第108話 諍い、そして

 生徒会長選挙まで残すところ一週間を切った。マニフェスト開示からの俺と愛哩の差は歴然としていた。


 愛哩の取った手段は尽くが成功し、逆に俺は思うようにいかない。


 みんなは当人の俺の前では気を使って言わないけど、もはや出来レースのような空気でさえ漂っている。


 操二と立花さん、何より未耶ちゃんの助力のおかげで一定数は俺の支持者もいるようだけど、このままじゃ敗戦は濃厚だ。


 ──今日は生徒会室で久しぶりに操二と立花さんも交えた四人での話し合い。特に操二は忙しい部活の時間を縫って顔を出してくれていた。


 窓を開けているため外の空気が入りこんでくる。ほのかに香る金木犀の香りは本格的な秋を感じさせた。


「そんじゃ始めよーぜ! 作戦会議!」

「そうですね。よろしくお願いします」

「よろしくお願いしますっ!」


 席配置は生徒が生徒会に相談に来た時そのままだ。俺と未耶ちゃんがドアから見て左側、長机を挟んで反対側に操二と立花さん。


 口を開かない俺を他所に、三人は話し合いを始める。


「高槻先輩が来られるのは久々なので、まずは現状の把握から始めたいと思います」

「おっけ! お願い!」

「有り体に言って状況はかなり不利です。マニフェストは方向性が同じだからこそ、気付かないうちにわたし達が捨てていた三年生票を実益の差で愛哩先輩の方が支持される結果になっています」

「そうなん? 俺の周りじゃ割と悟クン派の人も居るんだけど」

「アレですよ、高槻先輩は宮田先輩派閥じゃないですか。だから多少は気を遣われてるか、もしくは高槻先輩の友達が体育会系の人ばっかりとか」

「あー、それは確かにそうかも」


 未耶ちゃんの言う通り、俺はこのままだと確実に負ける。そうなれば愛哩は良くない方向へ進み、取り返しのつかないことになるかもしれない。


「ただし高槻先輩が言った“体育会系の生徒には支持されている”というのも信憑性があります。正確なアンケートなんかは取っていないのであくまで推測ですが、普通の高校では聞かないレセプションよりは青春の代名詞である体育祭を選ぶ生徒が圧倒的に少数だとは思えません」

「あずから提案なんだけど、体育祭の他に何か新しい売りを作ってあげるのはどう? 例えば補習廃止とか!」

「良いねそれ! てことは夏休み延長とかもアリじゃね?」

「そうですそうです! そしたらみんな青春を過ごせますよ!」

「学校の制度を変えるには先生方の承認が不可欠です。なので文武両道の一環としての体育祭や学年を超えた交流でコミュニケーション能力の向上を図るレセプションと比べると、実現可能かを考えたら厳しいかもしれません。まして校則の変え方は他でもないわたし達が詳細に説明してしまいましたし……」


 売りを増やすという手自体はそれ程悪くない。何なら俺達に残された手はそれくらいしかない気がする。


 どうしても現状のマニフェストで劣っている以上、新たな手が必要なのは明白だ。


 無言が場を支配する。


 口火を切ったのは、俺だった。


「……レセプションを俺達もするっていうのはどうかな」


 予想だにしなかった意見なのか、三人は目を丸くしていた。


「後出しジャンケンをすれば負けない。方向性が同じだからこそ実現の仕方は両者とも一致してるし、不可能じゃないと思う」

「……あー、こういう言い方は意地悪かもだけど、要はパクるってこと? 印象悪くならね?」

「勝てば官軍だよ。印象が悪くなるのなその通りだと思うけど、いざ投票の場になるとみんなはより優れた方に票を入れるはず」

「相手に同じことをされたら?」

「それこそパクりだ」

「……だから、それがマイナスになるんなら悟クンのそれもマイナスになるんじゃねーのって言ってんだけど?」


 糸がピンと張り詰めた音が鳴った気がした。


 自覚出来るくらいには鋭い目付きで操二を見ると、向こうは苛立ちを隠そうともせず眉をひそめていた。


「なあ悟クン、それって投票してくれる人のことを舐めてんじゃねえの?」

「むしろ買ってるんだよ。うちの高校は頭の良い生徒が集まるところだし、後出しでもどっちが優れたマニフェストなのかはちょっと考えればわかる」

「それが違ぇつってんだよ。こうしたらこう動く。人間そんな単純じゃねえだろうが」

「た、高槻先輩! ちょっと怖いですよー……? なんて……」

「ごめん立花ちゃん。今の悟クンは誰かが言ってやらなきゃ気付かねえわ」


 操二は宥める立花さんに断りを入れ、さらに続ける。


「なあ、俺の知ってる悟クンはそんな傲慢な考えはしないヤツだったぜ」

「じゃあ見込み違いだったんだよ。俺は元々こういう人間だ」

「うちの生徒は賢いって言う割に自分は頭使わねえんだな? 今が特殊な状況になってるって言ってんだよ」

「そうなった時に人間の本質が出るもんじゃないの?」

「……あー、クソ。ごめんね二人。先に謝っとく」


 ガシガシと頭を掻きながら吐き捨てるように謝罪を口にする。


 さっきから何が気に食わないんだ。だってこうでもしないと生徒会長選挙に負けて──


「──悟クンさ、お前生徒会長になる気ねえんだろ? わかんねえならもう一つ言ってやる、なった後のことを何一つ考えてねえだろ。裏切り前提のヤツに誰が票を投げんだよ」

「……俺が会長になる気がない?」

「ああ。だってそうだろ? 悟クンにあるのは“会長選挙に勝つこと”だけだ。目標地点が一個ズレてんだよ」

「なる気がないわけがないだろ」


 語気が荒くなる。しかし血が上った頭では制止なんて考えられず、思ったことを口走った。


「なる気がなかったら愛哩に勝負を挑むわけがないだろ!!! 普通に考えればそもそもの人望の差で勝てるわけが無い! 誰かに頼ることだってしない! そういうことは俺の行動を見てから言えよ!!!」

「だからそれがそもそも違えって何で分かんねえんだよお前は!!! 別にオレは悟クンが会長になろうがならまいがどっちでも良いんだよ!」

「なら何で俺に協力してんだよ!!!」

「お前がオレの親友だからに決まってんだろうが!!!」


 ガンと長机を叩く音が生徒会室に響き渡る。見ると操二が打ちつけた拳からはうっすら血が滲んでいた。


 ……呆気に取られた俺は、ふと操二を見やる。


 ──そこにあったのは、操二の悔恨だった。




(……何でオレは、親友の考えてることをわかってやれねえんだよ……)




「……操二」


 俺にさっきまでの勢いは無い。代わりにあるのは、ここに来て初めて浮かんだ自省だった。


「……オレより先に言うことがある相手がいるだろ」

「そうだね。未耶ちゃん、立花さん。怖がらせたよね。ごめん」

「い、いえ! あずは全然……」

「怖かったですけど、わたしはそれ以上に高槻先輩への共感が強かったです」


 その発言はおよそ今までの未耶ちゃんからは想像出来ないもの。さっきまでの俺や操二程じゃないけど、未耶ちゃんも未耶ちゃんで怒りを滲ませていた。


「わたしも同じことを思ってましたが、口にはしませんでした。いつか悟先輩ならちゃんと言ってくれるんじゃないかって期待していました」

「……そっか」

「……多分、わたしのそういうところが愛哩先輩に勝てなかった理由なんだと思います。相手に責任を押し付けるだけじゃなくて、自分からも相手に手を差し伸べてあげられる強さがわたしにはありませんでした」

「そんなことは」

「あります。今回だって悟先輩が頼ってくれたから協力しました。当然その気持ちに嘘はありませんが、どこまでも相手に依存したやり方じゃ相互理解なんて夢のまた夢です」


 未耶ちゃんの中で答えは出ている。俺は余計な口は挟まず、黙って未耶ちゃんの目を見つめていた。


「ちゃんと怒れることで初めて、お互いに対等になれるんだと思います」


 確かな強さを伴った視線は、出会った頃のものとは見違えるように頼もしくなっていた。


 そういう風に思ってもらえていたことにすら気付けていなかった自分へ、俺は無性に腹を立てた。


「あずは正直二人程宮田先輩と仲良くありません。今回もあずだけ宮田先輩からじゃなくてみゃーちゃんから頼まれただけですし、怒ってあげられるくらいの熱量も持ってないと思います」


 立花さんは俯きながらそう呟き、顔を上げる。


「でもそういう関係になりたいとは、心の底から思います。前に宮田先輩はあずを助けてくれましたし、今度はあずが宮田先輩を助けてあげたいです」

「……つーわけだぜ、悟クン。オレらはみんな悟クンの味方だ」


 操二の言葉に、俺は改めて三人を見た。


 全員内心が発言と一致している。狡い確認の仕方だけど、言えば軽蔑されるかもしれないけど。そんな裏付けのある好意は。


「……本当、俺には勿体無いくらいだな」


 操二の言う通り俺は生徒会長になる気がなかったんだと思う。目的は“愛哩を生徒会長にさせないこと”だ。そんな心持ちで勝てるなんて思い上がりも甚だしい。


 そして何より、善意だけでこんなに協力してくれる相手に事情を話さないのは、失礼が過ぎる。




 俺は初めから、頭を下げる相手を間違えていた。




「俺が会長選挙に立候補したのは、操二の言う通り生徒会長になりたいからじゃないんだ。その理由を今から話すよ」


 時計を確認する。時刻は午後四時半。全てを語るには充分な時間が残されている。


 ごめん、愛哩。勝手に話したことへの批難は後日改めて受け入れるよ。


「まずこれを説明する前に知っておかなきゃならない前提がある。未耶ちゃんはもう知ってるよね」

「で、でもそれは」

「怖いよ。怖いけど、この期に及んで隠し事をするような人にはなりたくないんだ」


 これを打ち明けるということは、今までの関係を崩しかねない愚行だ。


 だけどそれでも、せめてそれくらいの誠意は。


 たとえ距離を置かれるとしても、甘んじて受け入れるくらいの覚悟は見せるべきだ。


「信じられないかもしれないんだけど、俺と愛哩は人の考えてることがわかる。それが隠したいものであっても、心の中で思っていたら全部だ」


 声が震えていることを自覚した時、俺はようやく、今後も二人と仲良くしていきたいと心の底から思っていることに気付かされた。

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