第116話 積み重ねてきたもの

 恐る恐る受け取った愛哩は一枚ずつ目を通していく。そろそろまた選管の催促が来るかもだけど、今はそんなこと関係ない。


 これは俺に協力してくれたみんなで集めたものだ。一年生は未耶ちゃんと立花さん、二年生は俺と操二、それに島本や舞さんに愛さんも。三年生は音心を頼らせてもらった。


 書かれているのは一文で済むような簡素なものではなく、どれも数行に渡る熱の入ったもの。


 俺が知らない間も、愛哩はこうして沢山の生徒を救ってきたのだ。


 ……俺だって、初めはただのぼっちだったのに挨拶してもらってたしね。今思えばそれにどれだけ救われていたことか。


「……みんな」


 愛哩は一人噛み締める。時折零す言葉には、上手くいって良かったなんて先を案じていたものも垣間見えた。


 どれくらいそうしていたのだろう。まだ全部を読み切れてはいないはずだけど、愛哩の顔はさっきまでのものとは明らかに柔らかくなっていた。


「これ、みんなが集めてくれたの?」

「俺達はキッカケを作っただけだよ。これを書いてくれたみんなが、自分も書きたいって名乗り出てくれたんだ」

「そっか。嬉しいなぁ」


 内心をそのまま口にしたそれは何だか温もりを感じた。まるで愛哩の性格が切り取られたような錯覚さえ覚える。


「……うん。行ってくる。みんな信頼してくれてるんだもんね」

「期待してるよ」

「んふふ、悟くんの目の前にいるのはもう一人の立候補者だよ? そんなに余裕で良いの?」

「俺だって自信があるからな」

「テスト以来の対決だね」


 愛哩はハーフアップを結び直す。鏡もないのに完璧なのは、毎日毎日してきたがゆえ。


「見ててね」


 そう言い残すと、愛哩は壇上に姿を現した。いつの間にかマイクを持っていた音心からそれを受け取り、演説を始める。


 戻ってきた音心は、やれやれとでも言いたげな顔をしていた。


「ったく、最後の最後まで世話が焼けるわね」

「音心が時間を稼いでくれてたんだな」

「アタシにここまでさせたのよ。上手くいったんでしょうね?」

「バッチリだよ」


 そう断言出来る理由は壇上にある。


 愛哩は軽く自己紹介した後、小さく頭を下げた。


「まずはお待たせしてしまい申し訳ありません。ちょっと裏で悟くん達と話してて」


 はにかみながら僅かに首を倒す。完成された動きは紛れもなく、前までの愛哩のものだった。


「私のマニフェストですが、既にみなさんご存知だと思います。先程悟くんからもあったように、学年を超えたレセプションを企画するというものです」


 内容はあえて詰めていない。多分その方がみんな自分の理想を当てはめるだろうから。マスク美人と同じ原理だね。


「少し詳しい話をすると、おこなうタイミングは先輩方の卒業時、そして後輩達の入学時の二回を考えています。二学期には文化祭、あとは今後だと体育祭かな? なのに一学期と三学期に楽しみが無いのは寂しくないですか?」


 言われてみるとそうだ。一応校外学習に行く場合もあるとはいえ、あくまで“学習”だ。


 楽しさが主題のそれは、どうしても生徒からすると魅力的に映る。


「レセプションに関してはこんなところかな。後は悟くんが言ってたことだけど、私は確かに当選したら彼を副会長に選びます。体育祭の実施は学習機会としても素晴らしいものですし、個人的にはそちらも実現したいと思っています」


 考えることは同じ。俺は安心感を持って愛哩を見守る。


「なので選挙はどちらを選びたいかという構図になる。これも正しいと思います。なので私は彼に出来ないことをして、みなさんにアピールしますね」


 俺に出来ないこと? 疑問に思ったのも束の間、愛哩は続ける。


「最前列のみなさんから見て一番右の男の子。一年一組の相坂隼人君だよね?」


 全員の注目が行く中、相坂と呼ばれた生徒は手で大きな丸を作った。


「少しお調子者のサッカー部員。前から十二列目で中央から三つ右の金髪の生徒、高槻操二君に憧れてるんだったよね」

「そうなのかー相坂ー!」

「ちょっ、やめてください長岡先輩!」


 笑いに包まれる。愛哩はごめんごめんと謝った。


「後ろから三列目の一番左の方は山野涼介先輩。美術部の方で、最近とある賞で受賞されましたよね? その隣は山井彩花先輩。帰宅部だけど学年を超えて優しい先輩だって慕われてる」


 名前を呼ばれた生徒の様子からするに、全員一致している。俺の知らない人ばかりだ。


「もし自分のことも覚えてる? って人が居たら、挙手してください。絶対に当てます」


 普通なら手を挙げにくい状況だけど、そこは愛哩の人望だろうか。過半数の生徒が手を挙げていた。


「そこの子は林百合子ちゃん。最近水泳部の調子はどう? 少し右にいる中西優吾君は彼女さんと仲直り出来たかな。手前に居るのは西村健吾君。気を遣いすぎちゃう癖は治った? 後ろの方で両手を挙げてる野山冬弥先輩、あなたはまだ話したことないですよね? ちゃんとわかりますから」


 愛哩は物の見事に、それこそ関わりの無い生徒まで完璧に名前を言い当てる。たとえこれが一時間続いたとしても誰一人間違えないんだろうなという、根拠の無い確信が俺には、そしてみんなにはあった。


「そうだ、選挙管理委員会の岡本悠里さん。さっきは待たせてしまい申し訳ないです。演説が短過ぎた音心ちゃんを喋らせるためだと思って許してくれませんか?」

「ちょっと愛哩! 音心ちゃんって呼ぶんじゃないわよ!!!」


 マイクも無いのによく通る声でツッコむ。


 俺の時なんかは比じゃないくらい、選挙は盛り上がっていた。


「良い機会だから、この場を借りて感謝を伝えようかな」


 愛哩は笑顔でそう告げる。周りからは頑張れなんて応援の声が聞こえてきた。


「音心ちゃん、私を生徒会に誘ってくれてありがとう。ちょっと臭いけど、あの場所は私のかけがえのないものになったよ」

「こちらこそよ! 強引な勧誘だったのに入ってくれてありがと!」

「未耶ちゃんはいつも見えないところで助けてくれてたよね。誰も見てなくても私は見てるし、その頑張りはいずれ絶対認められるよ。だって私の自慢の後輩だもん」

「……私こそ、いつも助けてくれてありがとうございます! 愛哩先輩は自慢の先輩です!」

「そして悟くん!」


 一際大きな声で、強調するように俺を呼ぶ。その目には不安なんてどこにもなかった。




「私のことを好きになってくれて、私の好きな人になってくれてありがとう! 大好きだよ!」




 ……愛哩は凄いな。元々完成された人間だと思っていたけど、どんどん成長していく。


 俺は愛哩の想いに答えるために、精一杯の大きな声で返した。




「こちらこそ、自分の殻に閉じこもってた俺を引っ張り出してくれて、俺の告白を受けてくれてありがとう!」




 昔の俺では考えられない、大き過ぎる感情の発露。


 そして次の瞬間、講堂内は拍手や歓声、そして祝福で溢れかえったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る