第82話 付き合ってください
緩やかな風は芝生を優しく撫でる。川は依然凪いだまま。
激しく波打っているのは、俺の心だけだ。
「……ねえ、悟くん」
愛哩は俺から目を逸らし、座る向きを変えて背を向ける。
「本気なの?」
「勿論」
「……ホント、ずるいよ。悟くんは」
それだけ言うと、俺と愛哩の間には無言が流れた。川の流れる音と芝生を揺らす風の音だけが耳朶を打つ。
ふとスマホの時計を確認すると、時間は既に八時を指していた。
「このままじゃ遅刻だな」
「遅刻しようよ。今はそんなこと気にしないで」
「……そう言ってくれるのはこっちとしてもありがたいな。さっきから顔が熱くてしょうがないし」
「んふふ、今顔を見たら悟くん真っ赤なんだろうね」
愛哩の声が少しだけ弾む。さっきまでの重苦しさは緩やかに姿を変えていた。
「見れないのが残念だなぁ」
「こっちを向けば良いじゃん」
「向けないよ。……だって、多分私、今悟くん以上に顔赤いもん」
後頭部からは顔色は伺えない。
わかるのは、赤く染まった愛哩の耳だけだ。
「これでも私、昨日すっごい悩んだんだよ? みんなと仲良くなり過ぎちゃったからこうなってしまったのかなって」
「だから島本の告白を受けるなんて言ったのか。前は受けないって言ってたのに」
「そうすればみゃーちゃんには確実に嫌われるしね。……ホントはすっごい嫌だったけど。せっかく仲良くなれたのに」
「じゃあ今日の生徒会で謝らなきゃな」
「そうだね。もう嫌われる理由も無くなっちゃったし」
背中を向けたまま、愛哩は呟く。意味深な言葉はそれが答えのようで、だけど明言は無い。
「……ただ愛哩ってさ」
「何?」
「何かすっごいメンヘラだよね」
「め、メンヘラ!? そんなんじゃないよ!」
「だって嫌われるためにあんなこと言ったんでしょ? 傍から見たら絶対メンヘラだよ」
「そんなんじゃないってばぁ!」
勢い良く振り向いた愛哩は堪らず俺の手を握る。
愛哩の顔は、見るのも恥ずかしくなるくらい真っ赤になっていた。
「はは、顔めっちゃ赤いよ」
「お互い様。声震えてる」
「そりゃ一世一代の告白をした後だからね。正直答えが貰えなくて泣きそう」
「んふふ、変なの」
それこそお互い様だ。心の中で呟きながら、俺は苦笑いする。
「お互い様じゃないから。私は別に泣きそうにはなってないし」
「……また勝手に心を読んで」
「今のは悟くんが悪いから」
「まあ何でも良いけどさ」
これにももう慣れたものだ。多分それは愛哩も同じだろう。
「……その、さっきの告白ってさ? 付き合ってくださいって意味の好きだよね?」
「……」
「え、違うの? 告白って言っておきながら実は友達としてでしたーみたいな感じで逃げるの?」
「逃げたら怒られそうだな」
「逃がさない」
愛哩は手を握るを強くする。ぎゅっと繋がれた俺の右手は一層熱を帯びた。
「もう一回好きって言ってくれたら答えを言ってあげる」
「好きだよ。未耶ちゃんとか琴歌と同じ意味の好き」
「……女の子と居る時に別の女の子の名前は出さないの。やり直し」
唇を尖らせながら拗ねたようにもう一回を要求する。
何度でも言うよ。ちゃんと伝わるまで、くどいって言われても。
「愛哩のことが好きだよ。もし良かったら付き合って欲しい」
「……ふふ、もう完全に遅刻だよ」
「自分で気にするなって言ったのに」
「ごめんごめん、もう私達完全に共犯者だね?」
特別を思わせる言葉は俺の心をどうしようもなく掻き回す。こんなにぐちゃぐちゃになったのを自覚するのは初めてだ。
「……私も好きだよ。悟くんのこと、男の人として好き」
「そっか」
「浮気は許さないからね」
「するつもりもないよ」
「わかった。じゃあ付き合ってあげる」
俺の右手を握っていた愛哩の左手は一度離され、指を開きながらもう一度繋いでくる。
初めてした恋人繋ぎは、俺の心臓を跳ねさせるのには十分過ぎる程だった。
「……ごめん、悟くん。もう一回やり直しても良い?」
「え、何を? 付き合ってくれないってこと? それは流石に帰って泣くよ? 上げて落とすにしても落差激し過ぎない?」
「そうじゃないよ。たとえ勢いとか勘違いだとしても、私は今ちゃんと悟くんのことが好き」
二度目の好きはやっぱり俺を掻き乱す。何だか無性に恥ずかしい。
「悟くん。私と付き合ってください」
「……告白したのは俺なんだけどな」
「付き合ってあげるって言って付き合うのは何か嫌だったの。照れ隠しだとしてもね」
俺はそれでも良かったけど、愛哩には不義理に思えたってことかな。
ともかく、まずは応えないと。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
今度は俺からぎゅっと握る手の力を強くする。柔らかい愛哩の手にはどうしようもなく異性を意識した。
「んふふ、これから彼氏彼女だね?」
「先に言っておくけど、俺は誰かと付き合うのは初めてだからお手柔らかにね」
「私もだからおあいこだよ」
秋風は冷たくて身震いしてしまいそうなほど。だけどその分繋いだ手の温かさがくっきりと際立つ。
「ね、悟くん。島本君の告白を断る時に悟くんの名前出しても良い?」
「意識するとそういうところもメンヘラっぽく聞こえるなぁ……」
「だ、だからそんなんじゃないってば! ちゃんとみんなに付き合ってるって思われたいの!」
「まあ彼氏持ちって知られたら告白も減るだろうしね」
彼氏としてはそっちの方が俺の精神衛生も良い。もしこれから愛哩が誰かから告白されたら確実にもやもやしてしまう自信がある。
「……それもなんだけど、そうじゃなくて」
「? 他に理由があるの?」
「……悟くんに告白しようと思ってる女の子も、彼女が居るって知ったら諦めると思うし」
愛哩は小さい声でそっぽを向く。まるで先生に怒られてる子どものよう。
「そっか。そうかもね」
「な、何でちょっと余裕そうなの!? 誰にも告白されてないよね!? ねぇ!」
「されてないよ。もしされたとしても俺は愛哩のことが好きだから断る」
「……ホントに、悟くんはずるいね。私ばっかり意識しちゃってる」
俺は全く真逆のことを思ってたんだけどな。俺ばっかり愛哩のことを好きになって、だから告白もあれだけ緊張した。
断られたらって考えが脳裏を過ぎる度に、やっぱり今はやめておこうかと何度考えたことか。
「……今日、学校どうする?」
「もうちょっとだけこのままで居させて」
「副会長なのに良いの?」
「たまには息抜きしなきゃやってられないよ。文化祭もますます忙しくなるし」
「それなんだよなぁ……。本番は一日でキロ単位で痩せるとかどれだけ激務なんだよ」
「予想してる五倍は忙しいから覚悟しておいてね」
愛哩はからかうような目付きで俺を煽る。思わず胸がドキッとした。
ただ、忙しくなるまでは。もう少しこのままで。
俺は繋いだ手に付き合うことになった実感を抱きながら、凪いだ川を愛哩と眺めていた。
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