第76話 帰り道

「遅かったんだね、悟くん」


 知業の学校の校門を出ると、ずっと待っていたであろう愛哩が目を合わさずに声をかけてきた。呼び名が下の名前なので音心と未耶ちゃんは帰っているんだろう。


「ちょっと話してた」

「中学の頃の“元”友達。トラウマの相手だね」

「……まあ、愛哩に隠せるとは思ってなかったよ」


 心を読める人間に隠し事は通用しない。散々してきたことをされるのは、どこが皮肉が効いている。


 俺は何も言わずに歩き出すと、愛哩もその隣を着いてきた。


 ひぐらしの鳴き声が身体にしみる。そろそろ秋も本番に入るので、これも聞こえなくなるだろう。


「悟くん、今日の意見交換会で一つも話さなかったね。ダメだよ? みゃーちゃんも会長も心配そうにしてたし」

「うん」

「私もちょっと心配しちゃった」

「ごめん」

「……何だか、初めてちゃんと話すようになった頃に戻ったみたいだね」


 初めてちゃんと話すようになったのはたった五か月前。まだ半年も経っていないというのに、何故だかずっと昔の事のように感じる。


「……愛哩はさ」

「何?」

「こういうこと、今まで無かったのか?」

「うーん、私と悟くんじゃ前提が違うからなぁ。私は四歳からで、悟くんは十二歳くらいから。年季の入り方ってやっぱり立ち回りにも影響が出ると思うよ」

「……最近少しは上手くいってたからかな。こういう時に嫌ってくらい差を感じるよ」


 人の欲しい言葉を選ぶことが出来る。簡単そうに見えて本当に難しいこと。


 ……それこそ、初めて秘密を共有した時に言っていた言葉。


『私と宮田くん以外はそもそも違う人種なんだよ。そういうもの』


 一言一句刻みつけられた目新しい考え方は、どこまでもドライな生き方だった。


「なんだろうなぁ。俺は何を求めているんだろう」

「私だけじゃダメなの?」

「何かそれ、告白みたいだな」

「……そういうのはまだだから」

「……そっか」


 どうにも俺は急ぎすぎてしまう。しっかり答えが出てからでも遅くはない。


 ……知業の件についても、同じように思えたら良いんだけどな。


 横断歩道に差し掛かる。赤信号が見えてなかった俺は、愛哩に手を引っ張られて立ち止まった。


「危ないよ」


 掴まれた手が熱を帯びた。思わず握り返しそうになるが、さっきのやり取りを思い出してその手を止める。やっぱり俺は急ぎすぎてしまう。


 自動車が車道を行き交う様子を眺めながら、俺は再び口を開いた。


「別の女の子の話、しても良い?」

「何それ。急にどうしたの?」

「前に異性の前で別の子の話をするなって言われた記憶があったから」

「んふふ、別に良いよ。誰の話?」

「未耶ちゃんのこと」


 愛哩は予想していたのか、ああと納得の声を漏らした。


「未耶ちゃんさ、俺のを知ってもなお受け入れるって言ってくれたんだよ」

「うん」

「やっぱり未耶ちゃんみたいな人って珍しいのかな? あの子となら俺も仲良くやって行けそうだなって思ってさ」

「勿論珍しいとは思うけど、それ以上に悟くんのことが好きだったんじゃないかな」


 淡々と告げる愛哩の表情には色が存在しなかった。どこまでが本心か、心を読めるはずなのに把握出来なかったのは何故だろう。


「ほら、青だよ」


 信号はいつの間にか止まれから進めを示しており、言われるがまま歩き出す。


「後悔してる?」


 歩く足は止めない。今止まれば車に轢かれて死んでしまう。


 愛哩の訊ねたその意味は、心を読むまでもなく理解出来た。


「寝る前に、受け入れてたらどうなってたのかなって考えるくらいだよ」

「それ未練残りまくりじゃん。みゃーちゃんには聞かせられないかも」

「? 何で?」

「言わない」


 特に考えることなく反射で訊くと、愛哩は素っ気なく歩く足を早めた。合わせていた歩調を今の速さに合わせる。


「とりあえず私に言えることは、みゃーちゃんみたいな子は初めて見たってことだけ。もしかしたらそこまで深い仲になった子がいないだけかもだけどね?」

「でもとりあえず、絶対数が少ないことは理解したよ」

「うん。じゃないと私達以外の人間普通の人達は心くらい簡単に読めるよ」

「はは、かもしれないな」

「やっと笑った。ずっと暗い顔してたんだからね?」


 言われて自覚する。俺は古傷の痛みに集中して悲劇の主人公のような境遇に浸っていたのかもしれない。どこにでもいる普通の高校生とは言わないけど、浸るだけの何かを俺が持っているわけではない。


「その調子で、悟くんは笑って、誰かを助けてね」

「俺が言えたことじゃないかもだけど、今日はえらく詩的というか、演技がかってるな」

「期待してるだけだよ」


 愛哩は俺なんかに何を期待しているのか。ただそれを訊くのは少し気恥ずかしかったため、喉元で疑問を飲み込んだ。


「ま、多分明日になったらわかると思うよ。そうならないように私も頑張る予定だけど」

「……? まあ、わかった」

「今の言葉、忘れないからね」


 愛哩は俺の真正面に躍り出て、じっと目を見つめてきた。タイミング良く風が吹くと近くにあった紅葉が葉を散らす。赤に紛れた愛哩の姿は、まるで人ではないナニカのように幻想的に映った。




 ──そして翌日の放課後、俺は愛哩の言っていた言葉の真意を理解する。




 クラスメイトが居る教室は、逃げ場が無いという意味ではある種檻の中といえる。


 愛哩はそんな檻の中、みんなの前で島本から告白を受けたのだった。

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