第49話 大掃除

 仕事納めの今日は、部署の大掃除をした。


 机や、棚周りの掃除はもちろん、システムから配布された手順に従って、端末の中のデータの掃除も行う。

「先輩は、やっぱりお正月ご実家に帰るんですか?」

 棚まわりの雑巾ぞうきんがけをしながら姫宮が訊いた。

 作業着にマスクと三角巾さんかくきんの、フル装備状態の姫宮。

「まあ、そんなところだな」

 俺は嘘を答える。


 実は、年末年始、姉が母を旅行に連れて行くらしく、めいの七海と女三人で温泉旅館に泊まることになっているから、実家には誰もいなくなる。

「あんたは、景都ちゃんや杏奈さんと居てあげなさい」

 母は電話で俺にそんなふうに言った。

 そういうわけで、俺は年末年始、こっちでのんびり過ごすと決めている。


「へえ、やっぱり、ご実家なんですね」

 姫宮はそう言いながら掃除を続けた。


「あれ? 実家に行くなら私も連れてってくださいとか、言わないんだな」

 いつもの姫宮なら、実家で私のこと紹介してください、とか、軽口を叩くはずなのに、今日はそれがない。

「先輩、なに言ってるんですか? そんなに親御さんに私を紹介したいんですか?」

 姫宮が訊いた。

「いや……」

 なんか調子が狂う。


「先輩、私は引くことも覚えたんですよ。自分の心に素直じゃない先輩に、駆け引きをしているんです。ほら、私が先輩の実家に行くとか言わないから、先輩、私のこと気になったでしょ? もう、私のことで頭がいっぱいになってる筈です」

「いや、なってないから」

「先輩、分かってますよ。照れないでください」

 したり顔で言う姫宮。


「なるほど、引くことも必要なんですね」

 知世ちゃんが、深く頷いている。


 結局、姫宮はいつもの姫宮で、知世ちゃんはいつもの知世ちゃんだった。



 俺達がそうして大掃除をしていると、珍しく上司がこの部屋の様子を見に来る。

 うちの設計を束ねる上杉部長。

 ゴルフ焼けの脂ぎった顔に、突き出た腹。

 部長は、肩で風切るようにして部屋に入って来た。


 その姿を見て、姫宮が目を伏せる。

 そう、姫宮とセクハラの件で揉めた、いわきの上司だ。


「おお、掃除やってるな」

 いつもながら、尊大な態度の上杉部長。

 見掛け笑顔で部屋の中を見回す。

「今年は、特に念入りにやっておいてくれよ」

 部長は、ぽんぽんとがさつに俺の肩を叩くと、下品な笑いを残してすぐに部屋を出て行った。

 姫宮がその背中に舌を出す。

「こら、姫宮」

 一応、注意しておくけれど、俺は姫宮に対してGJと、親指を立てた。


 昼過ぎまでに掃除を終えて、部屋は一枚皮をいだように綺麗になる。

 これで我が部署も新しい年を迎えられそうだ。


「今年もご苦労様でした。来年もよろしくお願いします」

 姫宮と知世ちゃんを前にして俺が言う。

 訓示くんじのような偉そうなことは言えないけれど、俺も一応、二人の上司なのだ。

「はい、お世話になりました。先輩も良いお年を」

 姫宮が言って、知世ちゃんも、「良いお年を」と続いた。



 職場を早めにあがってマンションに帰ると、そこでも大掃除の最中だ。

 エプロン姿でマスクをした景都と、同じ格好の杏奈さんが、マンションのドアや窓を開け放って掃除をしている。


「師匠、申し訳ありませんが、お姉ちゃんの部屋の掃除を手伝ってもらっていいですか?」

 景都が訊いた。

 その横で、杏奈さんが縮こまっている。

 普段の杏奈さんの部屋の様子から、その掃除にはかなりの困難が予想された。

「うん、分かった」

 俺もすぐに着替える。


 まずは、床に散らばった本や資料から片付けた。

 層を成しているそれらを分類して、杏奈さんにいる物といらない物をより分けてもらう。

 その間に俺は、部屋に点在するペットボトルやコーヒーのマグカップを片付けた。

 お菓子の包み紙を拾う。


 作業しながら古い雑誌を発掘して、その場で読み始める杏奈さん。

「こら! 杏奈さん」

 俺が注意すると、杏奈さんはごめんなさいと我に返った。


 床の掃除が終わると、掃除機を掛けるために、ほこりが溜まっていそうなベッドを動かす。

 するとその下から、なぜかブラジャー二枚とキャミソールが一枚が出てきた。


「他に、何か洗濯する物はありますか?」

 俺が訊くのに、杏奈さんは恐る恐る押し入れからタオルやTシャツを出す。

「杏奈さん、洗濯物はその都度つど出しましょう。めておいたらダメですよ」

 俺に言われて、杏奈さんが「はい」と恥ずかしそうに返事をした。

 俺はなんで、昔母親から言われていたことを成人女性に向かって言っているんだろう……


 結局、杏奈さんの部屋からは洗濯機を一度回せるくらいの洗濯物が出て来て、俺は掃除と平行して洗濯も始めた。


 そんなふうに難航した杏奈さんの部屋の大掃除も、どうにか、夕方までには終えられた。



「師匠、客間にコタツ出しましょうよ」

 片づいた部屋を見渡して、景都がそんなことを言い出す。

「年末年始、三人でダラダラしてるのに丁度いいじゃないですか」

 景都の中で、年末年始は三人でダラダラすると決まっているらしい。

「そうだね、そうしようか」


 和室の客間にコタツを出して、座布団とクッションを持ち込んだ。

 リビングのテレビを動かして客間の方を向ける。

 電気ケトルやティーセットも用意して、コタツから一歩も出ないで過ごせる自堕落じだらくな体制を作った。


「コタツの上には、みかんとお菓子ですよね」

 さらには、景都がコタツにみかんと菓子盆を置いた。


 菓子盆の中に、ホワイトロリータとルマンド、バームロール、チョコリエールの、ブルボンセットを入れる景都。

 景都は若いのによく分かっている。

 コタツには、やっぱりみかんとブルボンだ。


「それじゃあ私、黒豆に水吸わせておきますね」

 掃除が終わると、景都はすぐにおせちの準備に取りかかった。


「うん、俺も手伝うよ」

 俺は台所に立つ前に、まず、寒空に干していた杏奈さんのブラジャーやキャミソールを取りこんだ。

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