第15話 家族会議

 引っ越し業者のトラックと一緒にマンションに着くと、エントランスで景都と杏奈さんが待っていた。


「師匠! おはようございます!」

 景都が手を振る。


 失礼な話だけど、俺は景都と並び立つ杏奈さんを二度見してしまった。


 ジャージ姿の景都の隣にいるのは、長い黒髪をポニーテールにして、洗いざらしの白いシャツにデニムっていう、さっぱりとした格好の杏奈さんだ。

 ちゃんと髪をかしていて、口の端によだれの跡がついてない杏奈さんを見るのは初めてかもしれない。

 艶々の髪が、杏奈さんの後ろで踊っていた。

 彼女、今日はメイクもしていて、キリッとした眉毛も書いてある。


「どうですか師匠? お姉ちゃん、綺麗でしょ?」

「うん」

 思わず、そんなふうに素直に頷いてしまった。

 びっくりした杏奈さんが下を向く。

「でもお姉ちゃんはあげませんよ。私の大切なお姉ちゃんですから」

「こら、景都ちゃん!」

 杏奈さんが顔を真っ赤にした。



 打ち合わせをして、さっそく部屋に俺の荷物を運び込む。


 四階までの往復は業者にまかせて、俺達は運ばれてきた家具を部屋に据えて、段ボール箱を解いた。

 ここに持ってきた家具は、ベッドと机、それにチェストと本棚くらいで、あとは家電も含めてほとんどを処分してきた。

 必要な家電は、元々ここにあった物を使わせてもらうことになっている。


 そんなわけで、引っ越し作業は、昼前にはあらかた終わってしまった。

 数個の段ボール箱が残っているけれど、細々こまごまとした荷物の整理は、俺がぼちぼち進めればいいだろう。


 一旦、元のマンションに帰って管理会社に鍵を返し、こちらのマンションの駐車スペースにミニ・クラブマンを停めれば、それで引っ越しはすべて終わった。



「お昼ご飯は、お蕎麦そばでますね」

 景都が言う。

 引っ越しそばとか、彼女、古風だ。


 俺はねぎを刻むのと、大根をおろすのを手伝った。

 景都と並ぶキッチンに、俺のマグカップや茶碗、箸なんかが置いてある光景が、なんだか不思議だ。

 ここで暮らすんだっていう実感が、じわじわと湧いてきた。


 引っ越して初めて三人で囲む食卓はざる蕎麦になる。

 素っ気ない食事が、なんだか妙に腹にたまった。



 午後からは、ダイニングテーブルで会議をする。

 家族、ではないけれど、まあ、家族会議のようなものだ。

 ここで、家事の分担や、一緒に暮らしていく上でのルールを話し合った。


「まず、朝ごはんは、必ずみんなで一緒に食べることにしましょう」

 景都が言う。

 なんだか、父親みたいなことを言いだす景都が可笑おかしかった。

「お姉ちゃんも、どんなに徹夜しても、その時はちゃんと食卓に着くんだよ」

 景都に言われて、杏奈さんは渋々といった感じで頷く。


「師匠は、会社から帰るのは大体何時くらいになりますか?」

「そうだね、いつも九時すぎになるかな」

 残業はなるべくひかえる風潮の中でも、どうしてもそれくらいにはなってしまう。

「それじゃあ、夕ご飯は私が作ります。朝ごはんも、お弁当作りのついでに作るので、私が担当しますけど」

「だったら、俺は掃除を担当しようか?」

「そうですね。でも、これを機にお姉ちゃんにも掃除の習慣をつけて欲しいので、掃除はみんなで当番を決めて交代にしましょう」

 ってことは、今まで炊事も掃除も全部景都がやってたのか。


「それなら、洗濯は俺がしようか? このままだと、景都ちゃんに負担が掛かりすぎる、って、ああ、でも…………」

 口走ってから、マズいと思った。

 年頃の女の子だし、服とか下着とか、他人に触らせるのは抵抗があるかもしれない。


「大丈夫です。師匠が分担してくださるなら、洗濯をお願いします。パンツもブラジャーも、扱ってくださって結構です。お姉ちゃんもいいねよ」

 景都が訊いて、杏奈さんが頷いた。


「でも師匠、女性物とか、洗い方、分かりますか?」

「大丈夫、今までも同棲相手の衣服の洗濯はしてたから」

 元の生活でも、家事は二人で分担するってことでそうしていた。

 最初の頃、彼女のブラジャーを干すのに、ストラップから吊して怒られたのを思い出す(ブラジャーは逆さにしてカップの下の部分を洗濯ばさみで止めるのが正解らしい)。

 家事は、一通り彼女に仕込まれていた。


「洗濯物の畳み方とか、この家の決まりがあったら教えておいて。洗剤とか柔軟剤も、好みのものがあればそれを使うよ」

「うちは、洗剤はその時の安いのを買ってます。柔軟剤は、私は、ファーファーのファインフレグランス・ボーテが好きです」

 景都が言う。

「ああ、そうなんだ。俺も、ファーファーのファインフレグランス使ってるよ。ボーテじゃなくて、オムのほうだけど」

「そうなんですね、師匠の香って、あれだったんだ!」

 しばらく、景都と柔軟剤談義で盛り上がった。


「で、杏奈さんは?」

 俺は、杏奈さんに話を振る。


「あのう……」

 杏奈さん、なんだか困った顔をしていた。


「あの、『じゅうなんざい』ってなんですか?」

 杏奈さんが訊く。


「ああ……」

 杏奈さんが、完全に家事を妹に頼っていたことが分かった。


「お姉ちゃんが描くファンタジーの世界に、柔軟剤はないので……」

 景都が姉をかばう。


 なんだか可笑しくなって、三人でしばらく笑った。



 家事の分担の他に、生活費や家賃のことなんかも詰めておく。

 冷蔵庫に入れる食品で、食べられたくないものには自分の名前を書いておく、っていう決まりも作った。

 あと、この部屋は禁煙で、正体を失う程の深酒ふかざけも禁止。

 俺はタバコを吸わないし、酒のほうも付き合いで飲む程度だから、その点はOKだ。


「では、決めごとはこれくらいですね。あとは、なにかあったら、またその時にこうやって会議を開きましょう。お互いのことを思いやって、楽しく生活しましょうね」

 決めごともなにも、景都が言った最後の言葉に尽きると思う。


「師匠、三人で写真を撮りませんか」

 会議終わりで景都が提案した。

「そうだね、記念に撮っておこうか」


 マンションのドアの前に三脚を立てて、景都のF3を載せる。


「F3のセルフタイマーは、シャッタースピードダイヤルの下のレバーを左に引いてシャッターを切ると、10秒後に設定できるよ」

 俺が教えると景都はその通りに操作した。


 景都を真ん中に入れて、その両脇に俺と杏奈さんが並んだ。


「1+1は!」

 景都が声を掛けて、三人が、

「2!」

 って歯を見せた瞬間、シャッターが下りる。


 これを合図に、俺達三人の生活が始まった。

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