第50話 大晦日

 大晦日おおみそかは、朝から景都と二人でおせち作りだった。


 俺が、里芋さといもやゴボウ、人参の皮を大量に剥いて、景都がそれを煮物やきんぴらにする。

 昨日買い集めたかまぼこや伊達巻きなどの食材を切って、お重に詰めていった。


 部屋の中は甘辛い醤油の香りで満ちている。


 杏奈さんは、玄関のドアにお飾りを付けたり、水回りに輪飾りをつけたり、和室の床の間に鏡餅を据えたり、正月の支度したくをした。

 年末年始は、景都から自由に飲んでもいいと許可が出ているから、杏奈さんはコタツを置いた客間に焼酎や日本酒、乾き物のつまみの準備にも余念よねんがない。


 つまみ食いしながら料理をする、のんびりとした時間が心地良かった。

 少しの間、普段の忙しい生活から切り離された時間を味わう。


「師匠! 黒豆、しわにならずに綺麗に煮られました!」

 景都が小皿に盛った黒豆を嬉しそうに見せた。

 確かにそれは艶々していて、表面は景都の顔が写るくらいになめらかだ。

 ねっとり甘くて、味も申し分なかった。


「よし、それじゃあ、写真に撮っておこうか」

「えっ、これを? ですか?」

「うん、こんなに艶々で美人な黒豆だから、マクロレンズで撮ってみよう」

「マクロレンズ?」

 景都が小首を傾げた。

「うん、マクロレンズは、普通のレンズよりも寄って撮れるレンズだね。よく、花粉まで見えるような花の写真とか、昆虫の写真とか、アクセサリーなんかを大きく写した写真あるよね」

「はい」

「ああいうのは、マクロレンズで寄って撮ってるんだよ」


 俺は、機材部屋からAi Microマイクロ-Nikkorニッコール 55mm F2.8Sを持ち出した。


「これは、1981年発売のレンズなのに、いまだに現行モデルだから、今でも新品が買えるんだよ」

 マイナーチェンジしながら作り続けられている、名玉といっていいレンズだ。

 37年前の時点で、もう完成していたと言える。

「昔から、ニコンでは他社が『マクロレンズ』って呼んでるのを、『レンズ』って呼んでいて、それは、ニコンがマクロ写真の定義に、原寸大以上の倍率で撮影する写真ってことを採用してるからで、等倍以下の近接撮影用レンズは、厳密げんみつにはマクロレンズって呼ばないっていうポリシーのもと…………」

 うんちくを語り始めたことに気付いて、俺はそれを止めた。

 うんちくを語りたがるおっさんのくせが抜けなくて困る。


「まあ、そんなことはともかく、撮ろうか」

「はい!」

 景都が黒豆を白磁はくじの小鉢に盛って、テーブルの上に置いた。


「普通のレンズだと50㎝くらいまでしか寄れないけど、このレンズなら25㎝まで寄れるからね」

 俺が言うと、景都がテーブルにひじをついてレンズを小鉢に近づける。


「カワイイ! 黒豆ちゃん、艶々です!」

 ファインダーを覗いた景都が弾けた声を出した。

 確かに、このレンズはファインダーを覗くのが楽しくなるレンズだ。


「マクロレンズはピントがシビアだから気を付けて、ある程度ピントを合わせたら、カメラを微妙に前後させるといいかもしれない」

「はい」

 景都は言われた通り、カメラを細かく前後させながらピントを合わせた。


「うん、いいよいいよ、黒豆ちゃん、可愛いね」

 景都はそう声を掛けながらシャッターを切る。

 景都が変なことを言うから、吹き出してしまった。


「もう、師匠、笑わせないでください!」

 自分が笑わせたくせに、景都が俺のせいにする。


 それにしても、大晦日の忙しい中で黒豆の写真を撮ってる俺達って……

 俺達を見ていた杏奈さんが、呆れたみたいに笑っている。



 夕飯はコタツで年越し蕎麦そばを食べた。

 景都は、年越しそばをネギと鴨肉かもにくが入った鴨南蛮かもなんばんにする。

 鴨肉から出る癖のない油が美味かった。


「あっ、師匠の足、あったかい」

 食べながら、コタツで俺の左隣に座る景都が、自分の足の裏を俺の足につけて、一瞬、びくっとなるくらいひんやりする。


「お姉ちゃんも、師匠の足に自分の足をくっつけてみれば?」

 景都が言って、右隣に座る杏奈さんが言うとおりにした。

 杏奈さんの足も同じくらい冷たい。



 年越し蕎麦の夕飯から、コタツにつまみを並べて、そのまま杏奈さんとの「飲み」になだれ込んだ。

 テレビで漫然まんぜんと紅白を流しつつ、景都が今日まで撮り溜めた写真を見て、俺達が出会ってからの時間を振り返った。


 俺がここに引っ越して来たときの、三人での記念写真。

 二人が水着になっている写真。

 夏祭りの浴衣の写真や、花火の写真。

 母や姉、姪の七海の写真。

 景都がバイト先で撮った仲間との写真。

 すっぴんの東子がここでくつろいでいる写真。

 いつの間にか撮られた俺の寝顔。

 修学旅行の北海道の写真。

 クリスマスパーティーの写真。


 一枚一枚に、思い出があった。


「なんか、遠い昔のことみたいです」

 景都が言う。

「ホントだね」

 俺は、もう何年もここで暮らしているような気がした。


 ビールから日本酒の熱燗あつかん芋焼酎いもじょうちゅうのお湯割りに進んで、杏奈さんの目がわってくる。


「おい、大沢さん! まったく、あなたはなんてイイ人なんですか!」

 杏奈さんが俺に絡み始めた。

「本当に、あなたが来てくれて良かったです!」

 杏奈さんはそう言うと、俺と肩を組んだ。

「もう、お姉ちゃん!」

「なによ、景都、あなただって、大沢さんのこと大好きでしょ?」

 杏奈さんはそう言うと、俺のほっぺたにキスをする。

 何度も。

「もう! お姉ちゃんってば!」

 景都が杏奈さんを俺から引き剥がした。


 酒を飲んだ杏奈さんが絡んでくるのは知ってたけれど、キス魔になるのは知らなかった。


「ずっとずっと、ここに居てくださいね」

 散々俺に絡んでいた杏奈さんが、後ろにひっくり返ったと思ったら、目をつぶってそのまま眠ってしまう。


「お姉ちゃん、コタツで寝たらダメなんだからね」

 景都が言って、杏奈さんに毛布を掛けた。


 そんなことをしていたら、遠くからかすかな鐘の音が聞こえる。

 テレビを見ると、ゆく年くる年が流れていて、午前零時を回っていた。


「明けましておめでとう」

「おめでとうございます!」

 俺と景都で頭を下げ合う。


 杏奈さんは、眠ったままだ。


「師匠、今年もよろしくお願いしますね。また、たくさん写真撮りましょう」

「そうだね」


「それと、これは私からです」

 景都はそう言うと、俺のほっぺたにキスをした。


「だって、お姉ちゃんだけずるいもん」

 ほっぺたを真っ赤にしながら、景都がそんなことを言う。

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