雨の橋守:雨露霜雪編

紬 蒼

雨の橋守

第壱話 神立:kandachi

魁の探し物

 誰にでも『秘密』はある。


 たくさんの仮面をつけて必死に『秘密』を隠して生きている。

 素顔のように見えてもそういう仮面をつけている。


 そして『秘密』を隠す為に嘘を吐き、嘘を重ねる。

 積み重ねた嘘で真実を見失うほどに。


 僕、みずゆき晴一はるいちの『秘密』は『雨』が見えること。


 雨、といっても誰にでも見えるあのとは少し違う。


 叢雨むらさめ翠雨すいう花時雨はなしぐれ……

 雨の多い国だから、雨の名前も四〇〇以上ある。


 そんな雨の名を持つ水のあやかしが見えるのだ。


 彼らは雨の日に現れるが、空から降って来る訳じゃない。

 人の姿をしているが、どこか普通の人とは違う彼らは、うちの裏にある古い小さな石橋の向こうから来る。


 その橋を利用する人はおらず、渡って来るのは常に雨の名を持つ水の妖達だ。

 その橋を守り、また彼らとこちらとの境界を守るのが『橋守はしもり』の役目だ。


 僕が橋守であるせいで大切な家族を失ったけれど、僕が橋守を継いだことで得たものもたくさんある。

 祖父の幼馴染達、ケンさん、柚菜ゆうなさん。

 そして、かい


 彼らの前では嘘を吐かなくていい。

 僕の『秘密』を知っていても尚、変わらずに接してくれるから。


 けれど、『秘密』を抱えているのは僕だけじゃない。


『秘密』とは不意に意外なところからバレるものだ。

 例えば古い蔵の床下とか。


***


 夏が終わるとどこか物悲しい気持ちになるのはなぜだろう?


 九月のとある朝。

 暦の上では秋を迎えたとはいえ、まだまだ夏真っ盛りといった暑さに辟易していた。

 夏物とはいえ、着物は暑苦しい。

 故に夏の盛りはタンクトップに短パンという姿で過ごすことが多い。

 が、それは家での話。

 閑古鳥が鳴くとはいえ、骨董屋職場では着物でなければならない。

 鬱々と着物に袖を通し、帯を締めながら台所へ行くと、珍しく魁の姿がなかった。

 洗濯でも干しているのかと縁側を覗く。


 と、蔵の引戸が開いているのが見えた。


「魁?」

 縁側から声を掛けるとガタゴトと物音がし、蔵の入口から魁が顔を出した。

「おや、もうそんな時間ですか。すみませんが、あとはパンを焼くだけですからご自分でお願いします。冷蔵庫にサラダとリョウさんがくださった杏ジャムがありますので」

「何してるんだ?」

「ちょっと探し物ついでに掃除をと思いまして……うっかり没頭してしまいました」

「探し物?」

「ふと思い立っただけで、ここにとっておいた気がするのですが……見つからないので、やはりずっと昔に捨ててしまったか戦で焼けてしまったのだと思います」

「一緒に探そうか? どんな物なんだ?」

「いえ。本当にふと思い出して懐かしくなっただけで……特に必要な物ではないのでお気になさらず。それより早くしないと遅刻しますよ?」

「じゃあ、帰ったら一緒に探すよ」

「いえ、本当に……」

 魁はそう諦めた風なことを口にしたが、表情はそうは見えなかった。

 蔵はそう大きくはない。

 そこに厳選された歴代の橋守達の遺品が保存されている。

 勿論祖父の物も。

 それから僕の両親の物も。


 それは祖父が捨てきれなかった『想い』で『未練』で『懺悔』でもあると生前語っていたのを思い出す。

 死んでしまえばその人の私物は何であれゴミになる。

 けれど残された者にとってそれは大切な思い出へと変わる。

 だから祖父は自分の為でもあったが、僕の為にも両親の遺品をわざわざ他の物を整理してまで取っておいてくれている。


 だから僕は魁もそんな気持ちだろうと勝手に思って、帰ったら一緒に探すと言い張って家を出て来た。


 そんなやり取りがあったことを骨董屋で近藤さんに話した。

 今日は珍しく酒井さんが呉服屋が忙しいと言って来ず、代わりに僕が近藤さんの向かいに座って将棋盤を囲んだ。

 相も変わらず売り物のテーブルに売り物の将棋盤だ。


「物に執着するタイプにゃ見えない分、余計気になるね」

 近藤さんはそう言って腕組みをし、顎を掻いた。

「祖父からも何か聞いたことないですか?」

「魁の思い出の品ねぇ……?」

 そう言って視線を上へと向けていたが、盤上に戻して「ないな」と呟いて駒を動かした。

 パチ、と良い音がし「王手、の一歩手前」とヒントを出してくれた。


 近藤さんは駒落ちといって使用する駒の数を減らしてハンデをつけてくれているのだが、それでもまだまだ僕は近藤さんの相手ができるほどではなく、こうしてヒントまで出してもらっている。

 僕相手では退屈させてしまうだけだが、それでも時間潰しにはなる。

 ので、仕方なく、なのだ。

 が、これでも最初よりかは幾分マシになった、ハズだ。


 王手の一歩手前だと言われた僕は必死に盤上を睨みつけて活路を見出そうとしていると、不意に店の戸が開き、真打が登場した。


「やあやあ、待たせたな」


 酒井さんが仕事が落ち着いたらしく、悠々と登場すると「あ」と近藤さんが何かを思い出したように声を上げた。


「傘だ」

 その言葉に酒井さんは手元の傘を少し持ち上げた。

「あ、ああ。店を出た途端、小雨が降り出してな。でも途中ですぐに止むもんだから持って来て損したわ」

「いや、そうじゃなくて……魁の思い出の品ってのは多分番傘だ」

「あ? 何の話だ?」

 そう言って酒井さんは僕と席を代わり、いつもの定位置に収まった。

 ので、僕はいつもの定位置である二人の間の席に収まり、テーブルの上に置きっぱなしになっているポットから常に用意されている酒井さんの湯呑にお茶を注いだ。

 すっかり聞く体制が整ったところで近藤さんが口を開く。


「いつだったか魁がね、傘を見て笑ったことがあってね。傘の形だけは今も昔も変わらないって。魁は平安時代からずっとこの町の歴史を見て来ただろ? その間に何日もかけて歩いてた旅も今じゃ空飛んで行くようになって、遠くの友人に文を送って何日も返事を待ってたのが今じゃテレビ電話で相手の顔見て話せるようになった。天気だって外れることはあるが、何日も先の天気も分かるようになった。なんにもかんにもが便利になったってのに、傘だけは変わらないってな」

「確かに。素材は変われど形状は番傘も今の傘もそう変わらんからなぁ」

 酒井さんが盤面をチラと見て頷いた。


「ま、雨傘が使われるようになったのは室町時代らしいがね」

「室町ぃ? 平安時代にゃなかったのかい?」

「防水技術がなかったようでね、日傘は古くからあったみたいだが、雨傘は室町辺りかららしいぞ。それまでは笠地蔵で知られてる方の笠で雨風凌いでたんじゃないか?」

「なるほどねぇ。うちの蔵にもまだ番傘があったと思うが……あれじゃ台風の日にゃ役に立ちゃしないな」

「なんせ丈夫な和紙とはいえ紙だからな。油塗って防水してたって話だが、紙は所詮紙だ。保存がきかないんで、そろそろ捨て時かねぇって魁がうちにその番傘を持って来たことがあってね」

「なんでまたお前のとこに?」

「うちはこれでも骨董屋なんでな」

「ああ、そういやそうだったな」

 酒井さんの本気なのか意地悪なのか微妙なボケに近藤さんは些かイラッとした様子を見せた。


「……魁だからね、とても保存状態の良い番傘だったよ。普通ならあれだけ古い物なら開くことも難しいだろうがちゃんと開いたし、虫も喰ってなかったしな。だから余程大切に保管してたんだろう。捨て時なんて言ってたからボロかと思ったんだが、捨てるには惜しい状態だったね。で、ちょいと興味本位でどんな思い入れがあるんだって聞いてみたんだ。そしたら、その番傘の持ち主は雨が好きな変わり者だったらしくてな。橋守であることを楽しんで、いろんな雨を呼び出しては庭で語り合ったり時には派手に喧嘩なんかして、魁はいつもそれに刀として付き合わされて散々だったと言ってたよ。でもそれを話してる時の魁は笑っててねぇ。だから口じゃ散々だなんて言ってたが良い思い出だったんだろうなぁ」

「その傘は結局どうしたんですか? 捨てたんですか?」

 僕が問うと近藤さんは軽く首を横に振った。


「いいや。うちでいろいろ話してたらそうが来てね。なんだかんだで家に持って帰ったよ。思い出はね、意外と忘れやすいもんだ。どんな良い思い出でもね。だけどね、その思い出の品なんてもんがあればそれを見る度、鮮明に思い出せるもんだよ。だから手放しちゃいけないって瀧が説得してたなぁ。物には愛着が湧くもんだし、だから私も閑古鳥が鳴こうとも骨董屋なんてものを好きでやってる」


 ならやっぱりまだ傘はあの蔵の中にあるのか。

 それと。

 魁は名前をくれた祖父よりも雨が好きな橋守に思い入れが強かったのか。


 僕はなんだか少しだけショックを受けていた。

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