第41話 セルフタイマー

「先輩、先輩! これ、見てください」

 出社すると、いきなり姫宮が俺に手招きした。


 姫宮は俺を知世ちゃんの席に呼ぶ。

 知世ちゃんも出社していて、すでに席に着いていた。


「ほら、これ、カッコイイですよね」

 姫宮が知世ちゃんの机の上を指す。


 そこには、俺もよく見慣れたカメラがあった。


 小柄で引き締まったマットブラックのボディ。

 コンタックス・アリア。

 それも、傷一つない新品のようなコンディションの一台だ。

 そのアリアには、Planarプラナー 50mm F1.4、それもまたちり一つ入っていないような綺麗なレンズが着いていた。


「知ちゃんのカメラなんですって。今時、フィルムカメラなんですよ。カメラ女子って言うんですか? 知ちゃん、おしゃれですよね」

 姫宮が言う。

 知世ちゃんが、「そんなことないよ」って、照れ笑いした。


「知ちゃん、それ、どうしたの?」

 一応、訊いておく。

「はい、これは祖父から譲り受けたカメラです」

 もちろん、俺はそれを知っていた。

 知世ちゃんは、あの夢のようなコレクションの中から、このカメラを持ち出したってことなんだろう。


「この前の女子会で、会社のサークルの写真を頼まれたので、このカメラで撮ろうかと思って」

 カメラを手に取ってファインダーを覗く知世ちゃん。

 彼女はそのレンズを、俺に向ける。


「いいカメラだね」

 俺はすっとぼけた。

 カメラのことに踏み込んで話すと、俺と景都が一緒にいるところを知世ちゃんに見られたのが、姫宮にバレそうな気がした。


 その辺、姫宮はかんが鋭い。


 別にやましいところはないのだけれど、姫宮の誘導尋問で、俺が景都や杏奈さんと一緒に暮らしているのまで辿たどり着きそうだから、用心に越したことはない。


「先輩は、カメラとか、詳しいんですか?」

 姫宮が訊いた。

「えっ、いや」

 俺は反射的に答える。


「このカメラ、私が尊敬する人も使ってるんですよ」

 知世ちゃんはそう言って、一瞬、俺に意味ありげな視線を送った。


「そうだ。せっかくカメラがあるんだから、私達の写真撮りましょうよ」

 姫宮が言い出す。

「うん、そうだね」

 知世ちゃんがカメラを手にした。


「それじゃあ、先輩を中心に撮ろう」

 姫宮が言って、俺は自分の席に座らされる。

 姫宮が俺の斜め後ろに立って、肩に手を添えた。


「知ちゃんも一緒に三人で写ろうよ、タイマーかなんかないの?」

 姫宮が訊く。

「うん、そうだね」

 三脚がないから、知世ちゃんが机の上に書類ケースを置いて、カメラの高さを調整した。

 ファインダーを覗いて、ピントを合わせる。


「あれ? セルフタイマーって、どうやるんだったかな?」

 アリアのボタンを押しながら、戸惑う知世ちゃん。


「セルフタイマーにするには、その右側のドライブモードボタンを長押しする…………んじゃないかな」

 言ってから、マズいと思った。


「あっ、そうでした」

 知世ちゃんが操作する。


「先輩、カメラに詳しいんですか?」

 すぐに姫宮が食いついた。


「いや、一般的に、カメラってそうなってるんじゃないかなって思ってさ」

 俺が誤魔化すのを、姫宮がいぶかしげな目で見ている。


「ほら、姫宮、前を向いて」

 どうにか彼女をはぐらかした。


 シャッターボタンを押した知世ちゃんが、こっちに歩いてくる。

 知世ちゃんが姫宮の反対側に立った。

 10秒たって、シャッターが下りる。


 考えてみれば、こうやって三人で写真を撮るのは、初めてだったかもしれない。



「さあ、仕事仕事」

 俺は、まだなにか怪しんでいる姫宮を追い立てた。

 知世ちゃんが、ふふふと小声で笑う。


 彼女、以外と小悪魔だ。




 景都がいない三日目の夕飯は、俺と杏奈さん、二人で台所に立った。


 二人で、杏奈さんの好物のエビピラフとクラムチャウダーを作る。

 今度は指を切らないように、ちゃんと俺が脇で見守った。

 子供みたいに手を猫の手にして、親指を引っ込めている杏奈さんが微笑ましい。


 俺達が食卓を囲んでいると、昨日と同じように、景都から写真が送られてきた。

 景都の今日の写真は、どんぶりからこぼれ落ちそうなくらいイクラがのった海鮮丼だ。

 写真には(どうだ!)ってメッセージが添えてある。

 それだから、俺達もエビピラフとクラムチャウダーの写真を送った。

 (おねえちゃんが作ったんだよ)って杏奈さんがメッセージを打つと、景都から(えっ!)って、短く返ってきて、ありとあらゆるビックリした絵柄のスタンプが送られてきた。


「もう、景都ちゃん、驚きすぎ」

 杏奈さんが眉を寄せる。


 結局、最終日の食卓も、俺と杏奈さんの話題は景都のことだった。



 風呂に入って、リビングのソファーで昨日撮った杏奈さんの写真を眺める。

 出勤のときプリントに出したのを、帰りに受け取ってきたのだ。


 俺の狙い通り、淡い色で粒状感が出た写真は、夢中で小説を書く杏奈さんの、どこか現実離れした様子を上手く描写していた。

 暗がりで、少しぶれた一枚も、杏奈さんの気迫のようなものを上手く表現してくれている。


 写真を眺めているところへ、俺の後で風呂に入った杏奈さんが顔を出した。


「私は部屋に戻ります。おやすみなさい」

 杏奈さんがそう言って自分の部屋に向かう。


「おやすみなさい」

 俺は、リビングで杏奈さんを見送った。



「あの、杏奈さん」

 杏奈さんがドアを閉める直前に彼女を呼び止める。


「杏奈さん、一杯、付き合いませんか?」

 俺は、誘ってみた。


「はい」

 杏奈さんが頷いて部屋のドアを閉める。



 写真をつまみに、二人でビールを飲んだ。

「こんな写真、いつ盗撮したんですか?」

 自分の写真を見た杏奈さんが首を傾げた。


「盗撮って、普通に、杏奈さんの隣で撮ってましたけど」

「えっ?」

「ほら、この写真なんて、目線くれてるし」

「ホントだ」

 あれだけ近くで撮影してたのに、杏奈さん気付かなかったのか。

 まったく、杏奈さんらしい。


「あの、頂いた焼酎があるんですけど、飲みますか?」

 杏奈さんが訊いた。

「はい、頂きます。それじゃあ、俺、何か作りますね」

 俺は冷蔵庫を開ける。


 結局、杏奈さんと一時過ぎまで飲んだ。


 彼女の仕事を、少し邪魔してしまったかもしれない。

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