第86話 恋人デート 前編
その日を恐れれば恐れる分だけ、緊張すればする程、それまでの時間はとんでもない速度で過ぎ去ってしまうもの。
……光の速さで平日は消化され、週末。愛哩と恋人としての初デートの日。
俺は映画館の入場口でいろんな映画のポスターをそわそわと眺める。だけどどれも頭には入ってこない。
……これはあれか。前の擬似デートは学校帰りだったのに対して、今日は休日をまるまるデートに費やすから緊張してるのかな。まず初めはおはようで良いんだっけ? 待ち合わせ時間は十時で合ってるよね? 今は九時四十五分だし間に合ってるよね?
その場をぐるぐる回る。じっとしていると落ち着かな──
「──おまたせ、悟くん」
「うわぁ!?」
お化けでも見てしまったみたいな情けない声を上げる。若干声が裏返った。
「んふふ、どうしたの? 緊張してる?」
大人っぽい笑顔を浮かべる愛哩。こてんと首を倒す仕草は妖艶さまで醸していて、心做しかいつもとは違う匂いも感じた。
服装は深めのVニットとショートブーツが黒で、ロングプリーツスカートが綺麗な白のモノトーンコーデ。ショルダーバッグも落ち着いた色だ。
こ、こういう時は褒めなきゃなんだよね。固まってるのが一番ダサいはず。実際似合ってるって感じるからそれをそのまま伝えたら良いんだよ。
「あ、愛哩! その服、な、何か良いね!」
「ありがと。具体的には?」
「具体的!?」
こういうのって挨拶みたいなもんじゃないの!? 話膨らむ!?
「……そ、その。白と黒で整っててオシャレというか……お、オセロ? いやごめんシマウ……いやパンダ……ぬう……」
何を言ってるんだ俺は。人生で一番コミュ障なことを言った気がする。告白した時くらい顔熱いなヤバいヤバい。
「ふふ、ごめんね? ちょっとからかってみたくなっただけだよ」
「今日ほど自分のコミュ力を疑った日はない」
「そっかそっか。じゃあ早速チケット買おっか」
愛哩は機嫌良さげに俺の手を取って発券機へ向かう。長い間映画には来てなかったけど、今はもうカウンターじゃないんだね。こっちの方が楽で良いな。
今日見る映画は操二に紹介してもらった少女漫画が原作のもの。大学に入学した子が中学の頃付き合ってた元彼と再会するんだけど、実はその元彼には新しい彼女が居るところから始まる。概要欄にはそんなことが書かれていて、主人公の子もまた元彼の彼女の子と仲良くなってしまい板挟みに苦しむ物語だ。
俺は画面をタッチしていき、席を決めるところで手を止める。
「どの辺が良いとかある?」
「出来れば真ん中の辺りが良いかな」
「真ん中……だったらここだね」
G列の丁度空いてる二つの席をタッチする。後ろの方だからかなり見やすそうな席だ。
そのまま進めていくと、支払い画面になる。俺はとりあえず五千円札を入れて、出てきた券を愛哩に渡した。
「私も払うよ」
「ん、じゃあどこかのタイミングでね」
「払わせてくれないと怒るから」
「そういうものなの?」
「まあ人にもよると思うけど、私は対等に付き合いたいかな」
なるほど……。ネットとかじゃ女子に出させるのは恥ずかしいこととか女子に払わせるのは幻滅するなんて書かれてるけど、人それぞれなのかな。正直少しはカッコつけたいっていうのもあるんだけど……。
ちょん、と手の甲に愛哩の手が触れる。反射的に顔を向けると、愛哩は大きく丸い目で俺をじっと見ていた。
(今のはちゃんと本心だよ。それとお金を多く出すよりもカッコイイことなんて沢山あるし、その時にカッコつけて欲しいかな)
(……さっきのも読まれてるって考えると、ちょっと恥ずかしいな)
(お互い様でしょ? あと映画を見てる時にこっちを見るのは禁止だから)
(? 何で?)
(……恥ずかしいこと、考えてるかもでしょ)
唇を尖らせながら愛哩は誤魔化すようにぎゅっと手を握ってくる。
……突然のことで、鼓動が早くなった気がした。
◇◇◇
席に着いてから二十分程が経つと、映画が始まった。見に来ているのは若い人達がほとんどであり、女子同士で来てるかカップルで来てるかで二極化していた。
『あれ……、もしかして宮野? ここの大学通ってんの?』
『な、長嶺くん!? そうだけど……長嶺くんも?』
『うん。ここの経済学部でさ』
『わ、私も! 凄い偶然だね! ……別れて以来だし、四年ぶりかな』
『……そっか。そうだな。もう四年も経つのか』
テレビでよく見る美形の俳優と最近売り出されている女優はお互い気まずそうに目を伏せる。あんまりここで思う感想じゃないとは思うけど、そろそろ俺も志望校を固めなきゃなんだよね。もう二年の二学期も終わるし。
志望校によっては、愛哩と遠距離恋愛になる可能性もある。一生を左右する選択だからそれだけでは決められないけど、やっぱり気にはなるな。
ちょんちょんと肩をつつかれる。いつもの愛哩の合図だ。
(そう言えば悟くんは大学どうするの?)
(同じこと考えてたね。特にまだ決めてないよ。愛哩は?)
(私もまだ考えてないかな。多分国立は狙うと思うけどね)
じゃあ俺も国立を探してみようかな。最高峰は流石に今のままじゃ難しいかもだけど、手の届くラインではあるしね。幸い愛哩とは学力が殆ど同じだから丁度良い。
(今度一緒に探してみよっか)
愛哩はどこか羞恥心を隠しながら微笑む。俺は心の中でそうだねと返した。
時折そんな会話をしながらも映画は進み、気付けばクライマックス。今までは主人公の気持ちしか映し出されていなかったけど、そこで初めて男の本音が発露した。
『あの日だって、本当は別れようなんて言いたくなかった! ……だけどそうしなきゃお前と、宮野となあなあで付き合ったまま自然消滅してただろ!』
『長嶺くん……』
『わかってる。俺がそれをあの時言えてたら結果は違ったかもしれない。……だけどそれで腐ってた俺を、隣で励ましてくれてたのは未耶里なんだ』
高校生活でずっと一緒に過ごしてくれた女の子。自分の本心はどこにあるのか、もう分からないといった様子だった。
『……今更、まだ宮野のことが好きなんて、言えないだろ?』
隠していた本音を可視化するように、目から一筋の涙が零れ落ちる。
実際俺ならどうするだろう。想い続けた元カノを忘れようとするだろうか。それとも新しく出来た彼女を疎ましく思うだろうか。
食い入るように結末を見守る。お互い好き合っているのに結ばれないなんて残酷な運命、考えただけでも胸が締め付けられる。
そこに現れたのは、現彼女である未耶里。初めから二人の葛藤を聞いていたようで、だけど涙は見せずに笑顔で言い切る。
『わたしのことなら気にしないで! 長嶺くんが幸せでいてくれてるのが、わたしにとって一番幸せだから! あの日助けてもらったんだもん、これで初めて恩返しが出来たかなって思うよ!』
『未耶里……』
『……えへ。初めてをわたしにくれたこと、本当に嬉しかったよ! じゃあね、長嶺くん!』
振り返った時、彼女は静かに泣いていた。辛い時に傍で居てくれて、傍に居られることが出来た彼女が報われないなんて悲劇。思わず涙腺が緩んだ。
取り残された二人は、無言で見つめ合う。口火を切ったのは主人公だった。
『……ね、長嶺くん。私の言いたいこと、わかるでしょ?』
『……ああ』
『……ありがとう、今まで好きでいてくれて』
『俺こそごめんな』
『……早く行ってあげて。お願い』
『……っ、ああ!』
長嶺は未耶里の後を追いかける。主人公から離れていく。
最終的に、主人公は独り身のままで終幕を迎えた。長嶺と未耶里がどうなったのかは描かれていない。だけどここまで想い合っていたんだ、上手くいかないなんてことはないだろう。
せめてもの救いとして、最後は主人公が誰かに肩を叩かれるところで終わった。願わくば顔も出てきていない彼が、主人公を幸せにしてあげてほしい。
スタッフロールが流れる。辺りからすすり泣きがちらほら聞こえてきていた。
「ね、悟くん」
隣に座る愛哩から、心の中ではなく肉声で話しかけられる。俺は愛哩の方を見ずに返事をした。
「このままずっと付き合えたら良いね」
愛哩のその言葉は、映画の余韻と重なってじんわりと胸に広がった。
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