第48話 クリスマスイブ
景都のスポンジケーキは上手く焼き上がった。
彼女は次に、デコレーションの生クリーム作りに取りかかる。
さっきからキッチンには甘酸っぱい苺の香りがしていて、食欲をそそられた。
ケーキに乗せるサンタクロースとトナカイのマジパンも、もうすでにスタンバイしている。
俺は、空いたオーブンを使ってローストビーフを作ることにした。
これは、東子にも
俺達がキッチンで料理をするのを見ながら、杏奈さんはダイニングやリビングで飾り付けをした。
壁に雪の結晶の飾りを張り付けたり、テーブルに赤と緑のランチョンマットを敷く。
灯りとして、キャンドルにも火をともした。
窓際に置いてある小さなクリスマスツリーの電飾が窓に映って、夜景と溶け合って煌びやかだ。
「メリークリスマス!」
景都が言ったのを合図に、俺は、シャンパンのコルクを抜いた。
ポンっと、弾けた音がして、コルクが宙を舞う。
「乾杯!」
グラスに注いで、オレンジジュースの景都と三人で乾杯した。
ローストビーフに、パエリアにミネストローネ、シーフードグラタンに、サーモンとアボカドのサラダ。
もちろん、テーブルの真ん中には、景都が作った苺と生クリームたっぷりのケーキが
こんなふうにクリスマスパーティーをしたのなんて、いつ以来だろう。
まだ実家にいて、俺が反抗期になる前だから、遠い昔のことだ。
俺は杏奈さんとシャンパンを
景都に取り分けてもらったケーキも食べる。
「師匠には、サンタクロースをあげますね」
ありがたいことに、景都からマジパンのサンタクロースが載ったところをもらった。
景都のケーキはスポンジがふわふわで、苺の酸味と生クリームの甘さがちょうどいい。
「師匠のローストビーフ、美味しいですね」
景都が言って、杏奈さんが大きく頷いた。
「うん、ニンニクをたっぷり効かせてるからね」
クリスマスに愛を語り合う恋人達には、ふさわしくない料理かもしれない。
そんなふうに食べて飲んでしていると、景都がプレゼントの箱をチラチラ見ているのに気付いた。
ツリーの周りには、俺達が持ち寄ったプレゼントが飾ってある。
「じゃあ、そろそろプレゼント交換しようか」
俺が言うと、景都が「はい!」と、分かりやすい声を出した。
「これは、私から師匠へ」
景都から俺へのプレゼントは、温かそうなボーダー柄のマフラーと手袋だった。
「この前、イルミネーションを撮りに行ったとき、師匠の首と手が寒そうだったので」
「うん、ありがとう。会社に巻いていくよ」
俺が言うと、景都がその場で俺の首にマフラーを巻いてくれる。
「これは、私からです」
杏奈さんから俺へのプレゼントは、ストライプの
「男の人のプレゼント、どんなものが喜ばれるのか分からなかったので」
杏奈さんがすまなそうに言う。
「いえ、ネクタイはすごく助かります」
職場の姫宮や知世ちゃんが俺のファッションにうるさいから、ネクタイは何本あっても邪魔にならない。
「これは、俺から杏奈さんに」
俺から杏奈さんへのプレゼントは、写真立てだった。
杏奈さんは景都が撮った写真を飾る写真立てを探していたから、俺は、それ自体オブジェになりそうなおしゃれな写真立てをアンティークショップで探してきた。
「ありがとうございます」
杏奈さん、写真立てを抱きしめるようにして喜んでくれる。
「私からお姉ちゃんへは、このクッションだよ」
景都のプレゼントは、低反発のクッションだった。
長い時間机に向かっている杏奈さんへの気遣いだろう。
「ありがとう、さっそく使うね」
杏奈さんはそのクッションも抱きしめた。
残り二つは、俺と杏奈さんの、景都へのプレゼントの箱だ。
「はい、これは私から」
杏奈さんが景都に緑と金の包装紙でラッピングされた箱を渡す。
「開けていい?」
「うん」
「あっ!」
ラッピングの中から出てきたニコンの金色の箱に、景都が思わず声を上げる。
箱には大きなFの文字。
「85㎜だ!」
景都がすぐに箱を開けて、中のレンズを
ずっしりと重たいガラスのレンズを、うっとりと眺める景都。
景都は、ピントリングを回して、その感触を確かめた。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
レンズを置いた景都が杏奈さんに抱きつく。
「こんなに高いの、いいの?」
「うん、景都ちゃんには、いつもお世話になってるからね」
「ありがとう」
景都はうっすら涙ぐんでいた。
「師匠のも開けていいですか?」
「うん、どうぞ」
「あ、こっちは28㎜!」
「広角側のレンズも欲しいだろうと思ってね」
「はい、ちょうど広角レンズが欲しくて、お金貯めてたんです!」
「なら良かった」
「でも、師匠に頂いちゃったので、そのお金で別の望遠レンズ買います」
景都がそんなことを言うから、思わず笑ってしまった。
景都の中で、そのお金は絶対にレンズに使うって決まってるらしい。
彼女はすぐに部屋からF3を持ってきて、杏奈さんからもらった85㎜を着けてみた。
大口径レンズをつけたF3は、いつもの50㎜と違って、堂々とした
「三人で、記念写真撮りましょう」
景都が機材部屋から三脚を持ってきた。
それをソファーの前に据える。
「ツリーとかも入れたいから、さっそく28㎜使いますね」
景都がレンズを替えた。
テーブルの上のケーキや料理、杏奈さんが飾り付けした壁やキャンドル、プレゼントに、クリスマスツリーが入るよう、景都が構図を考える。
俺は、ソファーの真ん中に座らされた。
「ほら、お姉ちゃん、もっと師匠の方に寄って」
ファインダーを覗く景都が指示を出す。
景都に言われて、右隣の杏奈さんが2㎜くらい俺に近付いた。
それでもまだ、俺と杏奈さんの距離は、
「もう、師匠、構いませんから、お姉ちゃんの肩抱いちゃってください」
そんなことを言う景都。
肩を抱かれたらたまらないと思ったのか、杏奈さんがスッと寄ってくる。
「あっ」
ファインダーを覗いていた景都が、突然、カメラから目を離した。
景都は俺達の背後の窓を見ている。
何かと思って振り向いたら、空から白い羽根のようなものが落ちてきた。
「雪だ」
ふわふわの軽い雪が空を舞っている。
冷え込んではいたけれど、思い掛けず、ホワイトクリスマスになった。
「綺麗ですね」
俺達は、しばらく記念撮影を忘れて雪を眺める。
雪は、眼下に広がる街に音もなく降り続けた。
温かい部屋の中で、冷たいシャンパンを飲みながら見る雪は格別だ。
雪に見とれている杏奈さんは、無意識に俺の肩に寄りかかっていた。
俺は別に避ける必要もないから、そのままにしておく。
今、彼女の頭の中では、新しい物語のインスピレーションが渦巻いているのかもしれない。
残念ながら、シャッタースピードが遅くて雪は写らなかったけれど、その日撮った三人の写真は、杏奈さんが写真立てに入れて、机の脇に飾ってある。
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