第92話 病み上がり後の朝礼

 ピピピ、ピピピ。


「六度三分。ん、治ったかな」


 ベッドの上で体温計を見て、俺はほっと息をつく。


 昨日までの気だるさは無い。頭もすかっとしているし、今日からはまた学校に行けそうだ。


 だが、まだ一つ確認出来ていないことがある。


「おにぃ! 熱どうだった!?」


 バン! と勢い良くドアを開けて入ってくる琴歌。


 ……正直、顔を見るのが怖い。治ったのにまだ心を読めないままだったら。


「……おにぃ、どうしたの?」


 俯く俺に、琴歌は不安げな声で尋ねる。


「大丈夫だよ」


 心配させないよう、努めていつも通りの声音で声をかける。


 このままこうしていても埒が明かない。


 俺は意を決して、琴歌へ視線を向ける。




(おにぃ、大丈夫かな? 治ってたら良いんだけど……)




 ノイズはない。霞は消えた。呼吸をするように相手の考えていることがわかる。




 ……そうか、戻ったんだな。


「心配してくれてありがとう」

「う、ううん! 妹として当然だよ! だ、だよね!?」

(べ、別にまだおにぃのことを好きなわけじゃないから!)

「学校の用意をしてから下に降りるよ。また後でね」

「わかった!」


 琴歌は嬉しそうにはにかみながら階下へと降りていく。心做しか遠ざかっていく足音がご機嫌に聞こえた。


 人の心が見える。他人からすれば垂涎物の力だろうが、やっぱり持て余すこともあった。


 今はもう上手い付き合い方を教えてもらったけど、手放せるかもしれないと言われたらやはり悩んでしまう。


 ……考えても仕方ないか。今日からはまたいつもの日常だ。


 俺は溜めてしまった生徒会の仕事を頭で思い出しながら、朝の用意を始めるのだった。




◇◇◇




 午前八時二十分。朝礼開始ギリギリに教室に滑り込んだ。


 家を出る前に琴歌が本当に大丈夫? と何度も何度も心配したせいで出るのが遅くなったんだよな……。そのせいで自分も遅刻しかけてたし……。


「おはよ、悟くん。もう少しで遅刻だったね?」

「おはよう愛哩」


 いつものように挨拶を済ませ、カバンを置いて席に着く。既に他のクラスメイトは全員自分の席で近くの席の友達と話していた。


 そこでふと気付く。何だか進路の話をしている人が多いな。


(ねえ愛哩。今日って受験のガイダンスとかあったりする?)

(どう思う?)

(あったら色々知りたいことはあるな、とは)

(というか悟くん、戻ったんだね。当たり前のようにこれで会話してるけど)


 愛哩は小さく目を丸くする。この方法が一番簡単に事実を伝えられるとは思ったけど、やっぱり気付いてくれたか。


(まあ今更無くなってもって感じだよ)

(私達にとっては当たり前のものだもんね)


 そう、当たり前。生まれてから当然のように行う鼻呼吸と同じで、俺達にはもう既に無い方が違和感を覚えるくらい順応してしまっている。


 チャイムが鳴り、担任は教室へ入ってくるなりプリントを配り出した。


「昨日言ったと思うけど、志望校調査書は今週までに出してよー。あと今はまだ国立と私立で分ける必要はないし、とりあえず気になってるところを書いてね」


 前の席の生徒から配られ、自分の分をとってから最後の一枚を後ろに回す。


 だからみんな志望校について話してたのか。もう高校二年の秋だしそろそろ決めないとだよね。


「ね、宮田君」


 声を掛けてきたのはさっきまで話してた愛哩ではなく頬杖をついた舞さん。俺の左の席でシャーペンをくるくる回している。


「宮田君は地元に残るの? それとも県外に出たりするのかな」

「そこもまだ考え中なんだよね。これといってやりたいことも決まってないし」

「まーそうだよね。高校生のうちから将来を考えてる人なんて絶対少数だよ」


 俺は無言で同意する。実際に夢を持ってる人なんてひと握りだろうし。


 夢を追ってる人からすると、それは何事にも本気になったことがないなんて言われそうだけどね。


「舞さんは決めてるの?」

「県外には出たいけど、一応県内のも受ける予定ではあるよ。女の一人暮らしは心配だって親がうるさくて」

「ああ、なるほど」


 うちは基本的に放任主義かつ俺が男っていうのもあって言われたことなかったけど、そう思う親御さんだっているよね。


 だとすると愛哩はどうなんだろう。前のデートでは今度一緒に話そうなんて会話をしたけど、実際思い返してみたら両親の話はほとんどしたことがない。


 くい、とブレザーの端を舞さんとは逆から引っ張られる。右隣に居るのは愛哩。今の思考も見られたのかな。


「私は県外に出たいな」

「やっぱり聞いてたんだね……」

(彼氏が他の女の子と仲良さそうに話してるんだもん。嫉妬じゃないけどね)


 聞かれたら恥ずかしいであろうところはちゃっかり俺以外に隠す。愛哩の表情はクラスでよく見る作られた笑顔だ。


「愛哩が県外に出るんなら、俺もそうしようかな」

「一緒の大学だったら楽しそうだよね。講義とか一緒に受けてさ、同じサークルに入ってわいわいしたり、他にもお互いのお家でゆっくり過ごしたりとか」


 大学生になれば自由は格段に増える。試験が近くなったら一緒に勉強したり、長い休みの時は二人で旅行に行ってみても良いかもしれない。何だか今から楽しみになってきたな。


 愛哩はことりとペンを置いた。


「まあでも今日は空欄のままで良いかな? また今度一緒に考えようね」


 頬を薄く染めながら小さくはにかむ。


 ……こういうところ、愛哩はずるいよな。意識してる愛哩を見たら余計に恥ずかしくなってしまう。


「まあでも、まずは来週の文化祭を成功させようね」


 そうだね。言おうとしたところで、ふと言葉を飲み込む。




(お母さん達が来るから失敗は出来ないし)




 ……愛哩の両親。何となくは聞いたことがあるけど、確かを誇りに思っている人達。


 何故だか胸がざわついた。


 いや、今は考えても仕方がないか。俺は振り払うようにプリントをファイルにしまった。

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