第14話 捨てられない古雑誌

「先輩、こっちこっち!」

 昼休みと同時に社食に走った姫宮が、席を確保して手招きしている。

 俺と知世ちゃんは、日替わり定食のトレイを持って、姫宮が確保してくれた席に座った。

 社屋の隅に追いやられた我が部署の、いつもの光景だ。


「ところで先輩、住むところ決まったんですか?」

 定食の生姜しょうが焼きを食べながら、姫宮が訊く。

 俺が小早川姉妹のマンションに住むと決まったのを知ってるようなタイミングで、やっぱり、姫宮の勘の良さには舌を巻く。


「ああ、決まったよ」

「そうなんですね。だったら私、引っ越し手伝います!」

「いや、いいよ」

 俺が、ついこのあいだ知り合った女子高生と、その姉が住むマンションに転がり込む、なんてことが姫宮に知れたら、何を言われるか分からない。


「遠慮しないでください。先輩のためだったら、私、休日だってなんだってつぶしますから」

「いや、だからいいって。引っ越し業者に頼んであるし、人手はあるから」

「えー、それじゃあ、引っ越しのどさくさに紛れて、先輩の部屋に盗聴器仕掛けられないじゃないですか」

「仕掛けんなよ!」

 面倒だけれど、一応、突っ込んだ。


「先輩、それなら新しい住所教えてください。仕事終わりで先輩の後をつける手間が省けるし」

「後つけんな!」

「それはつけますよ、先輩の私生活知りたいし」

「ストーカーする気満々じゃないか」

「嫌ですねぇ。恋する乙女が、大好きな人の後をつけるのをストーカーとかいう風潮、私、嫌いです」

「風潮とか、そういう問題じゃない」

 まったく、「大好きな」とか、平気で言うのが姫宮だ。


「ほら先輩、どのみち分かるんだから、教えてくださいよ」

「姫宮、世界中の人に教えても、お前だけには教えない。絶対にだ!」

ひどい!」


 俺と姫宮が言い合ってるのを、

「うふふふふ」

 って、知世ちゃんが笑って見ている。


「まあ、先輩が教えてくれないならくれないで、それでいいです」

 姫宮が、あっさりと引き下がった。

「なんだよ、気持ち悪いな」

 なにか企んでる様子の姫宮。


「総務の杉内さんいるでしょ? 彼女が、ケーキ一つで買収出来る女だって知ってます?」

 姫宮が悪戯っぽい顔で訊いた。


 マジか……うちの会社の情報管理、大丈夫か……


「彼女にケーキおごれば、先輩の個人情報なんて、駅に置いてあるフリーペーパーの如く、簡単に手に入るんですよ。さあ、白状してください。どこに住むんですか?」

「だから、教えないって。ついでに言っておくと、総務を仕切ってる松本さんは俺の同期だ。鉄壁のガードで俺のプライバシーを魔の手から守ってくれる」

「ぐぬぬ」

 くやしくてぐぬぬって言う人物を、リアルで初めて見た。


「独り暮らしの先輩が、部屋で倒れて会社に出てこないときに、住所知らないと困るじゃないですか。先輩に孤独死なんてされたら、部下として、悔やんでも悔やみきれませんし」


「孤独死とか、恐いこと言うなよ」


「だって、恋人に逃げられた先輩なら、そんなことにもなりかねませんよ。現実を直視してください」

 現実を直視すると、俺は、女子高生とその姉である小説家のところに転がり込むことになっている。


「悲劇を防ぐためにも、部下は先輩の住所を知っているべきなんです」

「どんな理屈をこねたってダメなものはダメだ。知ちゃんだって、俺の住所なんか知りたくないよな」

 俺は知世ちゃんに話を振った。


 箸を止めた知世ちゃんが、しばらく空で考える。


「あ、あの、よろしければ、私も知りたいです」

 そう言ってから、頬をぽっと赤らめる知世ちゃん。


 おっさんの住所なんて知って、どうするんだよ。


「ほら先輩、二対一ですから、先輩は住所を教えることに決まりました」

 姫宮が勝ち誇って言う。

 姫宮と知世ちゃんが、ねーって、視線を合わせた。


「却下する。ここは民主主義国家じゃない。俺の独裁部署だ」

「あー、酷い。パワハラ、パワハラ」

 しつこい姫宮をおいて、昼食を食べ終えた俺は席を立つ。

 まさかとは思うけれど、念のため、後で総務の松本さんに連絡しておこうと思う。



 その日、俺は仕事から帰って、引っ越しの準備をした。


 あらかたの荷物は引っ越し業者が寄越した段ボール箱に詰め込んだし、元々、この部屋にあった荷物の半分は、出て行った彼女が持ち去った後だから、あとは本棚の整理くらいしか残っていない。


 本を段ボールに詰め込んで、捨てる雑誌と残す雑誌を選んでいたら、懐かしい雑誌が目に付いた。

 しばらく見掛けずに行方不明になっていたカメラ雑誌だ。


 この古いカメラ雑誌の、写真の読者投稿のコーナーには、俺が撮った写真が載っている。


 出て行った元同棲相手の彼女を撮ったポートレート。

 海辺で、真っ白なワンピースを着た彼女が、海風に髪をなびかせている写真だ。

 物憂ものうげに海を見詰めるその横顔は、彫刻のように完璧で美しい。

 海風でワンピースが彼女の体にぴったりと張り付いて、それがうっとりするほどなまめかしかった。


 この写真を撮ったカメラは、景都に譲ったF3だ。


 写した俺にとっても、被写体の彼女にとっても、この写真は奇跡の一枚だった。

 審査員に金賞をもらって、昔から読んでいた写真雑誌に俺の写真が丸ごと一ページ使って載ったのに舞い上がった俺は、本気でカメラマンを目指そう、などと考えたものだ。

 この雑誌は彼女にとっても記念碑的なものだから、出て行くときに持って行ったとばかり思っていたのだけれど、残ってたらしい。


 それを、古雑誌として束ねて捨てる方に入れるか、とっておくか迷って、結局、新居に持っていく段ボールに入れた。


 やはり、まだ俺にも少しは未練があるのか。


 それは出て行った彼女に対しても、そして、俺のカメラマンになりたかったという夢に対しても。



 本棚の片付けが終わった頃、景都からメールが入った。


 (師匠、起きてますか? 明日は引っ越しなので、早く寝てくださいね)


 そんなメールだった。


 (すぐに寝ます、おやすみなさい)


 俺は、そう返した。


 明日からは、もう一度、おやすみを言う相手がいる生活に戻るのだ。


 俺は、そんなことを考えながら片付いた部屋を見渡した。

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