第113話 月夜に照らされた帰り道
夜空の三日月と街頭がアスファルトを照らす帰り道。俺は愛哩を家まで送っていた。
会話は無く、車の通る音と夜の虫の鳴き声だけが響いていた。
こんな風に二人で歩くのも久々だな。繋いでいない手は宙ぶらりんのまま、何となくこれまでのことをぼんやりと思い出していた。
「今日はありがと。……正確には昨日も、かな」
ふと愛哩がそんなことを呟く。
「私に息抜きをさせてくれようとしたんでしょ? 正直いっぱいいっぱいだったから助かったよ」
「それもあるけど、それだけじゃないよ」
「そうなの?」
純粋な目で俺を見つめる。何だか照れくさくなって目を逸らした。
「あっ、今恥ずかしがったでしょ。心が見えなくてもそれくらいはわかるんだから」
「恋人だもんな」
「……別に、恋人じゃなくてもわかると思うけど」
今度は愛哩が俺から目を逸らす。少しくすぐったくなった。
会話もないまま、だけど居心地は悪くない。
良い関係だな、と愛哩には絶対言えない言葉が去来する。それこそ恥ずかしくて伝えられる気がしないや。
「ねえ悟くん。もう来週だね」
「生徒会長選挙?」
「うん。最初悟くんが立候補するって聞いた時はビックリしたよ」
そうだろうね。あの行動は今思うと完全にその場の思いつきだ。なんせ当時の自分でもそんなことをするなんて思いもしていなかった。
愛哩は続ける。
「何で悟くんが立候補したのかはわからないかど、私は勝つよ。それでお父さんとお母さんに認めてもらう」
ここが、ここだけが。昨日と今日はいつもの愛哩と言っても差し支えない振る舞いだったけど、やっぱり歪にねじ曲がった考えはまだ直っていない。
俺だって負ける気はないよ。数日前なら言っていたであろう言葉だけど、今の俺は口が裂けても言えなかった。
何故ならそれがどういうことなのか、俺はもう親友に教えてもらった。
「人に頼るって、案外簡単だよね」
「そうかな。私は頷けないかも」
「それは愛哩が慣れてないからだよ」
「だってそれで嫌われたらどうするの? そんなの嫌だよ」
「頼る内容によるのはそうかもね。だけど愛哩が頼らざるを得ない問題なら、それは嫌われるような内容じゃないって言いきれるよ」
甘えると頼るは似て非なるものだと思う。
一つ付け加えるのなら、そのどっちでも絶対受け入れてくれる存在が、愛哩が今まさに嫌われたくないと思ってる両親だ。
ちょっとしか話していない俺がそう思えるのだ。心配するようなことは何もない。
「じゃあ、試しに一つ甘えるね」
「何でもどうぞ」
「……手、繋ぎたい」
「はは、丁度さっき俺も同じことを思ってたよ」
あまりに可愛らしいお願いに、俺は笑みを零しながら愛哩の手を握る。
寒い秋の夜だからか、愛哩の小さくて柔らかい手は一際温もりを主張していた。
「愛哩。これだけは覚えておいてほしいんだけどさ」
「何?」
「俺は愛哩のことが好きだよ」
言うなり、顔が熱を帯びる。余裕ぶった言い方をしたけど、実際のところ恥ずかしいことこの上ない。
でもこれを覚えてくれていたら、いつかは愛哩も頼ってくれるかもしれない。
そのためなら一時の羞恥心くらい、どうってことない。
「……あはは、どうしたの? 今日はやけに好き好きアピールしてくるね。昨日舞さんに浮気した罪滅ぼし?」
「あ、あれは違うんだって!」
「んふふ、わかってるよ。言ってみただけ」
そこを突かれると弱い……舞さんも本当変なことをするもんだよ……。
「何となくわかった。悟くんは頼ってほしいんだよね?」
これがもし普通の高校生なら盲目的になって気付けないはず。
そこに気付けるのは、ひとえに愛哩の持つ能力の高さと、そしてこれまで心を読めてきたからこそ相手の考えてることへの高い精度で成立する予測。
「私が会長選挙に勝ったら悟くんには副会長になってもらおうかな」
「期待してるよ」
頼ってほしがってる事実まではわかるけど、その後の内容。
まあ今は気付かなくても良い。俺は行動で示すつもりだし、そこで真意をわかってもらえたらそれで良い。
「……もう来週なんだな」
長いようで一瞬だったようにも思える。
つい力がこもり、俺は愛哩の手を握っていた力を強めた。
「悟くん?」
痛みを覚える程ではないけど、少し心配そうに呼びかけてくれる。
「ごめん、強く握りすぎた」
「ううん。……こんなことを言うのは重い女みたいで恥ずかしいんだけど、ちょっとだけ安心したかも」
愛哩ははにかみながら、握り返してくる力を強くする。
「離さないでね?」
勿論離さない。言葉の代わりに再度握り返すと、愛哩は機嫌良さそうに鼻歌を歌い始めた。
これは女々しいから言えなかったんだけど、以前の愛哩になら見透かされていたであろう本心。
──愛哩こそ、俺を離さないでいてほしい。
叶うことなら、一生。
……愛哩のことをたまにメンヘラだってからかう割に、俺も中々の重さだな。
アルカイックスマイルのような三日月は、何だか俺を笑ってるような気がした。
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