし、狭い防空壕で揉みあいになった。少し痴呆が入った年老いた母からは想像も出来ぬ力に並々ならぬ執念を感じ、このままではいつ何時弾みを付けて飛び出るかわからない状態に見受けられた。
「わかった、俺が行ってくる。涼子、絶対に外に出さないように注意してくれ」
妻は母と私を今にも泣き出しそうに見比べたが、静かに頷いた。
「お気を付けて」
「大丈夫さ……多分、まだ時間はある」
そう言って慎重に防空壕の蓋を開けた。先程よりも焦げた匂いや爆撃機の音が近くなっている。私は素早く防空壕を飛び出すと家の中に土足で飛び込んだ。夢中で走って父の位牌を掴み上げて走り出そうとすると、ふと強い力に後ろから引っ張られて身動きが取れなくなった。途端に強い耳鳴りと頭痛が襲ってくる。呼吸をするのすら辛い。
金縛りだ。起きている時になったのは初めてだった。何故よりによってこんな時なのかと思った瞬間、激しい音が降り注ぎ、思わず目をきつく閉じた。
次に目を開けた瞬間広がっていたのは、畳に刺さる焼夷弾と燃え広がろうとする炎だ。金縛りに合わなければ私に直撃していたのは明白だった。外から爆音と悲鳴が聞こえた。私は位牌を抱いて仏間の前で縮こまって震えた。そして、再び焼夷弾が屋根を突き破って家の中のどこかに落ちた。
母と妻と娘をお守りくださいと祈り続けた。やがて、爆撃機の音が無くなってので恐る恐る外に出ると、防空壕にも特に被害はないようだった。しかし、サイレンはまだ
母に家の中での出来事を話すと、「きっと爺さんが助けてくれたんだよ」と涙を流していた。もしかしたらあの時の私は極度の緊張で体が強張っていただけかもしれない。でも、私も父が助けてくれたと信じている。
(完)
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