第42話 土産話とお姫様

「師匠! ただいまです!」

 仕事から帰ると、すでに景都が玄関で待ち構えていた。


「小早川景都、無事帰宅しました!」

 俺を見上げて言う景都。

「うん、おかえりなさい」

 紺色のパーカーにキュロットパンツの景都は、出発する時と変わらない笑顔を見せてくれた。


「師匠に話したいことがたくさんあるんですよ」

 俺の手を引っ張る景都。

「まず、今日の夕飯、誰が作ったと思います?」

 部屋の中は、カレーの匂いで満ちている。

「お姉ちゃんですよ。私が疲れてるだろうって、お姉ちゃんが作っててくれたんです。師匠がお姉ちゃんに料理を教えてくれたおかげで、お姉ちゃんにもやる気が出たみたいで」

 エプロン姿の杏奈さんも玄関に出てきて「おかえりなさい」と迎えてくれた。


 俺は、杏奈さんの手元を確認する。

 大丈夫、指に絆創膏ばんそうこうは増えてなかった。


「それじゃあ、今日は私の土産みやげ話をたくさん聞いてもらうので、師匠は先にお風呂に入ってください」

 景都が俺の鞄とジャケットを預かる。

 俺はそのまま脱衣所に入れられた。


「師匠、お着替えここに置いておきますね」

 俺が湯船に浸かっていると、脱衣所から景都の声がする。

「うん、ありがとう」

 久々の景都も、やっぱり世話好きな若奥様って感じだ。



 風呂を出たら、夕飯を食べながら景都の土産話を聞く。


 新千歳空港から、富良野ふらの美瑛びえいに向かう途中で、風景の撮影に夢中になっていて、バスに乗り遅れそうになったこと。

 旭川では旭山動物園で動物を撮るのに相当苦労したこと。

 札幌や小樽では、街並みやスナップを撮りまくったこと。


 結局、景都の話は写真撮影のことばかりだった。


「ずっと、一人で撮ってたの?」

「いえ、他に一眼レフ持ってきた子がいて、その子と撮ってました。写真部の子で、その子も三脚とか持ってたので、一緒に撮ろうってなったんです。その子のカメラはデジタルカメラですけど」

 景都、一年留年していて、気軽に話せるクラスメートがいないってことだったけど、一緒に行動する子がいて良かった。


「師匠、安心してください。その子は、女の子ですからね」

 景都が言う。

 いや、別に俺はそれを心配してたわけじゃなく。


「写真部にも誘われたんですよ。引率いんそつの先生が顧問で、私のF3をすごくなつかしがってめてくれました」

「そう、良かったね」

 やっぱりあのF3は、幸運のカメラだ。


 食事を終えた俺達は、リビングに移動して、景都が撮ってきた写真を見た。


「どうですか? 師匠」

 景都が心配そうに訊く。

「うん、上手く撮れてるね」

 たまにぶれたりピントが合っていない写真もあるけれど、かなりの成功率だ。

 そして、二十四枚フィルム一本の中に、一枚か二枚、ハッとするような写真もあった。


「さっき話した写真部の顧問の先生に、コンテスト出さないかって誘われたんですよ」

「うん、いいかもね」

「私は師匠がいいからです」

 景都がニヤニヤしながら言う。


 景都が撮った写真は、風景ばかりではなくて、クラスメートや同級生を撮った写真も多かった。

 修学旅行の楽しさがありのままに伝わって来る写真は、人物写真が得意な景都の真骨頂しんこっちょうだと思う。


「そうだ、写ってるみんなに焼き増しして分けてあげよう」

 景都が写真をより分け始めた。


「ところで二人は? 師匠とお姉ちゃんは、大丈夫だったんですか?」

「うん、こっちは何もなく普通に過ごしてたよ」

 危機と言えば、杏奈さんが親指を少し切ったくらいだ。


「なーんだ、私がいなくても全然平気だったんですね、ちょっとショック」

 景都がふざけて口を尖らせた。

「私がいなくて、部屋がめちゃくちゃになって、その偉大さを再確認してると思ったのに」

「いやいや、景都ちゃんがいなくて寂しくて、俺は毎日涙で枕を濡らしてたよ」

 俺が言ったら、景都が「もう!」って、軽く俺を叩いた。


「ん、お姉ちゃんは? なんかあったの?」

 黙っている杏奈さんに景都が訊く。

 杏奈さんは、もじもじしていた。


「うん……」

 遅れて、杏奈さんが言いにくそうに頷く。


「大沢さんに、裸にされたよ」

 杏奈さんがうつむき加減で言った。


「えっ?」

 景都が、目を見開いて俺を見る。


 杏奈さん、何を言い出すんだ……


「大沢さんが私が小説を書くところを見たいって言って、断り切れなくて、それを見せたの。大沢さんが、私の部屋で書いてるところをずっと見てた。それを写真に撮られたりもしたよ。大沢さんに、私の恥ずかしいところを全部丸裸にされた感じ」

 杏奈さんが、思い出して下唇を噛む。


「もう、お姉ちゃん、びっくりさせないでよね! てっきり師匠が……」

 いや、てっきり師匠が……って、その続きはなんなんだ。



 その後も、写真を見ながら景都の土産話で夜がけた。


 俺と杏奈さんは、軽く晩酌ばんしゃくしながら話を聞く。

 景都が土産に買ってきたカマンベールチーズやじゃがポックルが、いいつまみになった。


 十一時を過ぎた頃、言葉少なになった景都が、リビングのテーブルに突っ伏して寝てしまう。


「景都ちゃん、景都ちゃん、ベッドで寝よう」

 杏奈さんが揺り起こそうとした。

 俺はその杏奈さんを止める。

「かわいそうだから、寝かせておいてあげましょう」

 三泊四日の旅行から帰ってきて、テンション高くずっと話していたんだから無理もない。


「俺、ベッドまで運びますから」

 杏奈さんの許可を得て、景都をお姫様抱っこした。

 普段、あれだけ元気に動き回っている彼女が、俺の腕の中で、頼りなく縮こまっている。

 このはかなげな姿が、本当の景都なのかもしれない。


 そのまま彼女を部屋のベッドまで運んだ。

 布団を掛けて電気を消す。

 ベッドの上で彼女、幸せそうな寝顔をしていた。


「師匠」

 俺が部屋を出ようとしたら、景都が薄目を開ける。

「私、男の人にお姫様抱っこされたの初めてですよ」

 彼女が言った。


 景都を初めてお姫様抱っこする大役を、将来彼女の彼氏になる誰かから奪って、申し訳ない。

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