第11話 影絵

 猫が死んだ。

 実家で私が七歳の時から飼っていた猫だ。名前をトラという。


 公園の茂みに捨てられてニャーニャー鳴いていたのを、当時小学生だった私が拾って来たのが始まりだ。一緒に捨てられていた他の二匹はすぐに死んでしまったけど、彼だけは生き残った。母と交代で、四時間おきにミルクをあげたり、自力で排泄出来ないのでお尻をふいて促してあげていた。なんとか無事に育って欲しかった。


 頑張った甲斐があったのか、トラの生命力が強かったのか、来た時は骨と皮ばかりで体が小さく一キロもなかった体重が、一年後には六キロにもなった。

 お腹の上で寝てくれなくなったのは寂しかったけれど、体は大きくなっても我侭で甘えん坊なトラが大好きだった。


 トラは十歳を超えたあたりから動きが緩慢になった。日向で眠る時間が長くなった。遊びにもあまり乗ってこなくなった。

 それでも、撫でるとごろごろと喉を鳴らしてご機嫌だった。


 そして、私は大学に入学して家を出た。トラと離れるのは寂しかったけれど、母によく写メを送ってもらったり、長期休暇で実家に戻った時は、家にいる時はずっと側にいて彼の背を撫でながら一緒に眠った。冬には布団の中に潜り込んで来た。


 私は社会人になった。学生の時のように長期休暇もなく、休みがあれば日頃のストレスを発散させるように友達や彼氏と遊びに出掛けた。頭の片隅ではトラに会いたいと思っているのだけれど、いつでも会えるしいいか、と思いながら時は過ぎていった。


 そして、トラは死んでしまった。

 まさかこんなに突然お別れが来るなんて信じられなかった。私が最後にトラを見たのはいつだろう。なぜ、もっと帰ってあげなかったんだろう。後悔しかなかった。

 

 暫くは、トラの事を思い出しては日中でも突然泣き出してしまい、トイレに駆け込んで涙が止まるのを声を押し殺して待った。朝起きて寝ぼけた頭でトラはもういないんだと思えば、心臓をぎゅっと掴まれたように胸が痛く、気持ちの逃げ場がなくて困り果てた。頭が変になっちゃいそうなくらい悲しくてどうしようもない。

 最期は私の腕の中で看取りたかった。私のことなんて誰も求めていない仕事のために、私の事が大好きだったトラを見捨てたのだ。

 情けなくて悔しかった。


 それでも時は過ぎ、三ヶ月ほどたった頃、なんとか私は平静を取り戻した。そして、盆に合わせて久しぶりに実家に帰った。

 実家のリビングにあるテレビ台の片隅には、トラの写真と花、トラの飲み水を入れていた陶器の器が飾ってあった。

 トラは老衰だったらしい。死ぬ間際に撮ったという写真を見せてもらうと、とても穏やかな顔をしていた。涙を堪えるのに必死だったけれど、夜に自室で一人になるともう駄目だった。トラに会いたくて仕方なかった。

 そのまま私は泣き疲れて眠ってしまったのだけれど、夜中にふと目が覚めた。そして、窓の外に気配を感じて目をやった。そこにはカーテン越しに猫のシルエットが映っている。


 トラだ。


 すぐにわかった。尻尾の先が丸まった特徴的な鍵尻尾は影でも良くわかる。私は体を起こして、その影が窓の外を右へ左へ動くのを見つめた。

 夢なのだろうか。触れたい。あの艶のあるふわふわとした毛を撫でたい。

 私はカーテンに手を伸ばし掛けたが、躊躇した。

 これはあくまで影で、カーテンを開いたらそこには何もいないのではないだろうか。

 迷った挙句、私は伸ばした手を引っ込めて、そのシルエットを目に焼き付けた。伸びをしたり、耳を後ろ足で掻いたりしてリラックスしている。しまいにはでんぐり返りをしていた。

 私は滲む視界を擦りながら、いつまでもこの時間が続けばいいのにと願った。


 やがて、闇の色が薄くなり鳥の声が聞こえて来る。少しずつ、朝が影を侵食してきた。私は瞬きすら惜しくて最後の瞬間まで目を見開いていた。

 そして、カーテン越しに明るい日差しが入って影は消えた。


 嗚咽した。今日はお盆だから、きっとトラが会いに来てくれたのだろう。また、来年も来てくれるだろうか。


 涙が枯れるまで泣いた後、朝日を浴びながら目を閉じて私は眠りについた。


(完)

 

 

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