第91話 プリンの味はわからない
ベッドで咳き込みながら、覚めた目でぼーっと天井を眺める。
昼を過ぎても熱は下がらなかった。心を読むことについても、時折冷却シートの取り替えや水分補給の水やスポーツドリンクを持ってくる母親の内心は全く見えない。
……何だか、懐かしいな。小学生の頃はこんな感じだったっけ。相手の行動の意図に確信が持てないことは当たり前なんだろうけど、いざこうしてまた体験してみると何とも違和感がある。裏で相手はどんなことを考えているんだろう。無意識に行動の理由を探してしまう。
時刻は六時半。小学校から帰ってきた琴歌に何度も心配そうに部屋を覗かれるけど、見かねたお母さんがそれを咎める。風邪の理由は昨日の雨と疲労からだろうけど、もし移ったりしたら今度は琴歌が辛い時間を過ごすことになるしね。俺としても気を遣わなくてありがたい。
ノック無しにドアが開く。入ってきたのはお母さんだった。
「悟ちゃん、大丈夫?」
「ん、さっきと変わりないよ」
「そう……。早く良くなると良いわねぇ」
……正直お母さんの心は読めなくてラッキーかもしれない。別に俺へマイナス感情を抱いてるとか、そういうわけじゃないけど──
「お母さん心配でさっきお父さんに電話掛けちゃった。帰ったら慰めてくれるって言ってたし、お母さんも頑張らなくちゃね! 本当お父さんはカッコイイわぁ……」
……うちの両親は夫婦仲が度を越して良い。休日には毎回のようにデートに出かけ、暇さえあればお互いの自慢をしてくる。特にお母さんなんて俺に対してお父さんの面影を見てたまにうっとりすることだってあるのだ。
勿論夫婦仲が良いのは悪いことじゃない。むしろ文字通り良いことなんだろうけど……、息子としては複雑だ。毎日新婚かとツッコミを入れたくなるような二人を見せられては、心を読める俺にとったら余計キツい。
不幸中の幸いのような状況に心の中で安堵していると、インターホンが響いた。隣の部屋からパタパタと下に降りる音がする。琴歌が確認に行ってくれたのだろう。
「お母さんも出てくるわね」
そう言って部屋を出ていく。少ししてドアの開く音がした。
誰か入ってきたのか……? そんな疑問を浮かべていると、応えるように誰かが階段を登ってくる音がした。
お母さんが入ってきた時とは異なり、今度はノックされる。うちでノックするのは琴歌だけだし、また心配になって覗きに来たのかな。追い返すのも忍びないので俺はどうぞと迎え入れる。
「こんばんは、悟くん。お見舞いに来たよ」
「愛哩!?」
俺はガバッと起き上がる。しかし直後ぐらりとベッドに倒れ込んだ。
「わ、大丈夫? 急に身体を動かすから……」
愛哩はベッドの傍に来て掛け布団を俺の肩まで持ってくる。何だか気恥ずかしい。
……そして、今の様子をドア辺りから覗かれていることに気付いた。
「あら、もしかして彼女? 悟ちゃんに彼女? しかもこんなに可愛い子なんて、ふふっ。やるわね!」
「出てってくれ……」
「そんな悲しいこと言わないの! 息子の恋人なんて面白いこと、世の母親がスルー出来るわけないじゃない!」
「あはは……。自己紹介が遅れました、悟くんの恋人の長岡愛哩です」
「やったわね悟ちゃん! お父さんに似てるだけはあるわ!」
めちゃくちゃ良い笑顔でサムズアップするお母さん。こうなるのがわかってたからお母さん達には報告しなかったのに……。
「じゃあ後は若い二人だけで! 悟ちゃんは風邪引いてるんだから粘膜接触しないようにね!」
「しないって!!! もう早く行きなよ!!!」
「うふふっ、お父さんも帰ってきたらじっくり聞いてあげるからね!」
まるで新しいおもちゃを買ってもらった子どものような笑顔でお母さんは部屋を後にする。愛哩が帰った後は絶対面倒臭いことになるな……。
二人になった自室は雨音が響いていた。さっき茶化されたからかお互い気まずい。
「……あ、そうだ」
今の状況は愛哩にも伝えておこう。無関係ではない、どころか一番関係してる人だしね。
「愛哩って風邪引いたことはある?」
「んふふ、何それ? そりゃ勿論あるよ。高校受験の直前にインフルエンザにかかって大変だったんだから」
「その時は特に何も無かった?」
「インフルエンザだから何もってことはないけど……、それがどうかしたの?」
足が速い人もいれば頭が良い人もいる。力が強い人もいればコミュニケーション能力に長けた人もいる。そういう風に、俺と愛哩の間でも個人差があるのかな。
「風邪のせいか、今心が読めなくなってるんだ」
「……嘘。そんなことってあるの?」
「現に今愛哩は本当に驚いてるのかそういう風に見せてるのか、俺はわかってないよ」
「それは本当に驚いてる、けど……」
愛哩は滅多に見ないような取り乱し方をする。静かに焦るような、今あるピースをパズルとして急いで組み合わようとしてるような。少なくとも答えが出せていないことだけは理解出来た。
「……ちなみに、今はどんな感じなの?」
「頭にもやがかかってるというか、本調子じゃないっていうのも相まってよくわからなくなってる」
それを聞いて無言のまま考え込む。
今愛哩は何を考えているんだろうか。昨日までは無言が無言として機能していなかったのに。
相手が何を考えているのかわからないっていうのは、少し怖いな。昔は嫌なところを見るくらいなら心なんて読めなければ良いと思っていたけど、いざそうなってみると得体の知れない恐怖を感じる。
「……そう言えば悟くん、熱はどう?」
「さっき測った時は八度五分だったよ。朝とほとんど変わってない」
「安静にしててね。ここに買ってきたのを色々置いておくし、もし食べれそうだったら食べて」
「食べ物?」
「風邪の時はプリンが良いって相場が決まってるから。……それと、本当ごめんね」
愛哩は唐突に申し訳なさそうな顔で俺に謝ってくる。何に対して謝っているのか。またも言いようのない恐怖に包まれた。
「昨日私を庇ってくれたからだよね。迷惑を掛けて本当にごめんなさい」
「ああ、そのこと。今日の風邪は元々の疲労もあったはずだから全然気にしないで」
「ありがと」
それっきりまた無言になる。お互い話すことは色々ありそうなものだけど、何だか怖くなって何も話せなかった。多分愛哩もよくわからない感情を抱いてる気がする。確証は持てないけど。
……どれくらいそうしていたかわからない。数分にも何時間にも感じたけど、進んだ針はきっかり三十分。愛哩はそこで初めて口を開いた。
「そろそろ帰るね。長居してごめん」
「良いよ、こっちも気分転換になったし」
「ありがと。じゃあまた明日ね。学校で会うかこの部屋で会うかはわからないけど」
それは明日もお見舞いに来てくれるって意味かな。言葉の裏を読んだらそうだろうけど、これもまた確信は持てない。
疑心暗鬼。今の俺にはそんな言葉がピッタリだ。
愛哩はひらひらと手を振って部屋を出ていく。取り残された自室はやけに広く感じた。
……風邪が治ったらちゃんと元に戻るかな。
今まで疎ましいと思うことの方が圧倒的に多かった能力だけど、いざ失ってみるともう一度得ることを望んでしまう。
五年くらいこんな能力と付き合ってきたんだ。価値観や考え方なんて確実に影響されている。
言い換えるなら、歪められている。
元に戻って欲しいけど、いざ風邪が治ってもこのままだったら。寝るのが少し怖くなる。
俺は気を紛らわせるように、愛哩が持ってきてくれたプリンの蓋を開ける。
風邪を引いているからだろうか。
プリンの味は、よくわからなかった。
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