第107話 単純接触効果の質

「会長選挙に立候補した宮田悟です。良かったらこれ、貰っていってください」


 きたる週初め、俺は早速未耶ちゃんと立花さんの三人でビラを配っていた。


 内容は具体的に、だけど簡潔に示した俺のマニフェストについて。校則にある生徒から学校への嘆願書の作り方など、絵空事ではないと思わせるような中身は知業の高校の会長さんから貰ったアドバイスを参考にしている。


 時間は既に八時を回っている。登校してくる生徒が爆発的に増え、渡せないまま終わる生徒も居る中、見知った顔の二人が俺の前に現れた。


「おっ、体育祭か! 良いなこれ! 高槻のアドバイスか?」

「んにゃ、オレはちょろっとだけ意見を持ってっただけ。これを思いついたのは悟クンだぜ」


 操二と島本。サッカー部のキャプテンと副キャプテンが揃い踏みしているので、さっきよりも少しだけ注目されだした。


「サッカー部の朝練は終わったの?」

「まーな。にしてもお前、面白いこと考えるんだなぁ」


 島本は感心した様子でビラをしげしげと眺める。一枚手渡すと、さんきゅと口にして熟読しだした。


「悟クン、オレも手伝うぜ?」

「ならとりあえずこれだけ頼もうかな。十五分になったら切り上げるし、終わったらビラは俺に渡してね」

「あいよ! お、そこの一年ちゃん達可愛いね! 会長選挙とか興味ない?」


 ビラを手にするなり二人組の後輩の子達へ早速アピールしてくれる。あのコミュニケーション能力の高さは本当に見習うべきところがある。


「すまん宮田、オレも手伝いてぇんだけど顧問に報告行かなきゃなんだよ。だからまた今度な」

「気にしなくて良いよ。キャプテンになったって聞いてるし、色々大変でしょ」

「今のところはやりがいの方が強いけどな! ってことでまた後で!」


 そう言って足早に昇降口へ急ぐ島本を見て、俺はふと昔のことを思い出していた。


 愛哩と出会う前は島本のことを裏表のある嫌なヤツだって考えてたよな。だから無条件に島本は嫌な人間だとも思っていた。


 実際どんな人にだって心の中で留めておくような思いはある。嫌なことをされたら嫌だし、そもそも性格的な相性だって存在する。


 それを自分だけは勝手に伝わってくるからってそう考えるのは、今思うと酷く独りよがりな結論だった。


 ……我ながら単純だと思うけど、今になっては島本には悪感情どころかむしろ好感さえ持てる。知ろうとしなければ相手のことなんてわかるはずがない。


 それからビラ配りを続けること五分程。そろそろ終わりの時間も近付いてきたので切り上げることを意識しだしたが、目の前に現れた生徒を見て思考が止まった。


「おはよ、悟くん」


 さらりと伸びた髪をハーフアップにまとめた誰もが振り返るような美少女。そしてこの高校において間違いなく一番の有名人。


 愛哩は、中途半端に差し出されたビラを受け取って中に目を通した。


「ふむ、体育祭。なるほどなるほど、やっぱりこの路線に落ち着くよね」

「今日は登校が遅いな」

「ちょっとだけ寝坊しちゃった。最近あんまり眠れなくてさ」


 何故だか出会った当初の距離感を思い出すような喋り口調。


 今ならわかる。これは仮面を外した素顔に強い好奇心が映っている時の愛哩だ。


「んふふ、そっかそっか。私のマニフェストと被らなくて良かったよ」

「実際被ってたら当事者達はどうするんだろうね」

「どうだろ? その場合は当人の目的が重要になるんじゃない?」


 マニフェストを実現するために生徒会長になる手段を取ろうとしているのか、生徒会長になるためにマニフェストを打ち立てたのか。


 ただ俺を含めて高校生の中にそんな聖人君子が居るとは思えない。愛哩は両親に認めてもらうために、俺は愛哩に勝たせないために生徒会長になろうとしてるんだ。


 もしそんな人が存在するとしたら、多分その人は音心みたいな究極の善人なんだと思う。


「にしても愛哩は良いの? 単純接触効果はバカにならないと思うけど」


 どこまで効果があるかはわからないけど、少なくとも今日においては俺の方がリードしているはず。愛哩がそんなことを見落とすとは思えないからこそ、どことなく意図を感じてしまった。


(どうしよっかな。別にここで言わなくても後々わかるよね)


 愛哩は口には出さずに、だけどしっかり考えがあることを示す。


 俺が心を読んでるのを気付いたのだろう。愛哩はすっと俺の目元を手で隠した。


「女の子の内心を勝手に読むのは禁止。前にも言ったでしょ?」

「そうは言っても……」

「まあそれが難しいのは誰より私がわかってるから良いんだけどね。とにかく私は大丈夫だから、悟くんは悟くんに出来ることを頑張ってよ」


 覆われた手が離れると、愛哩は底の見えない不思議な笑顔を浮かべていた。


「んふふ、今日のところは私が一歩リードだね」


 最後にそう呟き、その場を後にする。




 ──そして俺がその意味を知るのは、放課後になってからだった。




◇◇◇




「お待たせしました」


 帰り支度を終えた未耶ちゃんと合流し、一年の教室を出る。今日は操二と立花さんが出てこれないとのことで、向かう先は喫茶店ではなく図書館になった。学生のためのグループワーク用の部屋があるから、そこで会長選挙で行われる推薦人による推薦理由のスピーチを二人で考えるのだ。


 階段を降り、昇降口に向かう。異変はその時に気付いた。


「何だか賑わってるみたいですね」


 部活に向かう生徒である程度はいつも騒がしいけど、今日のこれはお互いが違和感を覚える程。


 その理由は、校門に出るとすぐにわかった。


「会長選挙に立項の長岡愛哩です! 皆さんも良かったら覚えて帰ってください!」


 人だかりが見えたその奥。名乗った通り、愛哩は今朝の俺と同じようにビラを配っていた。


 しかしそれだけではない。ビラを配っている生徒は愛哩だけじゃなくて、俺には名前もわからないような生徒達が総勢十人は同じことをしていた。


「……朝じゃなくて放課後……?」

「そうよ。全部愛哩の考え」

「うわぁ!?」


 いつの間にか隣に立っていた音心から答えが返ってくる。いつもと変わらない様子だけど、どこか心配そうな目で愛哩達を眺めていた。


「会長は参加しなくても良いんですか?」

「アタシはほとんどノータッチよ。放課後にこれをしようって決めたのも、マニフェストを立候補した当日に固めたのも、全部愛哩が一人でやったこと」

「何で放課後にするのかは聞いてるのか?」

「朝は遅刻しないためだとか早く友達と話したいだとかで簡単には時間を割いてもらえない。その点下校の時だと帰りを急ぐ理由がない人がほとんどだから、朝よりは話を聞いてくれる人が増える。帰りだと暇つぶしとか話題として渡されたマニフェストに目を通したりもするだろうしね」


 徹頭徹尾理にかなった考えだ。……何で気付けなかったのか、今となっては不思議にさえ思う。


「あとはアンタがそういうのは朝にするだろうって読んでたからよ。愛哩曰く会長選挙においてのマニフェストの周知は朝にするのが共通認識だから、実情に詳しくない悟ならその時間を選ぶだろう、それなら下校の時にして差別化も図れるってね」

「……てことは、あそこで手伝ってる生徒達にも意味があるのか?」

「あれはその場で手伝うようお願いされた生徒達。毎日そうすることで、日々変わる手伝いの生徒を見て人望を感じるかもしれないんだって。気付かないならそれで良いけど、そこで差をつけられるならそうしない理由がないってさ」


 ……愕然とする。ここに来てようやく俺は圧倒的な不利を実感した。


「極めつけはコレよ」


 音心から愛哩のマニフェストが記されたビラを渡される。レイアウトだけでも俺のとは大違いだ。


「アンタは体育祭の開催でしょ? 理由は思い出作りの機会を増やすため。愛哩と方向性は同じね」


 頷く。確かに方向性は同じだ。言い換えるなら、俺と愛哩が入手した大多数の生徒が抱えてる要望の質はイーブンということ。


 だけど、“入学レセプション”と“卒業レセプション”の二つの単語を見て、俺は自分の過ちに気付いた。


「……その様子だとわかったようだけど、一応愛哩からの伝言。『勉強が得意でこの高校に入学した生徒の大多数が体育祭を望むって考えるのは早計。それにそのマニフェストだと、どう頑張っても三年生の票は難しいよ』だって。……正直、アタシも同意見ね。実現は悟達が三年になってからだろうし、だとしたら実利がない立候補者を選ぶ理由は三年生私達には情以外ないもの」


 あくまで冷静な口調で、相手に伝わるように言葉を選んだもの。


 しかし音心の気遣いは、俺を追い詰めるには充分過ぎる、ある種の死刑宣告のように感じた。

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