怪談集め

森れお

第1話 銭湯

 以前、勤めていた会社での話です。


 その会社は従業員二十人ほどの小さな建設会社で、私は事務をしていました。

 会社は三階建てビルの二階にあり、以前一階は銭湯、三階はその銭湯を経営していた家族が自宅として使用していました。

 ビルに入るとすぐに脱衣所として使用されていた広い玄関があり、奥に銭湯へ続く目張りされたガラスの扉が二つありました。

 二階にある事務所に行くためにはどうしてもそこを通らなければならず、入社当初は違和感を感じていたのですが、慣れてくればさほど気にならなくなりました。


 ある気候の良い秋の休日、前日に一人で遅くまで残っても仕事が終わり切らず、仕方なく出勤することにしたのです。

 一人で職場にいると三階から足音がするなど怖い話を先輩から聞いていましたが、前日の夜にも何も起こらず、元から幽霊など信じる性質ではない私はその日も気にせず元気に出勤しました。

 あまり明かりの差し込まない玄関に入ってすぐに違和感を感じました。

 何か水の腐ったような匂いが微かにするのです。なんだろうと思いつつ、あまり気にせず二階への階段を上がろうと銭湯のガラスの扉を横切ろうとしました。

 すると、目の端に何か動いた気がします。

 思わずガラスの扉を見ましたが、いつもと同じように新聞が向こう側に張られたままです。

 違和感を無視して職場に向かい集中して仕事を行っていると、あっという間に日が陰って来ました。切り上げて階段を降りていくと、今朝見た銭湯のガラス扉につい目がいきました。

 ガラス扉に張られた新聞紙が少し剥がれています。

 何故剥がれたのかと思いましたが、好奇心で隙間から中を覗き込んでみました。

 しかし、見た直後に私は裸足でビルの外に飛び出していました。

 ガラス扉の向こう側にはひなびた洗面場があるだけでしたが、ガラスには私の顔の横に人の顔が映っていたのです。

 一瞬でしたが、確かに無表情で私を見ていました。


 その話を先輩達にしましたが信じてもらえませんでした。その後は出来るだけガラス扉を見ないように、一人にならないように出勤していましたが、日に日に濃くなる水の腐った匂いに恐怖を堪えきれず、転職先を見つけて退社しました。

 私が転職して一年ほど後に会社は移転し、今では廃ビルとなってしまったそうです。


 今では子供が出来て仕事自体も辞めてしまいましたが、いまだに秋の風を感じるとあの日の出来事を思い出すのです。






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