第6話 精鋭部隊

「先輩、この写真、どうしたんですか?」

 部下の姫宮ひめみやが、一枚の写真を俺の前にかかげた。


「ん、なんだ?」

 見てみると、それは先日俺が撮った小早川景都の写真だ。

 浜辺にたたずんだ彼女が、海風にショートボブの黒髪を揺らす姿が写っている。


「ああ、それは……」

 俺は、向かいのデスクに座る姫宮の手から写真を取り上げた。

 財布に挟んだままだった写真が、さっき名刺を整理した時に落ちたらしい。


 一番見つかったらいけない奴に見つかったと思った。


「可愛い子ですね。女子高生くらいですか?」

 案の定、物見高い姫宮ががっちりと食いついた。

 彼女は自分の席から立って、俺を上から見下ろす。


「お財布に写真を入れてるとか、先輩、古風ですね」


 俺の直属の部下の、姫宮ひかる。

 歳は二十代半ばで、入社した彼女の指導担当が俺だったから、それ以来の付き合いだ。

 キリッとした太めの眉毛で、男顔というか、凜々しい顔つき。

 栗色のショートカットの髪に、身長165㎝のスリムなスタイルをしている。

 積極的で物怖ものおじしないから、誰のふところにも飛び込んでいく。

 その言動で時々誤解されることもあるれけど、基本的にさっぱりとしたいい奴だ。


「先輩、恋人に逃げられたショックで、援交に手を出したんですか?」

「まさか、そんなんじゃないって」

 俺が同居人に逃げられたことは、以前、飲み会の席でうっかり口にしてしまって、以来、姫宮が俺を冷やかすネタになっていた。


「別に、恋愛は自由だからいいんですけどね。禁断の愛って燃えますから」

 分かったふうなことを言う姫宮。

「だから、そうじゃない。めいっ子の写真だよ」

 俺は咄嗟とっさに嘘をついた(姉の子供で、高校生の姪っ子がいるのは本当だけれど)。


「またぁ、そんな見え透いた嘘を」

 姫宮が、わざと嫌らしいふくみ笑いをしてみせる。


「うふふふ」

 って、うちの部署のもう一人の部下、たちばな知世ともよが、俺達のやり取りを見て笑った。

「ほら、先輩、ともちゃんにもその写真、見せてあげてくださいよ」

 姫宮が余計なことを言う。



 俺が勤めるのは住宅配線を作る会社で、俺はその設計部門の小さな部署を率いている。

 設計部門は、担当する住宅メーカーごとに部署が分かれていて、大手のメーカーを受け持つ部署になると五十人を超える大所帯おおじょたいになるなか、俺の所は小規模な工務店や、小さな設計事務所からの依頼をこなす、三人だけのこぢんまりとした部署だ。

 小口からのあらゆる依頼に耳を傾ける少数精鋭の遊撃部隊、というと聞こえはいいのだけれど、ようは何でも屋だ。


 昔、資料倉庫だった部屋が割り当てられていて、突き合わせた俺達の机三つと、会議用のテーブルにソファーを置いたら一杯になるような、狭い場所で仕事をしていた。

 場所が社屋の隅で、社食から一番遠いから、昼食にありつくのは一番最後になる。

 冷房の効きが悪くて、夏はエアコンをフル回転させても熱気がこもった。


 幸いなのは、そんな立地のおかげで上司の足が遠のいて、邪魔されずに静かに仕事ができることだろうか。


「先輩、援交で逮捕されたら嫌ですよ。先輩がいなくなったら、この部署なくなっちゃいますから」

 姫宮が言った。

 小口の依頼からの利益はカツカツで、いっそ廃止にしようって言われ続けて久しいのが我が部署だ。

 スキャンダルなんてあったら、いいタイミングだって、すぐに吹き飛ぶだろう。


「だから、援交なんてしてないって」

 なにしろ、俺と小早川景都は、喫茶店のお茶の代金まで割り勘にした仲なのだ。


「分かってますって。でも、言ってくだされば、私がセーラー服着て、高校生のコスプレしてあげますから」

 姫宮がそう言って親指を立てる。

「いや、着るなよ」

「着ますよ。それは、先輩のためであれば」

 こうやって、先輩のため、とか、平気で言うのが姫宮だ。

 出ていった彼女の代わりに私が一緒に暮らしてあげましょうか、とか、私フリーですから、いつでも呼んでください、とか、普段からふざけて言って、俺が困るのを楽しんでいる。


「っていうか、姫宮はなんでセーラー服なんか持ってるんだよ?」

「それは、持ってますよ。先輩みたいな、ロリコンの彼氏を持った時のために、いつでも着られる状態で保管してます」

「だから、俺はロリコンじゃない」

「はいはい。こんな写真を持ってる人に言われると、説得力が皆無かいむですよ先輩」

 姫宮が肩をすくめて言う。


 あの写真を見られた後だと、これ以上言い返せない。


「知ちゃんだって、セーラー服持ってるよね」

 姫宮が橘知世に話を振った。


「いいえ、私は」

 彼女が首を振る。


 姫宮とは正反対で、橘知世は、ひかえめで大人しい雰囲気の部下だ。

 彼女は姫宮と同期で、この部署には前任者の交代で二年遅れで入って来た。

 長い黒髪を後ろで縛っていて、仕事中は縁なしの眼鏡をかけている彼女。

 色白の目尻が下がった優しい顔つきで、常に微笑んでいるような印象がある。

 家が相当な資産家らしく、入社当時、会社にメルセデスのクーペで出勤してくるのが、少し話題になった。

 人と積極的にコミュニケーションをとるタイプではないけれど、仕事は出来るし、何事にもコツコツと根気強く当たるから頼りになる。

 まったく性格が違う姫宮ともなぜか馬が合うみたいで、この部署も上手く回っていた。


「ほら見ろ。知ちゃんは姫宮とは違うんだ」

 俺は姫宮に言い返してやる。


「いえあの、私が通ってた女子校はセーラー服じゃなくて、ブレザーだったので……」

 知世ちゃんがすまなそうに付け加えた。

「それじゃあ知ちゃん、ブレザーは今でも持ってるんでしょ?」

 姫宮が訊く。

「うん」

 知世ちゃんが、少し間を置いて頷く。


「なにかあったときのために、大切に取ってあります」

 少しうつむいて言う彼女。


 なにかあったときって、独身の二十代女性のプライベートに、いったい何があるんだ……


「ほらみてください。だから先輩は、セーラー服とかブレザーとかが愛おしくなったら、JKなんかに手を出さないで、私達に言ってくれればいいんですよ。お相手しますから」

 姫宮が得意になって言う。

「あっ、先輩、今私のセーラー服姿、想像しましたね?」

 くやしいけれど、一瞬だけ姫宮の高校生時代を想像した。

 高校までバスケ部だったと言ってたから、当時のスポーツ少女だった姫宮が、容易に想像できる。


「さあ、馬鹿なこと言ってないで、仕事仕事」

 俺は姫宮を追い立てた。

「はーい」


 良いのか悪いのか、俺の職場はいつもこんな雰囲気だ。

 潰されないように、せめて仕事だけはしっかりやっておかないといけない。


 そう切り替えた俺のスマートフォンにメールが届く。


(次の休みの撮影場所、どこですか?)っていう、景都からのメールだった。

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