第40話 紡ぐ人

 二人になって二日目の夜は、俺が夕飯の支度したくをした。


 会社から帰っての準備で少し遅くなってしまったけれど、メニューは杏奈さんの大好物ばかりそろえる。


 オムライスにミートボール、スパゲッティナポリタンとポテトサラダ。

 ワンプレートに盛ったら、見た目がお子様ランチのようになってしまう。


「美味しいです!」

 杏奈さんに子供のような笑顔で言われると、仕事の疲れも吹き飛んだ。


 俺達が食事をしているところに、修学旅行中の景都から共有アルバムに写真が送られてくる。

 杏奈さんがスマートフォンで確認すると、それは景都が自撮りをした写真だった。

 パッチワークみたいな広大な農地の真ん中に、彼女が三脚を立てている。


「景都ちゃん、宣言通り頑張ってますね」

「はい」

 写真を見ながら二人で笑い合った。


 こっちも、俺が作った「お子様ランチ」の写真を撮ってアルバムに送る。

 景都から、「お姉ちゃんずるい」っていうメッセージが帰ってきた。


 結局、今晩も食事中の話題の中心は景都になる。



「あの、杏奈さん、変なお願いしていいですか?」

 食事も終わる頃、俺は、日頃から杏奈さんに頼んでみたかったことを、この際だからお願いすることにした。


「なんでしょう?」

 杏奈さんは、少し警戒したようで、持っていたスプーンをぎゅっと握りしめる。


「もしよければ、杏奈さんが小説を書いているところを、見せてもらえないかと思って」

 杏奈さんが部屋の中でどんなふうに小説を書いているのか、じっくり見てみたかった。

 物語がつむがれる瞬間に立ち会って、それを覗いてみたいと思ったのだ。


 同じマンションの部屋に住んでいて、それこそすぐ近くにいて、そこで皆が感動する物語がどうやって出来上がるのか知りたかった。

 つるの恩返しで、隣の部屋を覗いてしまう、それに近い気持ちがあったのかもしれない。


「ダメです! そんな!」

 杏奈さん、首と手を同時にぶんぶん振った。


「私、書いている最中は、自分でもどうなってるか分からないし、変な顔してるかもしれないし、馬鹿な格好してるかもしれないし、人に見せられません。見ていても面白くないですし」

 杏奈さんが全力で断る。


「すごく興味があるんです。邪魔にならないように大人しくしてますから」

 無理なお願いなのは分かっていた。

「お願いします」

 それでも正面切って頭を下げる。

 杏奈さんが押しに弱いって知っていて、卑怯ひきょうだとは思うけれど、それを利用した。


「…………分かりました」

 しばらく説得して、杏奈さんは、渋々、承諾しょうだくしてくれる。



「失礼します」

 食事が終わって、片付けをして風呂に入って落ち着いたあと、いつも杏奈さんが執筆を始める時間に、部屋にお邪魔した。

「どうぞ」

 緊張したグレーのスエット姿の杏奈さんが招き入れてくれる。


 部屋の中は、最初に俺が見たときよりも片付いていた。

 杏奈さんも毎日少しずつ掃除をするようになったらしい。


 部屋の真ん中に机があって、その上にノートパソコンが乗っている配置は変わらなかった。

 机の上には、他に、照明のスタンドと、コーヒーが入ったマグカップ、お菓子が入ったかごが置いてある。


「本当に、邪魔しないようにしますから」

 俺は、ダイニングテーブルの椅子を持っていって、杏奈さんの視界に入らないよう、斜め後ろに置いた。

 そこに静かに座る。


「いつものようにしますけど、いいですか?」

 杏奈さんが訊いた。

「はい、いつもの杏奈さんが見たいんです」

 意識するなと言っても無理なのは分かっている。

 でも、なるべくそのままの姿が見たかった。


 すると杏奈さんは、部屋の天井のシーリングライトを消して、二台のフロアスタンドライトと、机の上のデスクライトの灯りだけにした。


 そして、ノートパソコンの電源を入れる。


 パソコンにエディターソフトを立ち上げて、プロットや資料のファイルを開く杏奈さん。

 小さく息を吐いたあと、コトコトとキーボードの音を立てながら作品の続きを書き始める。


 最初は、斜め後ろにいる俺が気になるみたいで、チラチラこっちを見ていた杏奈さんだけれど、そのうち、エンジンが掛かってくると、パソコンの画面に集中した。


 タッチタイピングで、キーボードを見ずに、取りかれたようにキーボードを叩く杏奈さん。

 叩く、というのがまさにぴったりな表現だった。


 時々溜息を吐いたり、机の上に置いたマグカップのコーヒーを両手で抱えて飲んだり、大好きなマンゴーのドライフルーツを口に放り込んだり。


 そうかと思えば、頬杖ほうづえをついて、しばらくぼーっとして動かなくなる杏奈さん。


 そして何か一人で頷いて、また、画面を文字で埋めていく。

 集中した杏奈さんは、俺のことなんか忘れたみたいに気にも留めなかった。

 杏奈さんが自由な発想の中で踊っているみたいで、見ていて飽きない。


 俺は、頃合いを見て、そっと部屋を抜け出した。

 機材部屋からカメラを持ち出す。

 杏奈さんのことが無性に撮りたくなったのだ。


 室内の暗いところだし、デジタルカメラを使おうかとも考えたけれど、杏奈さんの仕事の現場は、高感度フィルムの粒状りゅうじょう感で、ざらざらした、けだるい雰囲気で撮るのがふさわしい感じがして、フィルムカメラを使うことにした。


 買い溜めてあった富士フィルムのNATURA 1600をコンタックスに詰める。

 このフィルムは2018年3月に生産中止になってしまったから、在庫限りで、これで撮れるのもあと少しだ(フィルム選びの幅は、年々狭まっている)。


 三脚を立てたら杏奈さんの思考の邪魔になりそうだから、絞りを開放にして、手ぶれは根性で止めた。

 俺がシャッターを切っても、杏奈さんはそれに気付かないくらい集中している。

 杏奈さんに触発しょくはつされて俺も夢中で撮った。


 景都といい、杏奈さんといい、東子といい、何かに夢中になっている女性は、なんて美しいんだろうと、撮りながらうっとりする。

 俺は、彼女達のような女性にレンズを向ける瞬間が、たまらなく好きなのだと再確認した。


 俺が写真を撮り終えても、杏奈さんは夢中になって書いている。

 コトコトとキーボードを叩く音が心地よく響いた。


 声を掛けるのも無作法だと思ったから、俺はそっと部屋を出る。


 後で夜食でも作って差し入れようと思う。

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