第13話 三者会談

「景都ちゃん、それはダメだよ」

 俺と杏奈あんなさんが同時に発した。

 言葉とそのタイミングがぴったりと合ってしまって、お互い気まずい思いをする。

 そんな二人を前にして、問題の景都は、少しも悪びれる様子がなかった。

 一緒に住もうなんて俺に言っておいて、それはないだろう。


 薄曇りだった空に大きな黒雲がかかって、風雲急を告げるといった雰囲気だ。



 俺達三人は、景都と姉の杏奈さんが暮らすマンションのダイニングテーブルで、向かい合っていた。

 俺と杏奈さんが並んで座って、その対面に景都が座る。


 山奥のお寺で紫陽花あじさいの撮影を終えたあと、景都が俺に一緒に住もうなんて言いだして、一目散いちもくさんに山を下りた。

 マンションに戻って、寝ている杏奈さんを叩き起こした。


 そうして、この三者会談が開かれている。


「景都ちゃん、やっぱり、ここに大沢さんに住んでもらうっていうのは、どう考えても無理があるんじゃないかな?」

 杏奈さんが景都をなだめるように言った。

 寝起きのままの、グレーのスウェットを着ている杏奈さん。

 最初に会ったときと同じで、やっぱり髪はボサボサ、口の端によだれの跡がついている。


「でも、お姉ちゃん、このマンションは広くてもったいないから、空いてる部屋を誰かに貸して生活費の足しになればって、前から言ってるよね」

 景都は、毅然きぜんとした態度で答えた。

 俺と撮影に行ったときのままの、水色のワンピース姿の彼女。


「言ったけど、それは、誰か女性に入ってもらえればって話で……」

「それで、誰か部屋を借りてくれるような女性はいますか?」

「ええと……」

 杏奈さんが頭をかく。


「大沢さんは、身元もはっきりしてるし、安定的な収入があって家賃もきちんと払ってくれるだろうし、そしてなにより、いい人です。女性とか男性とか関係なしに、同居人として、ふさわしいんじゃない」

 景都が言った。


 そんなふうに手放しで信頼されても困る。

 俺だって、いつ、おおかみ豹変ひょうへんするか分からない。

 いや、しないけれども。


「それにお姉ちゃん、この前大沢さんにパソコン直してもらったよね」

「うん」

「あのおかげで、締切に間に合ったよね」

「はい」

「お姉ちゃんも私も機械音痴だし、大沢さんみたいに機械に強い人が近くにいてくれると、ああいう、パソコンが壊れるようなことがあっても安心だよね」

「まあ、そうです」

「大沢さんは社会人として自立してらっしゃるから、税金のこととか、保険のこととか、私達で分からないことも相談できるよね」

「そうだね」

「夜、不審者がうろついてるとか、そういうときにも、大沢さんがいれば心強いよね」

「その通りです」

 杏奈さん、たじたじだ。


「さて、大沢さん」

 景都が、俺のほうに向き直る。

 それだけで背筋を伸ばして姿勢を正してしまった。


 そういえば彼女、さっきから俺のこと、いつもの「師匠」じゃなくて、大沢さん、って呼んでいる。


「大沢さんは、今住んでるマンションの退去期限が迫ってるんですよね?」

「はい」

「これから適当な部屋を見付けて、引っ越しまでしないといけないのに、間に合いますか?」

「有給などを取って、集中的に探せばどうにかなるかと……」

「日本のサラリーマンは、自由に有給休暇を取れない労働環境にあると聞いているのですが、大沢さんが勤める会社は、自由に有休が取れるホワイト企業なのですか?」

「いえ、グレーな感じで……」

 それも、限りなく黒に近い。


「仮に、有休を取って探すとして、あの大量の写真機材を収めるスペースがある部屋を借りるには、それなりの費用がかかりますよね。当然、今よりも狭い部屋で暮らすことになります」

「当然、そうですね」


「ところが、私達と一緒に住めば、その機材部屋の他に、もう一部屋の空いている方の部屋が使えますよ。それから、共有スペースとしての、このダイニングや、キッチン、リビング、広いバルコニーだって使えます」

「はい」

「そして、家事も分担するので、今より生活にゆとりが持てます。大沢さんは同棲していた方と別れたそうですが、一人の部屋に帰る寂しさもありません。お姉ちゃんは基本的にここで小説を書いてますし、私も門限の七時には必ずここにいるので、大沢さんを『おかえりなさい』で迎えることが出来ます。ここに帰ると、温かい食事とお風呂が待っています。ベッドには、太陽の匂いがするふかふかのお布団が敷いてあるのです」

「それは、嬉しいですね」

 思わず想像してしまう。


「そして、これから写真撮影に行くのに、一々、私をこのマンションまで迎えに来る手間も省けるのです」

 景都が当然のことのように言った。


 この話は、俺がこれからも景都にカメラを教える前提で進んでいるらしい。


「さあ、どうしますか? 大沢さん、この部屋に住みますか?」

 景都が、顔を近づけて問いただす。

 真っ直ぐに見詰める景都の勝ち気な顔。


 ひどい圧力面接だ。



「お姉さんさえ、よければ……」

 もう、俺にはそう答える以外の道が残されていない。


 俺から言質げんちを取ると、景都は深く頷いて、今度は姉のほうを向いた。


「お姉ちゃんはどうですか? 大沢さんをルームメイトとして、めるときも、すこやかなるときも、この部屋で暮らすことに同意しますか?」

 なんだその、結婚式の神父さんみたいな訊き方は。


「…………はい……同意します」

 杏奈さんのほうも、これ以上、あらがうことができなかった。


「うん、それでは、お姉ちゃんと大沢さんは、お互いに、『これからお願いします』と言ってください」


「これからお願いします」

「これからお願いします」

 俺達はお互い向かい合って下げた。


 景都に説得される完落ちまで、一時間足らずの早業だ。

 景都不動産のネゴシエーション能力、ハンパない。


 とにかく、こうして俺は、女子高生とその姉である小説家のマンションに住むことになった。


「あっ、それから師匠、今日はお夕飯食べていってくださいね。今から買い出しに行くので車を出してください。お姉ちゃんはその間にシャワー浴びてね。わかりましたか?」

「はい」

「はい」

 俺と杏奈さんが返事をする。


 引っ越す前から彼女の尻に敷かれてる気が、しないでもない。

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