第16話 気配

 髪を洗っている時に気配がしたら、それは幽霊らしい。

 友人がそう言うのを睨めつけた。

 私は人一倍怖がりで、昼間でさえ校舎の隅の人がいない暗がりや、近所の廃病院の前を通るのすら早足になる。

 幽霊なんていないとは頭ではわかっている。でも、過敏に怖さを感じ取ってしまうのを理性で押さえ込む事は出来ない。

 お風呂に入る時に絶対気にすると思っていたら、案の定めちゃくちゃ怖くて、いつもはシャンプーを二回するところを一回にとどめ、頭を掻き毟るように高速で洗い上げて風呂から出た。

 数日間はこれで乗り切ろう。いつも少し経てば怖い話も忘れてしまう。それまでの辛抱だと思った。

 やはり、一週間もしないうちに私はその話を忘れてしまった。元から風呂は好きなので、たっぷり一時間半掛けて入るご機嫌な時間が戻ってきた。

 

 ひと月ほど経った頃だろうか。

 二回目の洗髪をしている時に、扉の向こうに気配がした。私はシャンプーが顔に垂れていたので目を開けられず、風呂の最中に洗面所に誰か来るなんて珍しいなと思いつつも髪を洗い続けた。

 入念に頭皮をマッサージしている間も尚も気配は消えない。むしろ、さっきよりも近くに感じる。そう言えば、水道を使う音が聞こえない。何しに洗面所に来たのだろう。


「おかあさん?」


 呼んでみた声に返事はない。そして、あの怖い話が脳裏に甦った。

 私は焦ってシャワーをひねり、頭から水を被って目を開いた。目の前には磨りガラス越しに淡い光が見える洗面所しかなかった。誰もいない。

 

「おかあさーん、おかあさーん!!」


 私は風呂の中で人生で出したこともない大きさの叫び声を上げた。お母さんだけでなくお父さんも娘のただならぬ悲鳴に血相を変えて、風呂まですぐに駆け付けてくれた。

 話を聞いて二人は笑ってたけど、あの気配は間違いなんかじゃない。

 数日後、お母さんが風呂を出た後に私に尋ねてきた。


「あんたさっき洗面所に来た?」


「ううん、ずっとテレビ見とった」


「そう?」


 お母さんはお父さんにも同じ事を聞いたが、同様に否定されて首をひねっていた。

 やっぱりあの洗面所に何かいるんだと思い、私は塩を盛ってみることにした。

 お母さんはオカルト的な事が嫌いだからバレないように、洗面所の下の棚の奥へと隠すように置いた。すると、以降は気配を感じる事はなくなった。でも、代わりに良くない事が続くようになった。

 母は原因不明の頭痛に悩まされ、父は会社をリストラ、私は階段から落ちて右足を骨折し、後遺症が残るかもしれないと言われた。

 沈んだ気持ちのまま年を越し、家族三人で初詣に行った神社でお父さんが「お祓いでもしようか」と言い出した。「そんなの無駄遣いよ」と反対するお母さんをお父さんは宥め、私たちはお祓いを受けた。しかし、途中で気持ち悪くなって意識朦朧となった。それでもなんとか堪えて最後まで終えると、先ほどの吐き気はどこかへ吹っ飛んで爽やかさだけが後に残った。その事を話すと、お父さんもお母さんも同様だった。


「わたし、頭痛治ったみたい」


 お母さんは久し振りに溌剌とした笑顔を見せた。

 その後、お母さんの症状が振り返すことはなく、お父さんも無事に再就職し、私の足も後遺症が出ず、歩く事がかなうまでに回復した。

 

 時は過ぎ、一年後に大掃除していた時の事である。洗面所を隈なく掃除していた私は、洗面所の下の棚の中に散らばった黒い粉を発見した。何だろうと思って奥を確認すると、かつて私が設置した盛塩の皿に黒い塊が載っていた。塩が黒く変色している。飛びずさってその場を離れ、お父さんを連れて戻った後に、その皿と黒い塩を綺麗に掃除して捨ててもらった。

 何かは確かにいたのだろう。

 

(完)

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る