第5話 悪くない報酬

「それじゃあ、さっそく撮ったフィルムを現像してみようか」

 俺は、F3を景都に返しながら言った。


「はい、でも師匠、お昼だし、その前にお弁当食べてください。私、作ってきたんです」

 景都が、背負っていたリュックサックを指す。

「景都ちゃんが作ったの」

「はい、作りました。私、お料理上手なんですよ。毎日作ってるから、味は保証します。JKの手作り弁当ですよ」

 得意げに赤いギンガムチェックの弁当包みを差し出す景都。


 JKの手作り弁当、っていうワードの無敵むてき感に、少したじろぐ。


 それにしても、毎日弁当作ってるって、どういうことだろう?

 さっきの、大切な人はあっけなくいなくなっちゃう、っていう言葉といい、彼女には、なにか事情があるんだろうか。



 堤防の階段に並んで座って、二人で弁当を食べた。

 甘い卵焼きと唐揚げ、春巻き、ポテトサラダにきんぴらごぼう、ほうれん草のゴマ和え。

 ご飯の方には、おかかが振りかけてあって、その上に海苔がのせてある。

 女子高生が、彼氏とのデートのために早起きして作ったような、初々しい弁当ではなかった。

 どちらかというと、手慣れた母親が作ったような弁当だ。


「お口に合いますか? 奥さんのお弁当には、かなわないかもしれないけど」

 景都が心配そうに訊いた。


「うん、とっても美味しい。それから、俺に奥さんはいないから」

 ついでに、同居人にも逃げられたばかりだ。


「そうなんですか、ごめんなさい」

 景都が微妙な顔をした。

 変に気を使わせてしまって申し訳ない。


「でも師匠、私も、彼氏いません」

 景都が俺をなぐさめるように言った。


「そうなんだ」

 しかし、俺みたいな三十過ぎのおっさんにパートナーがいないのと、彼女みたいな十代の女の子に彼氏がいないのとでは、だいぶ、意味合いが違うと思う。


 海を見ながら景都の手作り弁当を食べて、デザートに杏仁豆腐もご馳走になった。

 食後には、景都がさっぱりとしたレモンティーを出してくれる。


「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 横に並んだまま、二人で頭を下げ合った。



 お昼を過ぎると、風が強くなって、海面に白波が立つようになる。

 景都のパーカーのフードが、風でふくらんだ。


 俺達は車に戻る。

「これから現像するから、フィルムをカメラから取り出そうか」

「はい師匠」

 景都が首からF3を外した。


「まず、カメラの底面にある巻き戻しボタンを押して」

「これですね」

「そしたら、左側のクランクを回してフィルムを巻き取る。全部巻き取れたかは、クランクが軽くなるから、それで分かるよ」

 俺が教えると、景都がくるくるとクランクを回す。

 しばらく回していると急に軽くなって、クランクが空回りした。


「巻き取れたら、あとは裏蓋を開けてフィルムを取り出そう。巻き取る前に裏蓋を開けると、感光して撮った写真が真っ黒になるから、巻き取るまで絶対に開けたらダメだよ」

「はい、絶対に開けません」

 景都は、自分に言い含めるように言う。


「さあ、あとはさっきのカメラ屋にフィルムを持っていって、現像とプリントしてもらおう。今回はプリントするけど、写真はデータでも受け取れるから、スマホとかパソコンにも入れられるよ」

 撮った写真を友達に送ったり、SNSに上げたりする彼女達の年代の子には、その方が扱いやすいかもしれない。



 フィルムを買った時と同じ女性店員に、現像とプリントを頼んだ。

 写真が出来るのを待つあいだ、景都と二人で店内を冷やかして回る。

 これから彼女が本格的に写真を始めるなら必要になる、三脚や雲台、カメラバッグや防湿庫なんかを見て回る。


「バイトしないとですね」

 その値段を見て景都が苦笑いした。


「そうだね。でも、段々、揃えていけばいいんだよ」

 そしてそのうち誰かのように、一つの部屋では収まらないほどカメラ機材が増えるのだ。



 現像とプリントは、十五分もしないで上がった。

「お茶でも飲みながら写真を見ようか」

「はい、師匠」

 二人で近くの喫茶店に入る。



 昔ながらの純喫茶という感じの店内は空いていて、初老の店主に案内された窓側の四人席に、景都と向かい合って座る。

 俺はアイスコーヒーを頼んで、彼女はクリームソーダを頼んだ。


 景都が、プレゼントの包みを開けるみたいに、興奮気味に写真が入った紙のフォルダーを開ける。


「わぁ、ちゃんと撮れてる!」

 写真を見ながら弾けた声を出す景都。


 流木や、打ち上げられていたガラスの瓶。

 砂浜に並べられた漁船や、漁具が詰まった漁師小屋。

 犬と遊ぶ女の子と、堤防で彼女に膝枕してもらっている彼氏。


 景都の写真は、どれも綺麗に撮れていた。

 構図なんて教えてないし、絞りを固定してそのまま撮っただけなのに、どこか、センスを感じる。


「ほら師匠、やっぱり、あの猫ちゃん、お尻しか撮れてません」

 景都がそう言って笑う。

 あのデブ猫の尻がアップになってる一枚があった。

 けれども、あの仏頂面ぶっちょうづらの猫は、顔よりも尻の方が多くを語っていて、表情がある。


 写真を見ながら二人で一頻ひとしきり笑った。



「どう? 初めてこのカメラで撮った写真は」

「はい、こんなに綺麗に撮れて、びっくりしてます。もっともっと、上手になりたいです」

 そう言ってもらえると、F3を売った甲斐かいも、こうして教えた甲斐もある。


 そして、最後の一枚は、俺が撮った景都の写真だった。


 突然、カメラを向けられて、大きな目をぱっちり見開いた彼女が、ポーズを撮る前に見せた無防備な姿が撮れている。

 そのとき吹いた風が、彼女の髪を綺麗になびかせて躍動やくどう感があった。

 背景は、濃い絵の具で塗ったような、鮮やかなブルーだ。


「なんか、私じゃないみたい」

「絞りを開けて、周りをぼかして撮ったからね。こうすると、被写体が強調されるんだ。よく、アイドルとかの写真はこうやって撮ってあるよね」

「あ、アプリとかのやつと同じですね」

 景都が頷く。


 そうか、そういえば最近のスマホのカメラは、こんなふうに簡単に周囲をぼかしてくれるんだった。

 一眼レフを持ち出さなくても、簡単に雰囲気がある写真が撮れるのだ。


「でも、この写真のほうが自然にぼけてる気がします」

 写真を念入りに見て景都が言った。

 その言葉に、なんとか救われる。


「絞りとか、シャッタースピードとか、まだまだ、色々覚えることがあるんですね」

 景都が楽しそうに言った。

 彼女からしてみれば、未知の領域に踏み込んでいく感覚なんだろう。

「そうだね。ゆっくりと覚えていけばいいよ」

 もう、新しいことに出会うなんてそうそうないおっさんからすれば、うらやましい限りだ。


「あの、師匠、もしよければ、また今度のお休みも、カメラのこと、教えてもらえませんか?」

 クリームソーダをスプーンでかき回していた景都が、そんなことを言い出した。

 溶けたアイスクリームがソーダと混ざって、グラスの中がミントグリーンになる。


「ダメですか?」

 そう言って俺の顔を覗き込む景都。

「急な予定でも入らない限り、大丈夫だけど」

「それじゃあ、お願いします!」

 景都の頬がぱっとピンクに染まる。


 安請やすうけ合いするのもどうかと思ったけれど、彼女に譲ったF3のことを、もう少し見守りたかった。

 いや、それは言い訳だろうか。


「それから、この写真は師匠が持っててください」

 景都は、俺が撮った自分の写真を差し出す。


「いいの?」

「はい、だって、自分の写真持ってるとか、どんだけナルシストなの、って話じゃないですか」

「まあ、そうだけど」

「いらなかったら、捨ててもいいですから」


 半日、景都の写真撮影に付き合って、俺が得たのは彼女の手作り弁当と、ポートレートが一枚。


 うん、悪くない報酬ほうしゅうなのかもしれない。



 喫茶店を出て、朝、待ち合わせた駅まで景都を送った。


「ありがとうございました」

 車を降りた景都が、深く頭を下げる。

「それじゃあ、気をつけて帰って」

 俺は来たときと同じように、景都に向けて短くクラクションを鳴らして、車を発進させる。


 バックミラーの中で、景都はいつまでも手を振っていた。

 車内は、彼女が残していった柔軟剤の香りで満ちている。

 なんとなく、懐かしい香りだ。



 景都と別れて、広すぎる一人だけのマンションに帰った。


 行きがけに干していったベランダの洗濯物を取り込みながら、次の休日の予定が決まってるなんていつ以来だろうって、そんなことを考える。

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