第117話 俺と愛哩
長かった生徒会長選挙が終わった。結果が出るのは明日なので、今日はもういつも通りの日時に戻るだけだ。
放課後になり、俺は一人生徒会室でこれまでのことを懐かしんでいた。
初めはなし崩しに入らされて不満だったっけ。何で俺がこんなことを、と理解することを初めから諦めていた気がする。
だけど立花さんの一件を経て、困ってる人が居るなら助けたいと、まるで子どものようなヒーロー願望を抱いた。
続く操二の一件では二年ぶりに誰かと衝突した。愛哩が同じ土俵に立ってくれたからこそ、心から言い合えたのだ。
思えばその辺りだ。俺が生徒会のメンバーに惹かれ始めたのは。
また友達を作りたいのだと、奥に閉じ込めていた本心を自覚した。
「本当に、懐かしいな」
すっかり見慣れた長机をつーっと撫でる。生徒会室の広さもそうだけど、これもかなり簡素だよな。今は不便してないから良いけど、今後もし人が増えたりしたらそういうことも考えなきゃいけない。
ここにはいろんなことを学ばせてもらった。
感傷に浸っていると、生徒会室のドアが音を立てて開かれた。
そこに居たのは愛哩。憑き物が落ちたような顔をしている。
「やっぱりここに居た」
愛哩は静かにドアを閉めた。まるでここだけが外界と遮断された二人だけの世界のように感じる。
「今日は悟くんに……、ううん。今日も悟くんに助けられちゃったね。いつもありがとう」
「その言葉ならもう講堂で聞いたよ」
「それなんだけど、あの後大変だったんだからね? 悟くんはさっさと教室を出ていってたからみんな私を冷やかしに来るし。熱愛してるねーとか、何か悩んでることとかあったら相談してねーとか」
「何て答えたの?」
「……私ばっかり好きみたいだし、ちょっと恥ずかしい、悟くんにももっと好かれたい、みたいな」
顔を真っ赤にしてそう答える。
……な、何か俺も恥ずかしいな。耳が熱くなってきた。
「そ、そう言えば寄せ書きは全部読んだ? 凄い数だったでしょ」
「う、うん。みんなよく覚えててくれるなーってことばかり書いてくれてたよ。人との思い出を大事に出来る人達なんだね」
「良い意味でブーメランだな。愛哩も覚えてるからこそ言える言葉だ」
「だったら良いな」
クラスや学年を超えた人気者。そうなるまでに積み重ねた信頼はこの高校の誰よりも厚いものなんだろう。
俺はいつもの席に座ると、愛哩も真似して隣の席に腰を下ろした。
「生徒会室で隣に座れるのも今日までだね」
「明日にはどっちかが生徒会長だから?」
「うん。そしたら音心ちゃんが座ってたあの席にどっちかが座ることになる」
どっちがなるかはわからない。だけどどっちがなっても、俺達の間に燻りは起きないだろう。
「悟くんの横顔見るの、好きだったんだけどなぁ」
「愛哩が生徒会長になったら見れるよ」
「近くで見るから良いんじゃん」
つんと頬をつつかれる。俺はそっと愛哩の手を降ろさせた。
「……手」
愛哩がその先を紡ぐより早く、俺は手を握った。
無言が流れる。何だか付き合いたてみたいな雰囲気だ。
「……そうだ、悟くん。さっきの寄せ書きなんだけど、何で悟くんは書いくれてなかったの?」
「……それ聞く?」
「だって音心ちゃんとかみゃーちゃんは書いてくれてたんだよ? なのに悟くんのが無いのは不自然じゃない? 見落としたかなって三周したよ」
「……正直、恥ずかしい理由だからあんまり言いたくない」
これを聞いたら笑われてしまう。出来ることなら言わないに越したことはない。
だけどそんな様子の俺を、愛哩が放っておくはずもなく。
「良いじゃん教えてよ。もし悟くんが書いてくれるならどんなことを書いたの?」
「……」
「耳真っ赤だね」
仕方ないだろ!? だって俺が書いたらラブレターみたいになるんだから! 愛哩とのエピソードなんか今更数え切れないし、何なら一人で色紙一枚埋めつくしかねないしさ!?
心の中で言い訳していると、愛哩はそんな俺を見てビックリしたように頬を紅潮させていた。
瞬間、愛哩の思考が流れ込んでくる。
(ら、ラブレターみたいにって……それはそれで読んでみたいけど……ていうか色紙埋めつくしかねないって……!)
「……ん? ん!?」
俺は驚き過ぎて二度見する。いや、そんなことはありえないはず。
だって今の思考は、まるで俺の心を読んでいるかのような──
「──あはは、気付かれちゃった? お察しの通り、今なら悟くんの考えてることは手に取るようにわかるよ」
「愛哩。もしかして戻ったのか」
「そうだね。キッカケは多分みんなの寄せ書きを渡してくれたこと。霧がかかったみたいな視界がパッと晴れてさ。今思ったらかなり無理してたし、その分そこにリソースが割かれてたとかそんな感じかな?」
以前俺が心を読めなくなったのは風邪をひいた時。あの時は思考力が低下していたからだろうけど、今回の愛哩の現象も同じ理由ってことなのかな。
まあ、何にせよ。
「良かったね、愛哩」
「私としてはどっちでも良かったんだけどね? 今はもうこんな能力が無くてもみんなのことも信じられるよ」
それは俺が一番欲しかった言葉。そう言えるくらいに吹っ切れたようで、俺もようやく肩の荷を下ろせた気がした。
「ごめん。一人だけまだ信じきれない人が居る」
「え、そうなの?」
「悟くん、寄せ書き書いてくれなかったじゃん? だからまだ本心がわかんないや」
「心読めるでしょ」
「さっきのは嘘だよ」
「雑過ぎない?」
それにもし愛哩が嘘をつくならもっと上手くやるはず。俺が心を読むまで嘘に気付かないくらいには。
「また人をそんな詐欺師みたいに言って」
「言ってないのに内心当てられたよね俺!?」
「んふふ、冗談はこの辺にしよっかな」
愛哩は悪戯っぽく笑う。そして改めて俺に向き直った。
「彼女としてお願いします。私に悟くんの気持ちを証明してください」
……その言い方はズルいな。どうしても証明したくなってしまう。
俺は小さく息を切り、同じく向き直る。
お互い向き合った状態。近くで見ると愛哩の顔はやっぱり非の打ち所がない整っていて、可愛くて綺麗だ。
鼓動が早くなる。心臓が口から飛び出そうだ。告白以来の緊張が俺を襲う。
愛哩の華奢な肩に手を置くと、その意味を理解したのか静かに目を瞑った。
「……愛哩。好きだよ」
声が震えるのも構わず、俺はやがて愛哩との距離を近付けていき──
──唇に柔らかいものが触れた時、どうしようもなく愛哩への愛おしさが溢れた。
初めてのキスは甘酸っぱい味がするなんて言うが、味なんてしない。代わりに感じるのは五感を超えた幸福感だけだ。
十秒程唇を重ねていただろうか。離れた時にはお互い相手の顔もまともに見れないくらいになっていた。
「……えっと、これで証明になったかな」
精一杯絞り出した言葉に愛哩は小さく首肯する。
ファーストキスを交わしたことで一つ大人へ近付いたと思ったけど、そんなことはない。
今の愛哩の子どもみたいに縮こまる姿を見れば、俺達が大人になるなんてまだまだだと感じた。
「……悟くん、私今日お父さんとお母さんの二人と話し合ってみる」
「もしまだ難しそうだったら頼ってくれても良いからね」
「大丈夫。もう頼らせてもらったから」
夕日が差しこみ、生徒会室が照らされる。
伸びた光は俺と愛哩を包み込んでいた。
愛哩は恥ずかしさの余韻が残った顔を隠そうともせず、まっすぐ俺の目を見つめる。
「勇気、貰ったよ」
そう言ってはにかむ愛哩は、愛おしそうに唇に指を当てていた。
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